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10月30日 文章と動画の使い分け方

10月30日ですね。

金曜、土曜、日曜と十勝から帯広、釧路、そしてトヨクモNightの参加ブログを書いていました。

書くといっても、私の場合、殆ど音声入力です。必要に応じて追記し、添削はChatGPTに依頼しています。

ある程度は技術の恩恵を受けているとはいえ、そもそも今の時代、書く営みにどこまでメリットや意味があるのかを、世の多くの人は懐疑的に見ているのではないでしょうか。

YouTubeの動画の方がスムーズに伝達できるのではないか。またはその場のコミュニケーションで伝えた方が速いのではないか。

そうした人から見ると、私のような書く営みに血道を上げる人は、すでに旧世代のように思われているのではないでしょうか。

今回、三日間で五本のブログを書きながら、私も自問自答していました。

ですが、まだ私は書いて文章として残すことの方に利点があると思っています。理由は以下の通りです。

・検索できる。動画は検索できない。
・テキストを図解化すれば読み手の理解度は高まるが、図解化の時間とコストがかさむ。
・情報を読み取る時間を読み手がコントロールできる。動画は時間の流れに従う必要がある。
・動画といえども、文章を読む、つまり視覚に頼ることには変わらない。
・人の記憶容量には限界があり、聴覚から受け取った情報はその場で記憶できないため、伝わる情報量が乏しい。


いつの日か、人の知覚器官を大きく補完するデバイスが現れた場合、初めて伝達のあり方が一変すると思っています。それまではまだテキストの方が一日の長があると思っています。
聴覚から受けた情報を瞬時に脳に記憶できる脳の持ち主にとってはテキストは不要でしょうし、テキストをその場で図解化するツールは遠からず現れてテキストの重要性は少し減りそうですが。

書籍でも、ディスプレイ越しにブログや記事を読むことについても同じです。
これらについては、おそらくより良いデバイスが今後も登場するはずでしょうし、紙の書籍が廃れていく事は間違いないでしょう。

結論として、読み書きがまだ伝達方法として有利であるならば、読み書き能力をおろそかにしてはならないということです。

すでに今、若い世代では、読み書きができない人の割合が増えているといいます。

いくらChatGPTがあるとは言え、ChatGPTは対話が活用の肝だということは、すでに皆さんが発表している通りです。
つまり、読み書き能力がないとChatGPTすら使えないのです。

その能力を衰えさせないためにも、私は書く事を続けたいと思います。

ありがとうございます。 弊社としても皆様のお役に立てるよう、今後も活動を行っていこうと思います。