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【ひきこもり】コロナ解雇からひきこもり生活へ。私は何故ひきこもったのかを検証する


1.ステイホームと不要不急の外出自粛の呼びかけ

2020年5月にコロナで会社を解雇され無職になった私は失業手当をもらいながら職探しをしていた。しかしコロナだからまったくといっていいほど見つからず、家事を中心に家から出ない生活をしていた。というよりも、政府のほうから「ステイホーム」だとか「不要不急の外出自粛」命令が出ていたため、ひきこもらざるを得ない生活を強いられていたという表現が適している。

Webライターをやめた理由

それからあるディレクターさんからお声掛けをいただき、Webライターとして在宅ワークをすることになるのだが、結局それも5か月くらいで辞めてしまった。テーマに沿って3000字~3500字を書くのだが、リサーチに時間がかかり、1本書き上げるのに10時間くらいかかることもあった。それでも、何もしないよりはマシだし、知識が増え文章力のトレーニングになるならば、と続けていたのだが。テーマが難解かつ未開拓の分野になると経験値の浅い私にはお手上げ状態だった。ライターは私一人しかいない。それなのにテーマはどんどん増え続け、単価はなぜか安くなる。これは無理だと思い、ディレクターさんに「やめたいです」とメッセージを送った。

資産運用を始めたものの、虚しさが募る

在宅ワークも続かない自分に呆れかえり、資産運用の勉強を始めた。元々FPの勉強をしていたということもあり、不労所得で生きていけないか。日本株だけでなく外国株や投資信託、ETFなどポートフォリオを作って運用していた。毎日日経新聞を読み、朝9時からは日本株のトレード、夜22時からはアメリカ株のトレード。何をやっているんだろう、と虚しさが募る。お金は大事だけど、お金が幸せにしてくれる人生ってなんだろう?と思うとほとほと嫌になり、そこからは完全にひきこもるようになった。

もう資格は要らない

資格の勉強もしたいと思わない。なぜならあれだけ資格をたくさん取ったにもかかわらず実務経験が乏しく採用に至らなかったからだ。もうたくさんだ。何か楽しいことを見つけないと。焦るばかりで時間ばかりが過ぎていく。夫婦2人暮らしで楽しいことなんて見つからない。夫は真面目だが口数が少なく友達もいない。毎日の食卓の話題は、コロナ感染者数がまた増えただの減っただのコロナの話ばかり。嫌気が差し「コロナの話は禁止!」と決めたくらいだった。

2.焦りと葛藤~この生活がいつまで続くのか~

料理に凝ってみる

何とかしなければ。このまま何もしなければあっという間に年老いてしまう。せめて家事を完璧にしなければと思い、食事のレパートリーを増やしたり、手の込んだ料理を作ったりと工夫を凝らした。最初のうちは作る楽しみと食べる楽しみを実感し、やっぱり手作りはいいなと思っていた。しかしそれも長く続かなかった。夫は喜んでくれるが、私は「この生活があと40年、50年続くのか」と思うと背筋がゾっとしたのだった。

この生活があと40年、50年続くのかと思うと

夫婦2人で暮らす。一見微笑ましい生活を想像するだろう。しかし私にとって2人きりで家に閉じ込められた生活は窒息しそうだった。このままだと私は笑い方も忘れるし、人との雑談の方法も忘れてしまう。どうしたらいいのかわからない。どうやって人や社会と繋がればいいのだろう。やはり仕事に行くのが一番なのかもしれない。頭の中に壮大なフローチャートが広がり、縺れた糸が絡まったままの状態が続いた。この間、いろいろな本を読んだ。読んでも自分の問題は解決するわけではない。気分は塞ぐし追いつめられていく。

ひきこもり期間中の唯一の息抜きは月1の旅行

ある日。夫と名古屋に旅行に行った。家からほとんど出なくなってしまった私の唯一の気分転換は、月に1回の夫との旅行だった。体力がないので観光地巡りなどは出来ないが、家から出て景色を眺めているうちに現実逃避している気分になった。楽しいのか楽しくないのかわからない。ただ、家から出るということこそが私にとって必要なことだった。

帰りは雨が降っていた。高速のサービスエリアに泊まって飲み物を買う。心が晴れず周りを見渡す。清掃のおばさんも働いている。お土産屋さんのお姉さんも働いている。トラックの運転手さんも働いている。みんな世間の役に立っている。社会の一員なのだ。なのに、私は何をしているんだろう。

3.完全なひきこもり生活からの脱却~社会的孤立と自尊心の回復~

社会に居場所がない。透明人間のように孤立した

急に居ても立っても居られなくなった。私には居場所がない。社会に居場所がどこにもない。
これからもずっとそういう人生を送っていくのだろうか。と思うと寒気がした。透明人間のように生きていく。誰からも名前で呼ばれずに死ぬまでこういう生活をしていくのか。
どうしたらいいのだろう。完全に孤立したと気づいた。
帰宅後、17日間家から一歩も出ることができなかった。

完全なるひきこもり生活。寝たきりになった。外は35度を超える真夏日が続く。エアコンをつける行為に罪悪感を感じ、汗を拭きながらじっと天井のクロスの剥がれを見つめる日々を送っていた。

ひきこもり生活からの脱却は葛藤と混乱の連続

あれから8ヶ月が経過した。さまざまな葛藤と混乱の連続だったが、今は外との繋がりを持つことができている。奇跡の連続としかいいようがない。
ただ、あの絶望的な日々を思うと、よく這い上がってきたと思う。
それは自分の力だけではないが、何かきっかけが欲しいと東奔西走した結果だと思う。

就労支援センターでもなく、役所でもなく、ハローワークでもない。ただ、私と同じような経験をした人が集まる「居場所」に繋がった。それだけで私の自尊心は少しずつ回復し、誰かと一緒に「居る」ことの心地よさを感じることができた。人を信じることや人を思いやる力を持った人との交流によって、自分らしさを取り戻すことができた。

自分の人生なのだから、自分の支援は自分で決める

支援という名のプログラムには参加しなかった。自分の支援は自分で決める。人任せにしないことが大事だと思う。自分の人生なのだから、好きな道を選べばいい。絶望やどん底を味わった人は底力があるのだ。ひきこもる経験は辛かったが大切なプロセスでもあった。そのことに気づくことができて本当によかったと思う。
絶望の真っ只中にいる方に、「生きているだけでいい」ということを伝えたい。

ありがとうございます!あなたに精一杯の感謝を!いただいたサポートはモチベーションアップに。これからの社会貢献活動のために大切に使わせていただきます。これからもどうぞよろしくお願いします。