初心者が天理教の修養科に行ってみる。40日目

修養科生活40日目、もうすぐ折り返し。
今日は2時半起床!
やばすぎでしょ!なんでこんな時間に起きるの!
さすがに4時くらいから二度寝した。
詰所で朝勤。鳴物少し飽きてきた。
朝食は生卵があってサイコー!ふりかけが昨日部活できてる中高生に食べられてしまったらしい。
今日も通常通り学校。今日はなんと、1.3限目が教典、2限目が教祖伝という勉強漬けの一日だった。教典が元の理の続きから。教祖伝は助造事件。なんで助造さんは自分ところが本拠って言い出したの?
昼食のあと、お願い勤をした。
午後からは、有志ひのきしんにちょっと参加させてもらって、定時ひのきしんで草むしり。
帰る前にもう一度お願い勤をした。
ありがたいことに詰所も学校も周囲の人に恵まれているけどもうそろそろ、1人でいたいって思うことが多くなってきた。もしかして?と思っていたけどやっぱり私には1人になる時間が必要らしい。
夕方から修養科に誘って下さったご一家と教会長と焼肉!とても良いお肉をたくさん食べさせてもらえてハッピー!
最近修養科生活で感じていることをたくさん聞いてもらった。修養科に来る前から悩み事ってあったんだけど、その悩み事の根幹が家族との付き合い方にあると気づかせてもらった。薄薄勘づいてはいたんだけど今回ではっきりわかった。以前子育て講座で、こどもと付き合う時、ソフトイン・ソフトランディングを心がけようという話があった。航空用語で、穏やかに緩やかに着陸する、とかの意味だったと思う。このときに隣の人と親役子役に分かれてお互いにグーで押し合うロールプレイングをした。強く押せば相手も強く押し返してくる。逆に優しく力を抜けば相手の力も抜ける。家族と私もこんなふうにお互いに強く押し合っていたんだろうなと気づいた。社会人生活約10年で、顧客にしろ同僚上司にも相手に優しくしたらその分つけ上がって調子に乗られるから強く出ないといけないと思ってきた。でも私たちは家族なのだからそこまでしなくても良かったんじゃないかな。
教会長の話で一番心に響いたことが、他の人からしたら大したことないものを大事にいつまでも握りしめている、って。まさに今ほんとにその通りで、全然大したものじゃないものを握りしめていて大事なものを受け取れていないように思う。今何も成せてないような気がするって思うのはきっとそれ故なんだろうなと思った。
こんなふうに二ヶ月目の初めに我が身を振り返る機会をもてて、話を聞いてくれる人がいて運が良かったと思う。本当にありがとうございました。
明日から心新たに勇みたいと思う。

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