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歌詞を読んでくれ

 おれは普段はてなブログを使ってるんですが、noteを本気で使いだしてからこのサービスの設計の美しさに惚れ惚れしてしまっていますね。
 すげー気楽に記事をかけるし自分が書いた記事と同じ話題で書いてる他人の記事もタグをたどって見に行ける。コミュニケーションの動線が合理的で無駄がないよ。Markdown使わなくても体裁が整えられるし。


 あとすんげえいい記事が簡単に見つかるのもnoteのいいところだと思うね。
 晒しのようになってしまい申し訳ないがこのふたつの記事があまりに良かったので自分も記事を書きたくなった。




 このお二方の本気で好きなことに打ち込んだ結果から捻り出されたワードセンスに舌を巻いてしまう。
 ものすごく乱暴な表現だけど、人生本気でやってる人が他人を本気で刺しに行くときの言葉選びってのがたまらなく好きなんだよね。


 歌詞のひとつひとつを練って作ってるヨルシカが無遠慮に持て囃されて意味も考えられず流行するのはしんどい、というようなことを言われてるんですがもうマジでそういうことを少し前のおれも考えていて。これほどクリアにその怒りを言語化しているこの方々の詩的センスに感動しましたね。

 「おれは音楽理論に詳しくないし、深く語れるほどヨルシカを聴き込んでいるわけではないのですみませんが」という前置きをした上で、ヨルシカはどの曲をどう聞いてもこのアーティスト、人類のこと嫌いだろとしか思えないアイロニーな書き方してるのですよ。


人生、二十七で死ねるならロックンロールは僕を救った
考えるのも辞めだ!どうせ死ぬんだから
君も、何もいらない

八月、某、月明かり(ヨルシカ)

 ジミ・ヘンドリクスみてえに27Clubに入りたいなんて歌詞書いとる時点であいつらはまともじゃないんですよ。挙げ句にもっとストレートに何もかも爆破してえとか言ってるわけで。「この言葉でブッ潰してやる!!!」っつー本気のロックンロール魂で音楽やってることがビンビンに伝わってくる。

 繰り返し用いられる「離別」「死別」のモチーフもヨルシカというアーティストを少し暗いトーンにしているのですよね。そういう暗さの中で世界への怒り、諦め、曲がったことを嫌う青々とした潔癖さを込めて爽やかに描いている。



夜に浮かんでいた海月のような月が爆ぜた
バス停の背を覗けばあの夏の君が頭にいる
だけ

ただ君に晴れ(ヨルシカ)

 ヨルシカは作詞にあたりただ野放図にネガティブなワードを並べているわけではなく、文法的な遊びもお茶の子さいさいで使いこなしている。文をそのまま読めば「ああ、いつかの夏の思い出のひとつしてある人を思い出してるんだな」ととれる歌詞の末にぽつんと置かれた二文字で「それしか頭にないくらい"君"が記憶に残っている」に変化する。
 「だけ」を置くだけでそれまでのセンテンスをいともたやすくひっくり返す大胆さがこの歌詞づくりには、ある。


 こんだけモノクロームの色調で描かれたシックな楽曲をパリピ共に楽しく明るく歌われちまったらそりゃおれだったら頭掻きむしってキエーーーッ!!と叫びだしたくなりますね。そんな光景見たらとても正気じゃいられないので変な言い方ですがおれが学生のときにヨルシカが流行ってなくてよかったなと思います。


 いやねえ、ほんと、冒頭の方で「おれもそんなことを考えていた」と述べたとおり最近のYOASOBIのメディアでの扱いとか見てるとおれもそんなような怒りを感じずにはいられなかったんですよね。

 だいたいYOASOBIっていうユニットがどんだけ衝撃的なことやったかっていうとまあ音楽に詳しい人なら秒でわかると思うんですけどあまりにも倒錯した絶望と心中の物語をキレ〜〜〜〜〜〜イにパッケージングしてパッと見「ラブソングかな?」と思わせるようなお話に仕立て上げて披露したんですよ。だから何も考えないで曲を聞いてる人は耳あたりのいい曲だなとしか思わないし、わかるひとにはこれがどんだけエグい歌かってのをまざまざ刻みつけるという恐ろしすぎるギミックが仕込まれているんです。


 拙著の宣伝みたいで申し訳ないんですがはてなブログのほうでそのことは書いているので気が向いたら読んでいただければと思います。
 これをデビューの一曲に選んだことがどんだけヤバいかというね……ことなんですがね……。

 そんで許せないのがもうこれだけのことをやりおおせたYOASOBIを毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日擦り切れるくらい朝聴かせてくるめざましテレビが気が狂うくらい嫌いでしょうがなかったですね。
 「もう少しだけ」はいい曲だと思いますがあれだけ擦られ続けるとイライラしてしょうがなかった。夜遊びっつってるアーティストを流行りだからって朝に縛りつけんじゃねえ。
 
YOASOBIのすごいところはAyaseが元となる物語を読んで解釈し、うまくその勘所や要所を歌に落とし込んで、幾田りらが声に乗せてそれとなく詩情を香らせることなのでオリジナルドラマとかやられると興醒めなんですよ。
 いやごめん、「めぐる。」を書いて応募した人は別に悪くないんだけど。悪くないんだけどおれはあれ、あの企画は良くない使い方だと思うんよ。本当に。あれが良いと思った人には申し訳ないんだけど、おれはテレビ局の強欲のせいで一流のパティシエに365日ねり飴を練らせ続けるみたいな扱いは許すに許せんかった。
 もちろんYOASOBIはあの企画を本気でやってたと思うし、ぜんぜん嫌なつもりでやってはいなかったと思うけど、個人的にはしこりが残るよな……と思うところもあったかなと。どうしてあの二人が紅白に出たかを考えたら、もっと攻めた企画でも良かったと思う。


 ただ、まあね。わかるんすよ。人間、いついかなるときでも頭を使って歌詞の意味を考えたりできるかっつったら、できないよ。それはね。疲れてて何も考えたくないとき、なんとなく雰囲気で歌を聞いたり歌ったりすることもあるでしょう。
 歌詞の意味を考えることに価値を見いだせない人もいるだろうし、そこはまあ人それぞれよ、とも思う。

 でもそれはそれとして曲に込められた意味をガン無視されるとキッツいで!!!!というのは思うよね。ということを便乗して言いたい記事でした。
 大好きな曲があったら、ちょっとだけ歌詞を読んでみてね。





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