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病気の一枚 55

2023年12月の私です。

本編に入る前に・・・ここ最近、私のnoteへ来てくださっている皆さま&いつも読んでくださっている皆さまへ。いつもの皆さまにはいつもの記事ですが、最近来てくださっている皆さまには、ちょっとびっくりかも、と思うので、この前置きを書くようにしました。

私、この病気の事を、今は月1回で書いています。最初の頃は、まあ、自分の人生で、こんな経験することって、2度とないしな、と思って書いていました。でも時がたつにつれて、記事を読んでくださっている皆さまにコメントをいただくようになり、この病気に対して、病気を経験した人にも、現在進行形で治療をしている人にも、経験していない人にも、何か伝えられる、伝わる事があれば、と、少しずつ思うようになってきました。

特に大きな事は何も考えてなく、どなたかが言われた「ろうそくの灯」のように小さな小さな明かりを灯し続けていければ、と思っております。
私の定時連絡のようなモノだと思っていただければ、いいかなと思っております。

2019年夏、右胸のしこりに激痛がはしり、検査の結果、乳がん、悪性腫瘍と診断されて、11月に右胸全摘とガンが転移していた右脇下のリンパ節切除手術を受けた。そして12月から抗がん剤治療が始まり、翌年2020年5月にやっと抗がん剤治療が終わり、7月にポート抜去手術後、ホルモン療法(タモキシフェン)が始まった。

2020年9月から仕事復帰。ただし、右腕はリンパ節切除の影響で軽いリンパ浮腫を起こしていたが、少し症状は軽くなってきた。それでも、腕を休ませながら、仕事は本格的に復帰していたが、2023年7月から再発治療による副作用のため、再び休職している。

2023年1月に再発。右肺の胸膜に遠隔転移判明。診断は『右肺の胸膜播種』。現時点でガンに対する自覚症状はない。べージニオ&フェソロデックスを用いて再発治療中。

最初のがん告知から、4年2ヶ月。
右胸全摘&リンパ節切除手術をして、4年1ヶ月。
最初の抗がん剤治療が終わって、3年7ヶ月。
再告知&再発治療が始まって、11ヶ月。

相変わらずの副作用。

分子標的薬ベージニオを服用しているので、下痢の副作用にずっと悩まされている。多い時で1日に7、8回は下痢がある。液状の、私が摂取した栄養を全部そのまま出したんじゃなかろうな?とツッコミたくなるぐらい、ひどいものである。特に今のこの時期、下痢回数が多い日は肌の乾燥もひどく、ベビーワセリンをお風呂上がりに塗ったりしている。
いちおう下痢止めも処方されてるので、それでコントロールするように言われてはいるのだが、下痢止めを飲むと下痢はピタッと止まるが、今度はお腹がきつくなる。
ただ、散歩を始めてから、下痢の状態も少し変わってきた。極力固形状態を保って出てくるようになってきたのだ。でもまあ、油断すると、液状の下痢が容赦なく出るわけであって、気が抜けないのである。

髪の毛の脱毛も地味に進んでいた。洗髪するたびに今は百円玉ぐらいのボリュームの髪の毛が抜けていく。
そして、急に朝が寒くなった日。起きてすぐ思った。
「頭が寒い…」
再発してから、やっぱり毛量が減っていたのだ。慌てて、抗がん剤治療の時に使っていたケア帽子を引っ張り出してかぶる。
脱毛はあるが、ウィッグはいらないとの説明は受けていた。でも、冬に頭が寒くなるとは聞いてない。説明冊子に書いておいてほしい。冬はケア帽子が必要かもしれません、と。

さあ、今月も血液検査&筋肉注射。

大の注射嫌いなので、この2点セットはどうにかならないものかと、毎回思うのだが、血液検査は身体の状態を知るための大事な手段だし、筋肉注射もフェソロデックスを身体に入れるために必要な手段だし、やっぱりどちらからも逃れられないのか、と泣く泣く思うのである。

今月も血液検査は問題なしだった。
ヘモグロビン値が目標の「11」に達していたのを見つけたので、
「先生!これ、11になっとるけん、もう鉄剤は卒業!?」
「んー・・・正常値は11.6だから、それまでは飲もうか」
「あと0.6か・・・何ヶ月かかるんやろうか〜」
「でも、あとの数値は問題ないし、このままいきましょう」
現状維持、ですね。

そんな話をしたあと、気になる話が入ってきた。
今飲んでいるベージニオだが、効果がある限り飲んでいくと言われていたが、いつも先生はそれがどれくらいの期間になるか誰にも分からないよと話していたのだが、今日はっきりと数字が出てきたのだ。ベージニオの服用期間は平均2年だと。比較的新しい薬だから、やっと服用期間の結論が出たのかしら?
え?じゃあ、私は年が明けたら、1年飲んだことになるので、もし平均値ならばあと1年ってこと?あと1年でベージニオが効かなくなり、他の薬に切り替わるということ?
「でも、あくまで平均だから、あと5年ぐらい飲むかもしれないし、それより長いかもしれないし、それは誰にも分からんけどね」
「ですよねぇ・・・」
ベージニオがいつ効かなくなるかというのもとても気になるが、数字を聞いたので、ちょっとどこかホッとした自分もいた。ゴールの見えないマラソンをしていた感覚だったので、目安ではあるけれども、はっきり聞くと、ゴールが見えてホッとしたのだろう。でも、それは次の薬へ続くゴールである。ベージニオが効かなくなったら、その時はその時だ。次の薬に進めばいい。ずっと走り続けることに変わりはない。覚悟はできている。

撮った。

もうね、とにかく頭が寒くて寒くて、クローゼットの奥に、もう使わないだろう、でもひょっとしたらまた使う機会があるかもしれないと思ってしまっておいたウィッグとケア帽子を引っ張り出してきた。

99%、もう出番はないと思っていた。じゃあ残りの1%は何か?最初の抗がん剤治療のあと、毛の質がすっかり変わってしまった、くるんくるんの髪の毛が生えてきていたものの、横と後ろの髪の毛はペースは遅いながらも生えてきていた。しかし、前髪がなかなか生えてこなかったのだ。ひょっとしたら、ウィッグを被る機会があるかもしれないなと、ひっそり思っていた。

でも、美容師さんに今ある髪で、いい感じに整えてもらっているので、ウィッグは必要ないかなぁと思うようになってきていた。そこへこの寒さが到来して、昨年までの毛量では問題なかったのに、今年の毛量では寒さに耐えられなかったのだ。

再び、ケア帽子のお世話になっています。



追伸:病気の一枚は連載モノです。よかったらも54もご覧ください。



いちおう今までの分は私の病気マガジンにまとめています。
1から読むと、かなり長くなりますが、興味がある方はどうぞ(^^;)
えっと、13までは病気治療に専念しており、14あたりから徐々に社会復帰して、毎月の定時連絡になり、44から再発治療が始まります。


記事を書くための栄養源にします(^^;)