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病気の一枚 54

2023年11月の私です。

本編に入る前に・・・ここ最近、私のnoteへ来てくださっている皆さま&いつも読んでくださっている皆さまへ。いつもの皆さまにはいつもの記事ですが、最近来てくださっている皆さまには、ちょっとびっくりかも、と思うので、この前置きを書くようにしました。

私、この病気の事を、今は月1回で書いています。最初の頃は、まあ、自分の人生で、こんな経験することって、2度とないしな、と思って書いていました。でも時がたつにつれて、記事を読んでくださっている皆さまにコメントをいただくようになり、この病気に対して、病気を経験した人にも、現在進行形で治療をしている人にも、経験していない人にも、何か伝えられる、伝わる事があれば、と、少しずつ思うようになってきました。

特に大きな事は何も考えてなく、どなたかが言われた「ろうそくの灯」のように小さな小さな明かりを灯し続けていければ、と思っております。
私の定時連絡のようなモノだと思っていただければ、いいかなと思っております。

2019年夏、右胸のしこりに激痛がはしり、検査の結果、乳がん、悪性腫瘍と診断されて、11月に右胸全摘とガンが転移していた右脇下のリンパ節切除手術を受けた。そして12月から抗がん剤治療が始まり、翌年2020年5月にやっと抗がん剤治療が終わり、7月にポート抜去手術後、ホルモン療法(タモキシフェン)が始まった。

2020年9月から仕事復帰。ただし、右腕はリンパ節切除の影響で軽いリンパ浮腫を起こしていたが、少し症状は軽くなってきた。それでも、腕を休ませながら、仕事は本格的に復帰していたが、2023年7月から再発治療による副作用のため、再び休職している。

2023年1月に再発。右肺の胸膜に遠隔転移判明。診断は『右肺の胸膜播種』。現時点でガンに対する自覚症状はない。べージニオ&フェソロデックスを用いて再発治療中。

最初のがん告知から、4年1ヶ月。
手術して、4年。
最初の抗がん剤治療が終わって、3年6ヶ月。
再告知&再発治療が始まって、10ヶ月。

まずはCT検査から。

今月は、CT検査からスタート。定期検査である。そして、気管支喘息持ちになった私は、また、あのとても小さな、うっかり紛失してしまいそうなメドロール錠を検査の12時間前と2時間前にそれぞれ16錠も飲まなければならない。メドロール錠というのは、喘息持ちの患者さんが造影剤を使った検査を受ける時に、造影剤によるアレルギー発生をおさえるためのステロイド薬である。

今回もまた造影剤を注入するチューブを手の甲に入れて、検査を待つ。さすがに検査着を着て廊下で待つには寒い季節になったので、上着を羽織って検査を待つ。この日は患者さんが多く、隣に座った方も、がんが再発したらしく、二人で情報交換をしていた。

しばらくして呼ばれた。
検査はいつもどおり、両手を上にあげて機械が動くがままに身を任せる。というか、じっとして、機械の動く様子や周りの壁を見つめている。
やがて、造影剤を入れに看護師さんと技師さんが入って準備を始める。造影剤が入る。あったかい。今日みたいな肌寒い日は、もうこのまま・・・というわけにはいかないか。検査終わったら、水分しっかり摂って出さないとね。

こんにちは・・・。

数日後、検査結果を聞きに、そして治療を受けに、病院へ。苦手な血液検査をクリアして、診察を待つ。今回は待っている間、ドキドキしていた。受験の合格発表と一緒で、検査結果を待つ時間というのは、表には出ないものの、心の中のドキドキは止まらない。

診察に呼ばれた。診察室のドアを開ける。閉める。先生と目が合う。
「んーとね・・・」
え?なになに?不穏な出だしじゃないっすか。
今月も慌てて荷物を置いて座って、メモ帳を取り出す。取り出しながらアレコレ想像する。CTに何か写ってた?また血液検査の何かの数値が爆上がりしてた?
「CTも血液検査も異常なかったよ」
と言ってニッコリ。・・・・・・よかったぁ。

CT画像を見たが、あんなに写っていたしこりは見えなくなっていたし、血液検査にいたっては、あんなに爆上がりしていた肝臓の数値が見事に正常範囲内にぴったりおさまっていたのだ。その結果を見ながら、先月の3ケタは何やったんやろうねと先生と話したが、結局結論は出ず。それまで飲んでいた肝臓の薬は飲まなくでもよくなった。
また、あとで薬局で薬剤師さんとも話をしたのだが、あの3ケタからこんなに正常値にぴったりおさまっているのも珍しいと言われた。
でも、ヘモグロビン値は少し下がっており、かろうじて2ケタをキープしている状態なので、鉄分サプリは引き続き飲むこととなった。

そして、副作用の下痢が相変わらずしんどいという話もしたが、治療薬ベージニオを減量(100mg→50mg)すると、効果もそれだけ下がる。それに、減量した後にしこりが再び増え始めても、ベージニオを増量することができず、違う薬に変わるらしい。うーん・・・毎回考えさせられる問題なんよね・・・。先生は、このままの分量で治療を続けたいとの意向で、毎回診察室で悩むが、結局今月も減量することなく、続けることにした。
「ん?いつもどおり・・・ってことは?」
「うん、注射もあるよ。ファイト!」
ああ、このくだりもまだ続くということか。

撮った!

診察後、ベージニオの相方、フェソロデックスの筋肉注射を受けた。何度も言うが、注射が大の苦手なので、ここも苦戦する。唯一採血と違うのは、筋肉注射なので、血管を探して針を刺した後にぐりぐりされないだけ、まだマシかなと思っているのである。とはいっても、痛いのは痛い。嫌なものは嫌だ。ほんと飲み薬とかにならないもんだろうか・・・。

治療が終わったあと、帰り道に寄った店の駐車場の紅葉が真っ赤に染まっていた。こんな景色をあと何回見ることができるだろうか、とふと思う。
今月はどの検査結果もよかったが、それだけ薬が効いているということだ。先生のあの名言『ガン細胞は学習する』を忘れてはならない。今は、下痢以外は健康な人と何ら変わらない状態ではあるが、いつかはまたがん細胞が増殖する日がやってくるのだ。すぐ先かもしれないし、何年後かもしれないし。

どんなに数値がよくても、自分の身体の中にがん細胞はあるわけで、それでも、治療を受けながら力強く日々を過ごしている先輩もいるわけで、私も病気に、副作用に、負けてられないなと思う。

何度も言うけど、ぼちぼちペースでね。



追伸:病気の一枚は連載モノです。よかったらも53もご覧ください。



いちおう今までの分は私の病気マガジンにまとめています。
1から読むと、かなり長くなりますが、興味がある方はどうぞ(^^;)
えっと、13までは病気治療に専念しており、14あたりから徐々に社会復帰して、毎月の定時連絡になり、44から再発治療が始まります。




記事を書くための栄養源にします(^^;)