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母のこと

こんにちは。
とても久しぶりのnoteです。

人生二度目のサターンリターンが過ぎ、最近は穏やかな日常を過ごしています。

私事ですが、今ようやくここに至るまでの母とのことを記します。

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今年の8月初旬、セカンドハウスの庭の基本的な造園も終わり、ようやく落ち着いてきたので、都内に住んでる妹が、高齢の母を連れて八ヶ岳に遊びに来てくれました。
(二拠点生活の詳細はInstagramに載せてますので、ここでは割愛させていただきますね。)

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私の父は2013年1月、約4年の闘病の末80歳で他界。その時母は75歳。その後父の7回忌を迎えるまでの間、母は人生初の一人暮らしをしていました。
82歳になり高齢ということもあって家族で相談の結果2019年8月、それまで約50年住んでいた家を手放し、湘南の我が家で同居することに。
夫にも協力して貰って私たち夫婦で私の実家仕舞いの一連の事柄と、母の引っ越しを完了し、湘南の家で3人の生活を始めました。

私の故郷は青森県津軽。
都内に住む妹は、父の闘病中から母が一人暮らしになってからも約10年の間、仕事をしながら毎月東京から飛行機で実家に通い、両親をサポートし続けてくれました。

私たち夫婦は、遠方にある夫の実家のことや今年100歳になった義母のことで帰省することも多く、その際私の母は介護施設のショートステイを利用したり、妹宅にステイしていました。
3年2ヶ月の間、湘南の家で私たち夫婦と一緒に暮らしていた母ですが、私たち夫婦は両方の親に関わっているという負担もあり、身内でいろいろ相談した結果、昨年10月末、母は都内の妹のマンションに引っ越すことになり、現在は母娘の2人暮らし。
都心のマンションは広さも充分で快適に暮らしています。

昨年、母が妹宅に引っ越したばかりの頃、私は妹に対して「申し訳ない…」という気持ちで毎日を過ごしていましたが、次第に「いつもありがとう!」という感謝の気持ちに変化して現在に至ります。
妹は「いつかママと暮らしたいと思っていたから、こうなって良かったんだよ。」と言ってくれてます。

小さい頃から母に厳しく育てられ、大人になってからも母から精神的に支配されていた私は、一緒に住むようになって過去の辛かったことを思い出し、母に優しく出来ないこともしばしば。苦しくて悲しくて涙する日が続きました。

そこから抜け出したくて、同居から半年後の2020年1月から3ヶ月間プロのチカラを借りて、過去の自分との対峙と人生の深掘りをして、母にはそれまでの我慢を吐き出す日々を送りました。
そんな私と向き合うことになった母は懺悔の日々を過ごしました。
子育て中の当時の母は、父方の親戚との関係で精神的に大変だったことで、子供たちに辛い思いをさせたことや、私が大人になってからも精神的に私に頼っていたことに気づいておらず、この私との対峙でやっとそのことに気付かされたのでした。

そんなこともあり、38年ぶりの同居生活は大変でしたが、毎日の公園散歩や景色のいい場所に旅行に出かけたり、食事にいったりと、楽しい思い出もたくさん出来ました。
振り返るとこの3年は、神様から頂いた大切な時間だったと、今は全てに感謝しています。

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今回は、妹の車で都心から八ヶ岳までの約2時間半のドライブ。
86歳になった母は「あっこちゃん(私)に会いたかったけど、車に乗っている時間が長くて長くて疲れた…」と言っていたけど、到着したら「とても素敵でいいところだねー。」と言いながら、家の中を見てまわったり、庭に出たりと楽しそうで。

そして
『有難いね。
みんなが幸せで良かったね。』と何度も言って。
そう言ってくれたことがとても嬉しかった。

年をとる毎に丸くなって可愛くなっていく母。
森の家では、近くの温泉に行ったり、美味しいお蕎麦を食べに行ったり、高原野菜をたくさん買って庭でBBQをしたりと2泊3日の滞在を楽しんでくれた様子。

次回は八ヶ岳の綺麗な紅葉を見に来ることを約束して帰っていきました。

以上が2018年暮れからの出来事で
今、ようやくここに至ることが出来て
本当に幸せです。

自然の中に癒しの場所を作ってくれた夫、夫をこの世に誕生させてくれた夫の両親、その御先祖様方々。
私も然り。両親と姉妹、その御先祖様方々に深く感謝して、日々を過ごしています。

私は来年2月には還暦を迎えます。
これからもいろんなことがあると思いますが、人生の役割も務めつつ、この世での楽しい思い出をたくさん作って、人生の最後は「あーいい人生だったなぁ。」と旅立ちたいといつも思っています。

今の心の内を綴りました。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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