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病気の一枚 56

2024年1月の私です。

本編に入る前に・・・ここ最近、私のnoteへ来てくださっている皆さま&いつも読んでくださっている皆さまへ。いつもの皆さまにはいつもの記事ですが、最近来てくださっている皆さまには、ちょっとびっくりかも、と思うので、この前置きを書くようにしました。

私、この病気の事を、今は月1回で書いています。最初の頃は、まあ、自分の人生で、こんな経験することって、2度とないしな、と思って書いていました。でも時がたつにつれて、記事を読んでくださっている皆さまにコメントをいただくようになり、この病気に対して、病気を経験した人にも、現在進行形で治療をしている人にも、経験していない人にも、何か伝えられる、伝わる事があれば、と、少しずつ思うようになってきました。

特に大きな事は何も考えてなく、どなたかが言われた「ろうそくの灯」のように小さな小さな明かりを灯し続けていければ、と思っております。
私の定時連絡のようなモノだと思っていただければ、いいかなと思っております。

2019年夏、右胸のしこりに激痛がはしり、検査の結果、乳がん、悪性腫瘍と診断されて、11月に右胸全摘とガンが転移していた右脇下のリンパ節切除手術を受けた。そして12月から抗がん剤治療が始まり、翌年2020年5月にやっと抗がん剤治療が終わり、7月にポート抜去手術後、ホルモン療法(タモキシフェン)が始まった。

2020年9月から仕事復帰。ただし、右腕はリンパ節切除の影響で軽いリンパ浮腫を起こしていたが、少し症状は軽くなってきた。それでも、腕を休ませながら、仕事は本格的に復帰していたが、2023年7月から再発治療による副作用のため、再び休職している。

2023年1月に再発。右肺の胸膜に遠隔転移判明。診断は『右肺の胸膜播種』。現時点でガンに対する自覚症状はない。べージニオ&フェソロデックスを用いて再発治療中。

最初のがん告知から、4年3ヶ月。
右胸全摘&リンパ節切除手術をして、4年2ヶ月。
最初の抗がん剤治療が終わって、3年8ヶ月。
再告知&再発治療が始まって、1年。

最近の副作用。

ベージニオの主な副作用は下痢。1日の下痢回数に個人差はあるが、私の場合は、いま1日平均5,6回。一番ひどい時は1日10回という日があった。10回はさすがにひどかったらしく、ベージニオが減薬されて、今は100mgのベージニオを1日2回服用している。

下痢は、ほぼ水便状で、ふとした時に出ることがあるので、念のため、ナプキン型のおむつをあてている。間に合わない時も、もちろんあるのだ。
でも、ここ半年は散歩で1日1時間ほど歩いているので、水便状で出ることが少し減って、固形状で出てくることが増えた。が、消化されにくいモノはほぼ原形をとどめたまま出てくるし、そのあたりは相変わらずである。

下痢止めを飲んで調整しなさいと言われているものの、下痢止めを1錠飲むと、24時間弱ぐらいは効果があるみたいだが、効果がきれた時の反動がすごい。いや、ものすごい。おまけに、下痢止めが効いている間は、お腹の張りがきつい。なので、できるだけ飲みたくないのだが・・・やっぱり飲みたくないな。

今月は婦人科検査から。

半年に一度、婦人科を受診している。乳がんが再発する前に服用していたホルモン薬タモキシフェンの副作用で、子宮筋腫など婦人科の病気を発病するかもしれないということで、受診していた。

だが、今回、主治医の先生いわく。もう不正出血などの症状もないし、検査結果はいつも問題ないし、薬も変わったから、次回まで、半年ごとの受診で、その次からは1年に1回の受診でいいよと。受診回数が減るというだけでホッとした。

しかし、そこで検査を受けて2週間足らず。ほんのり茶褐色の出血が発生。いや、実は検査を受けた2日後にも出血があったが、検査での出血が止まって、まだ塊が残っていたのかな?ぐらい思っていたのだが、さすがに検査からこれだけの日にちが空いていたので、婦人科に相談したら、しばらく様子見ということになった。

