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太宰治の愛した跨線橋〜三鷹文学散歩①〜



JR三鷹駅周辺を、太宰治関連の事物を巡りながらぶらぶら歩きました。

雨模様の日曜日でした。午前9時からだいたい12時過ぎまで。
およそ11000歩の、三鷹で暮らした大文豪をめぐる、小さな記録です。



日曜朝の三鷹駅は混んでいた。雨がぱらついていたが、駅を出る人びとは傘をたたみはじめていた。予報では、もうすぐ雨は止むらしい。

折りたたみ傘を鞄にしまい、南口のくだり方面への階段を降りる。そのまま線路沿いをまっすぐに400メートルほど歩くと、“太宰治の愛した跨線橋”、「三鷹跨線人道橋」に着く。

「三鷹跨線人道橋」

跨線橋とは、文字通り線路の上を跨いで掛かる歩道橋だ。三鷹駅のとなりにはJR車両の倉庫があり、複数の線路を跨ぐ歩道橋の全長はおよそ90メートルに及ぶ。その上からは、天気の良い日であれば、富士山も見えるという。

太宰治はこの橋に、彼を訪ねてくる編集者や知人をたびたび連れて行き、その眺めを楽しんだ。

この橋、じつは当時の線路の廃材を使って作られている。物がなかった時代、ということだろうか。歩道の頭上に等間隔に架けられた鉄材は、よく見ると電車が走るレールだ。当時のドイツ製の鉄材を組み合わせて作った歩道の一部には、ドイツの製造会社の署名と、「1911」という字が読める箇所がある。

“DICK KERR SANDBERG DK 1911”

1929年に建設された跨線橋は老朽化が激しく、いまでは300人が一度に乗れば壊れてしまうほどであるとかないとか。(ほんとだったら怖すぎる。)今年の12月には、橋の撤去作業がはじまるらしい。

太宰治に愛されたということは、彼を慕う多くのファンに、その後の時代も愛されつづけるということを意味する。橋の向こうに用がなくても、「太宰が見た景色」を眺めるために、この橋を訪れる人は後を絶たなかった。文学史に残る跨線橋が、この世にいくつあるだろうか。

全長はおよそ90mに及ぶ。

もちろん鉄道ファンにも親しまれた橋であった。齢100を目の前にして役目を終えてしまうことは、寂しいような気もするが、このタイミングでここに来られてラッキーだったと思う。

天気は良くなかったけれど、太宰治の悩み多き心の一部に、その曇天の下では少し触れられた気がする。

(②へ続く)

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