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日記:自分の精神史に影響を与えた変な男、ロールシャッハ

 日記を書きます。

 これは何かにつけて「好きだ」と言っているキャラクターで自分の精神や考え方の根幹に居座っている人物なのですが、おれはウォッチメン(Watchmen)という作品に出てくるロールシャッハが大好きです。


変なヒーロー、ロールシャッハ


©DC Comics

 さて、このロールシャッハというおっさん、端的に言うと最悪の男です。まず身体が臭い。下水道は通るし風呂は入らない。ひとんちにガラス割って入る。法律守らない。ピッキングとか普通にする。いったいこんなやつのどこを好きになればいいのかという変人です。
 ところがどっこい、このロールシャッハという変な中年男は漫画界にいまだ影響を与え続ける存在でもあります。諫山創「進撃の巨人」のリヴァイ兵長は作者がオマージュを公言していますし、「僕のヒーローアカデミア」外伝の「ヴィジランテ」でもモロに下敷きにした男が出てきます。意外とファンが多いおじさんなんですね。

 この人の魅力はただ一点、超人であることに尽きます。
 超人といっても特殊能力を持っているとかそういうことではなく、ニーチェ的超人――つまり「人を超えた人」ということです。


超越した人

 我々、社会の中で揉まれて生きる人間というものはとかくトレンドや社会通念、承認欲求や物欲に左右されます。軸がブレブレです。もちろんそれは悪いだけではなく、自分の中の悪い部分を変えて前に進んだりといった側面もあります。ありますが、その場その場で態度をコロコロ変えているということでもあります。
 昨日良いと言っていたことを悪いと言い出したり、テレビドラマを見て弱きを助け強きをくじく漢に感動したヤンキーが明後日にはカツアゲしてたりするわけです。

 このロールシャッハというおっさんはそれがありません。一切ブレません。先に挙げたとおり普通の人間は良くも悪くもブレブレなのですが、彼の場合は「自分が正しいと思ったことをする」ということ以外すべてがどうでもいい、というものの見方からいっさい動きません。劇中でも他の登場人物たちは恋愛に振り回されたりするのですが、ロールシャッハだけは黙々と事件の真相に向けて歩んでいくだけで他のことに一切興味を示さず、ひたすらストイック。裏を返せば「悩むことがない人間味のない人間」「自己批判のない危うい人間」とも言えるのですが、その確固たる信念は得がたいものです。

 オロオロと世の中に左右されるヤワな我々の精神を超越している人間、それがニーチェの言う超人であり、ロールシャッハの精神構造そのものだと言えます。


絶望から決意した男

 ウォッチメンという作品では「ヒーローコスチュームを着た民間人が自警団的なことをやっていたが、法律(キーン条例)で禁止された」というバックボーンがあるのですが、ウォルター・コバックスというイカれたおっさんはそれをガン無視でロールシャッハとしてヒーロー活動を続けます。
 そんな中、かつて同じチームで活動していたエドワード・ブレイク(コメディアン)の死を不審に思い、ロールシャッハは独自に真相を探り始める……というのがこの作品のあらすじです。

 ロールシャッハはもともと頭のイカれたエゴイストだったというわけではなくて……詳しくは原作や実写映画を見るとわかりやすいのでそちらに譲りますが、ある事件で被害者を救えなかったことをきっかけに完全に世の中の悪と戦うことを決めた……あるいは決定的に狂ってしまった結果、ロールシャッハという超人と化しました。
 このときの彼の考え方というのが凄まじくて、「世の中のすべてはクソで、ドブの底で、悪人だらけだ」と絶望したあとに「だから、もうどうしようもないこの世界に自分の理想の正義を書きこむ」と結論を出したんですね。ここがもう、本当に美しい。

 世の中を諦めた上で、他人に絶望した上で、人間の底知れぬくだらなさと悪意を覗いた上で、折れることより「自分の正しさを世界に刻みつけてやる」と逆襲の狼煙を上げた鋼の精神の、なんと美しいことか……。


 自分にとって深々と胸に突き刺さったのがまさにこのロールシャッハの考え方だったんです。
 個人的な話ですが、このウォッチメンという作品に触れたのは高校時代で、あまり具体的にどうと説明するとおれも読む人も気が滅入るのでボカしますが、くだらないことをきっかけにクラスの輪から蹴り出されて灰色の青春を送っていました。
 おれは比較的恵まれた打たれ強さとクソ根性を持っていたというか……生来の性格が反抗的で負けん気が強かったし、インターネットを通して救いもあったので嫌がらせをされても「ふざけんなクソ野郎共、おれは負けねえぞ」と毎日学校に通っていたのですが、さすがに年単位でそれだと「もしかしておれが悪いのだろうか?」「おれなんか死んでしまえばいいのだろうか?」と折れそうにもなります。

 そんなときに実写映画のウォッチメンを見て「ああ、世界がクソだと思ったら反抗してもいいんだ」「自分が正しいと思っているなら、エゴイストと呼ばれようがそれを貫き通してもいいんだ」と静かに感銘を受けたのを覚えています。
 なぜ、自分が良いと思ったこと、すべきだとする信念を曲げる必要があるのか。曲げるとすれば、それには納得できる理由や、斟酌すべき事情はあるのか。自分の頭で考えずに流されて、大事な人生の岐路でも人任せにして、ただ右にならえで生きてはいないだろうか。そういうことを、ロールシャッハは時折そのマスク越しに問うてくる。
 まあもちろん程度の問題で、そりゃそっくりそのままロールシャッハを真似たら頭のおかしい犯罪者になるのでそうまで行きませんが、間違いなく今でも自分の考え方に息づいていると言えますね。


 ウォッチメンという作品はとにかく暗くて実写映画も2時間40分もあるクソ長い映画なのであまり他人には勧められないのですが、自分の在り方をどう貫くべきか迷っているとき、ロールシャッハという異常でありつつも、しかし誠実なヒーローはひとつの手本になるのではないかと思います。

 おれの人生を形作り、いつまでも愛する作品のひとつです。





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