撮った。

続いて、乳腺外科受診。採血から始まり、診察があり、血液検査に異常がみられなければ、フェソロデックスの注射2本が待っている。
1回の受診で3回も針を刺される。注射嫌いの私にとっては、何十回受けても慣れないし、好きになれない。

「こんにちは~。どう?調子は?」
診察室に入ってすぐの先生の声を聞くとホッとする。そして、今月の不調を訴える。
「先生、下痢がしんどい~、頭が寒い~」
下痢は先ほど述べたとおりで、毎月訴えているが、かと言って薬を減らすと下痢のきつさも減るかもしれないが、ガン細胞に対しての効果もぐんと減ってしまう。毎月毎月、先生と話をするのだが、結局いつも減薬せずにもう少しやってみましょうという結論になり、なんだかんだで一年過ぎた。
頭が寒いは、ベージニオの副作用で昨年から髪を洗うたびに脱毛があり、毛量が依然と比べて減ってしまったのだ。ウィッグは必要ないと言われていたものの、冬の寒さには耐えられず、以前抗がん剤治療で使っていたケア帽子をまた引っ張り出してきている。

そして、もう一つの問題がヘモグロビン値。
正常値の下限値は11.6。先月の私のヘモグロビン値は11.0。よし!と思ったのも束の間、「11.6になるまで安心できんよ」という先生の一言で、0.6を上げる闘いに挑んでいたのだが、今月は10.9・・・あ、下がっとるやん。まだ闘いも続く、鉄剤服用も継続確定となった。

また、寒くなってきたからか、手術の痕が時々痛む時があるということも話したら、次回エコーと、まだ残っている左胸のマンモ検査をすることになった。

「あ、採血はそこだったの?」
「はい・・・」
先生も注射嫌いなのか、注射に関してはとても気を遣ってくださる。手の甲に止血用のパッドが貼られていると必ず声をかけてくださる。痛いのにね・・・痛いですよ・・・今日は腕の血管がかなり奥の方だったみたいで・・・などという会話をしながら、次の注射フェソロデックスへと向かうのであった。

年賀状。

ここ数年、ほったらかしていた。以前はまめに書いていたのだが、自分がガンになり、喪中が2,3年続き、そして昨年は年明け早々、再発騒ぎで、それどころではなかった。なので、今年はリアル友達から「元気ですか?」「どうしてますか?」という年賀状が届いたのだ。

乳がんを発症した時の年の瀬に、今まで年賀状をもらっていた友達に乳がん発症のことは一言書いていた。でも、そこから喪中がずっと続いていたので、その一言以来、ずっとほったらかしていたのだ。

よし。今年は状況をお知らせしよう。そう思って、今年はもらった年賀状に手紙で返事を書いた。みんなにご無沙汰していたので、メールや電話で「もう、何しよったと~!?」としばらく話が続いた。そして、久しぶりに会うきっかけとなった。

姿を見たら安心したけど、ぱっと見たら、健康な人と何ら変わりがないのにね、と会う人みんなに言われた。そうやんね。右腕のリンパ浮腫も毎日のリンパドレナージの成果が出ているからか、ぱっと見ただけでは、どこが腫れているのか分からない。腕の付け根の部分がちょっとね、と説明する。まさかここで「ほら!」と言って脱いで見せるわけにもいかないし・・・。

ひとまず、再発してから
日常生活を送ることができた
この1年に感謝です。



追伸:病気の一枚は連載モノです。よかったらも55もご覧ください。




いちおう今までの分は私の病気マガジンにまとめています。
1から読むと、かなり長くなりますが、興味がある方はどうぞ(^^;)
えっと、13までは病気治療に専念しており、14あたりから徐々に社会復帰して、毎月の定時連絡になり、44から再発治療が始まります。


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