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わたしごときが、めんどくさい。

プログレ、内観、自信の記事です。

わたしごときが、めっそうもない。
わたしごときが、〇〇するなんて、とんでもない。

これねー、ちっとも謙遜していないの、気づいてない。むしろ、相手に気を遣わせてしまっていることに気づいてほしー。だって、

「そんなことないよ」

って言ってくれるの待ってるでしょ。これ言う人って。

実際、「そんなことある」人は、わたしごときも、めっそうもないも言わないもんね。ほんとは「そんなことない」。潜在意識は「そんなことない」と知ってるんだから、言わない方がいいと思うー。

自分に一度盛大にガッカリしろということにもつながるのだけど。

「本当の自分」の到達点を、コップのふちスレスレに入った水と例えるのならば、「わたしごときが」っていう人は、わざわざほんの少し水を捨ててるんだわ。それで、自分で水を捨ててるくせに、足りない部分を人に注いでもらおうとしてるの(過剰な承認欲求)。言葉を悪く言えば「奪っている」。

ほんとうの自分はいつも、コップのふちスレスレに入った水なのね。人には向上心があるから、このコップではもう窮屈なので、少し大きなコップになろう、としていくわけ。本当の自分を過大評価もせず、過小評価もせず、「等身大」で見ることをちょっと言いかえたのが「一度、自分に盛大にガッカリしろ」ってことで。

わざわざ、自分で自分を卑下して小さく見せておいて、本当はもう少し大きいことを潜在的に知っているものだから、「そんなことないよ」という言葉を引き出そうとしているなんて、姑息だと思いませぬか~~~(笑)。

ここ、ウケるね、案件です。やってた!わたし。ウケる!!!って笑ってください。そんで、ほんとうのわたしのサイズをしっかり見つめてください。そうすることで目指している自分との距離感もはっきりわかるし、何をしたらいいかもわかる。

話を戻すと、わたしごときがと、まやかしの謙遜で自分を下げたり、だれもさげすんでいないのに、自分をすすんで貶めたり、せっかく褒めてくれたのに受け取れなかったりすることが、どんな弊害があるかをお伝えしよう。
少々ショックかもしれんので、なにかを握りしめて続きを読んでください。

まず、第一に、めんどくさい人になっています!!なにか口を開くたびに相手から「そんなことないよ」という言葉を引き出そうとしている「クレクレ星人」になっています。クレクレ星人は、相手がせっかく差し出した愛情やよい波動を、その言動で下げにかかります。

第二に、あなたのことを好きでいてくれる人、愛してくれている人を貶めています。なぜなら、あなた自身があなたを貶めるということは、ぐるっと回って、あなたのことを好きでいてくれる人を否定することにつながるからです。これわかりますか。
夫がわたしのことを愛している。夫のことを大切に思っているわたしがいる。なのに、夫が大切に思っているわたしを、わたしが蔑み、貶めれば、結果的に夫を貶めていることになる。

第三に、これもいばらの道を選んでいるということに気づきましょう。

わたしごときが、めんどくさい。もうね、わたしなんて、わたしごときが、どうせわたしは…を止めましょう。周囲がめんどくさいんです。
あなたの評価を、あなたがきちんとしましょう。だれかのお手伝いをする前に、自分を救いましょう。あなたが溺れているその海は、立ち上がれば膝ぐらいしか水がないかもしれません。あなたが飛び降りようとしている舞台は、5㎝の高さしかないかもしれません。

自分の等身大をきちんと知りましょう。そこから真の謙遜が始まります。あなたがへっこんでいるところはそのままでいい。出っ張っているところを整えてだれかのへっこみを助けられたらそれでいい。

褒められたら「ありがとう!嬉しい」それでいいじゃないの。
褒めた人も嬉しくなるし、褒められたあなたも嬉しい。嬉しいの循環が始まります。これがおひさまコースだよ。

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