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5月13日 知ったつもりにならず、現地に行って確かめる

5月13日ですね。

福島で学んだことはたくさんあります。

今回、二日目に現地で知り合った写真家の方と行動した際、色々と教わりました。

その方から言われたのは、今の人はネット上で得た知識だけで知ったつもりになっている、と。
なので、私のように、実際にフクシマの現状を自分の目で見ようとするような人は少ない、と。


その方と行動する中で、朽ちてゆく途中の建物をたくさんみました。
建物だけではありません。おそらく帰還困難区域が解除された二、三年前までは、街全体も朽ちて行く途中でした。


今、街は蘇りつつあります。道路が新規に開通し、あちこちの建物が解体され、更地になるなどして。
その写真家の方が一月に来た時に比べても違いは顕著だったそうです。


人々が着の身着のままで避難を余儀されたまま放置された建物。暮らしの途中で放置されたまま、何回かの途中帰還で慌ただしく片付けられた形跡がある屋内。
そうした生々しい地震の傷跡は、更地になる建物が増えてゆくにつれ、消え去っていくことでしょう。


そのような生々しさは、ネットでは得られません。
ストリートビューやブログや動画でも。

この先もさまざまなデバイスが登場し、五感のかなりを補ってくれるようになるでしょう。味覚や嗅覚や触覚まで含めて。
ただし、まだ今のデバイスでは、ほとんどのことがわかりません。経験や知識は極めて少ししか得られません。現地に行って体感する事の方が、圧倒的に優れているのです。

問題は、そうしたブロガーによる実況や、ストリートビューや文章を読んだだけで現地のことをわかったつもりになることです。
私もまだ福島は語れないと思っています。
それでも、この連休が今の福島を知る最後のチャンスだと考え、訪れました。
そして、それまでに読んできた文章や写真では分からなかった実感を得ることができました。


今、帰還困難区域だった街並みも、少しずつ甦りつつあります。
多分、あと数年もすれば街はさらに復興することでしょう。帰還困難区域から醒めたばかりのゴーストタウンのような景観は消えていくはずです。

私が今回訪れたいくつかの施設で、時間の経過は写真や動画として記録されたいました。今後もそうしたアーカイブは残されるでしょう。
が、それを体感できる機会はもう僅かしか残されていません。

あと百年もすれば、また人々は津波の恐ろしさを忘れ、沿岸に家を構えだすかもしれません。
同じように、首都圏の大半の方は、関東大震災の被害の恐ろしさを忘れ去っています。
私も忘れていますし、そもそも知りません。

知らないことを知るためには、まずどこかで感じる機会を作らなければ。そして、それを次の世代に伝えなければ。


これ、仕事でも同じだと思います。

上に紹介した写真家の方も伝え続けなければ。同じことを何回も何回も、とおっしゃっていました。

全くその通りですね。人はすぐ忘れてしまう生き物なのですから。

ありがとうございます。 弊社としても皆様のお役に立てるよう、今後も活動を行っていこうと思います。