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ファンタジーだったトシちゃん

2022年10月20日、中野サンプラザで、初めて生ライブを体験した。2019年3月にファン復活し、コロナ禍で何度もチケットを諦め、万難を排して参加できた今回。本物のトシちゃんを目にした途端、号泣必至と想像してきた。結論から言うと、泣けなかった。泣くという自分の感情が溢れ出す暇もない、夢のような素晴らしい体験。生のトシちゃんは、私にとって、ファンタジーそのものだった。

前日からワクワクが止まらず、ひとりで行った生ライブ。トシちゃんが登場した時、気持ちは既にパンク寸前。トシちゃんは実在してるんだ〜と思ったのも束の間、フワフワと夢心地に。夢か現か、定かではない浮遊感のまま、ライブは進行していく。
(この後、少しだけ曲名のネタバレがあります。)

素人が言うのは失礼にあたるかもしれないが、どうしても言いたい。歌が抜群に上手い。これは、思っていたより上手いとか、踊りながら歌う割に上手いとか、表現力があって上手いというレベルの話ではなく、特別に、最上級に上手いという感想である。凄い、凄過ぎる。曲毎に異なる世界観なのに、紙芝居が一枚一枚めくられるように、次の世界へとすぐに場面展開していく。歌詞を間違えてやり直すような、ライブならではの楽しみもあるだろうが、今回はたぶん、間違えることもなく、完璧にサクサクと進行。カバーされることで魅力を増す楽曲が一般的にはあるけれど、トシちゃんの楽曲に限っては、トシちゃん以上に歌える人はいないと断言する。

「ザ・青春セイリング」のイントロが始まった時、懐かしくて泣くかもと想像していたのに、全く違う感慨だった。黒い衣装のマントをなびかせ、華麗に舞うトシちゃんは、青春時代のトシちゃんではなく、今を生きるスーパースターのトシちゃんだった。ああ、トシちゃんは、こんなにも進化を遂げているのだ。凄い、凄過ぎる。かっこいいにもほどがある。

遠い遠いトシちゃんに恋して、切ない気持ちだった幼い自分のことは、いつでも懐かしく思い出せる。TVの中で魅力を発信するトシちゃんを、ただただ見つめることしか出来なかった。それが今、自分のお金で生のトシちゃんを観に行かれるようになってみても、距離感は全く縮まらなかった。これはきっと、近くで握手したとしても変わらない気がする。そのぐらい、トシちゃんは、今も変わらずスーパーアイドルで、燦然と輝くエンターテイナー。その美しい存在感は、揺らぐことなく、遠い遠い高みにあった。どんなにトシちゃんのトークが気さくだったとしても。

トシちゃんは、「懐かしむより、超えていけ」と言っていた。その通り。トシちゃんは、軽く次元を超え、今を生きている。生活の場面で、トシちゃんの昔のヒット曲が思いがけず流れてくる折には、懐かしいという感情になるけれど、生ライブの場合は、全く違う。歩みを止めずに歌い継いできた長い年月の重みが、一曲一曲の厚みとなり、新たな楽曲として、目の前で生まれ変わる。懐かしむ余裕がないまま、ライブは大ヒット曲の佳境へと入って行く。

プロフェッショナル。この一言でも表しきれない、分厚い年輪の重み。やっぱりトシちゃんは、自身のパフォーマンスに命を懸けているのですね!その精神は目に見えないけれど、完成度の高いライブから、確かに伝わってくる。青天井のモチベーションを、絶えることなく持ち続けられる純粋さこそ、トシちゃんの特別なところだと、改めて考える。

全てが完璧に見えたライブだったが、拡散祭りの「ヒマワリ」を見返して感じたのは、最後の美しいお辞儀の際の微妙な揺れ。相当踊り倒してから迎えたこの曲では、身体のバランスを完全に保てないほど疲れ果てていたのだろう。この時、初めて涙が出た。トシちゃん、あなたはいつもこうやって頑張り抜いてきたのですね!見える部分が完璧な裏で、ギリギリの闘いを挑んでいるのだろう。ファミリーのために、やせ我慢をしながら頑張り続けるであろうトシちゃんが、無理し過ぎないかだけは、本気で心配になる。

正確に言うと、たのきん3球コンサート以来、41年振りの生ライブ。想像に反し、当時を思い出すような感慨に浸ることは、一切なかった。孤高のスーパースターは、見る側の個人的な感情を押し流し、完全無欠な姿を披露してくれた。「悲しみTOOヤング」の時も、のおちんと海岸を走っていたグリコCMのトシちゃんを思い浮かべようとしたが、無理だった。今のトシちゃんが、新たな魅力ある楽曲として、その世界を描いていたから。ずっと弛まず歌ってきたって、こういうことだ。懐メロにはならない。

ライブ中、ファミリーの方々の真面目さにも驚いた。誰も立たず、声を上げることもなく、静かに見守っている。コロナ禍にあっても途切れずライブ活動を続けられた背景には、ファミリーの方々の節度あるふるまいがあったのだろう。緩和後初の今回、「少しは立ったり声を上げて大丈夫だよ。」とトシちゃんがすすめるほど、整然としていたファミリー。トシちゃんから見ると、盛り上がっているか心配だったのかもしれない。いえいえ、私なんて、トシちゃんのパフォーマンスの凄さに呆気にとられ、少しの動きも見逃さないよう、じーっと凝視すべく集中。だから静かに見えただけで、心の中は、熱く燃えていた。そして今も、ライブを思い出し、牛のように反芻している。まだ夢の中にいるようだ。

合間の拍手でどうにか感謝を表そうとしたけれど、トシちゃんは「そんなに頑張らなくていいよ。手が大きくなっちゃう。」とか何とか。想像していた以上に、繊細な気遣いの人なんですね!トシちゃんが会場に降りて走った時は、瞬時に立ち上がって、手を振った。その瞬間だけ、トシちゃんの存在を現実と感じられた気がする。それも今となっては、姿形までよく見えなかったし、現実だったのかどうかも判然としないけれど。

あと2ヶ所ある配信ライブを必ず観るし、WOWOWにも入るし、また来年も必ずライブに行くだろう。トシちゃんが続けてくれる限り。完全にトシちゃん中毒である。何度でも観て、思い返して楽しみたい極上のエンターテイメントと、同時代で出会えたことに感謝したい。

過去の自分を懐かしみたい人ではなく、過去の自分を超え、常に進化したい人の心に響くパフォーマンスかと思う。トシちゃんと一緒に、過去を超え、心豊かに新たな現実を歩む。トシちゃんを何度でも観て、励まされ、笑顔を取り戻し、明るい未来を思い描き、現実世界もまた頑張る。そんな強いエネルギーを与えられたような。

そうだ!トシちゃんを例えるなら、生きてるミッキーマウス!永遠のファンタジー!!トシちゃんを生で観た後、自分の日常に戻っても、完全に現実には戻れないようだ。私は今日も、ファンタジーを心に抱きつつ、日々の困難な状況に立ち向かう。人生の後半戦に来て、こんな幸せを与えられるとは、想像もしていなかった。

トシちゃん!凄い、凄過ぎるよ!!そして、心からありがとう。

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