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障がいと個性

メンシプのリクエストコーナーにて
とある絵本の内容に関する解体をご依頼いただきました。

とはいえ私はその絵本を読んだことがないので、
絵本に関する解体は出来ません。

というわけで、リクエストコーナーに
書いていただいた内容を元に
今回は「障がいと個性」について
書いていきます。


【本日解体させていただく内容はこちら。】

大衆とは異なる特性を持っている人に対して
その特性が実生活で弊害になるものであっても
人と違って優れていると言った風に
他者が持ち上げることがあるが
それは果たしていいことなのか?

小学校1年生〜3年生まで
自閉症の男の子と同じクラスだったけど、
生徒や保護者からクラス替え断固拒否の声が上がり
その上それが通ってしまうくらい
とても良い担任の先生のおかげで
特に自閉症や障がいがある子に対して
抵抗や違和感もなく、他のみんなと同じ
一クラスメイトとして接していた。

小学校3年生の夏休み、私はど田舎へ転校した。
各学年1クラスしかない
少子化の影響受けまくりのこの小学校は、
小学生にして既に
田舎特有の新しいものへの抵抗感と
閉鎖的なコミュニティが出来上がっていて、
毎日ちょっとしたカルチャーショックを
受けていた。
そんなある日転校生がやってきた。
私含めてそれまでにも何度か
転校生が来ることはあったけど
今回は妙に先生達が身構えている。
転校生本人を招く前に担任の先生が入念に
説明を始めた。
転校生は障がいのある女の子だった。
手厚い説明と身構える先生に対して
同じ人間なのに大袈裟だなと思った。

中学生になって盲学校の生徒と
交流することがあった。
目隠しをして歩いてみたり、
ボール遊びをしてみたり。
無理だこんなの、出来ない、と思った。
案の定ボールは1回も取れなかった。
そんな私の目の前で視覚障害のある同い年の子達が
楽しそうに動き回ってボール遊びをしていた。


障がいってなんだっけ?


中学生の私は、
障がい者と健常者をわけること自体に
違和感を覚えた。


運動神経が全くない上に、
飛んでくる物やボールが恐怖な私からすると
その子達の方が遥かにボール遊びが上手だし、
動きが機敏だった。

障がい者だから優しくしましょう。
障害がある人を見かけたら手助けしましょう。
と周りの大人は言ってくるけど、
このボール遊びのときは
動き回るボールから私を守ってほしいと思った。

なんか、障がい者という存在に対して
過剰になってない?

出来ること、出来ないこと、
得意、不得意があること、
困っている人がいたら助けること、は
障がいの有無の前に
人間として普通のことじゃない?

もちろん、障がい者と言ってもその内容は様々で
生活の全てに人手が必要な人、
特別な介助が欠かせない人、
パッと見ではわかりづらい人、
障がいを理解してもらえず苦しんでいる人、
色々あると思う。

どんな障がいがあるのか、
どんな助けが必要なのか、を
知ろうとすることは必要なことだけど、

だからといって
障がい者"だから"優しくしましょう。
は違くない?

かと思えば、
障がいは個性として受け入れようって…
本人の葛藤や苦しみは一切考慮せず
美化したり。

そもそも個性なら、みんなが持っているから
なおのこと特別優しくする必要はなくない?

てかね、そもそもの話ね、
ずっと疑問なんですけど、
健常者の定義って何ですか?

わかりやすく身体的特徴で例えると
五体満足ってありますが、
五体が満足って誰が決めたんすか?
五体あっても満足そうじゃない人間なんて
いっぱいいるし、
障がいも個性っていうなら
四体満足も成り立つと思うんですよね。

結局手と足が二本ずつ生えた人間の数が多いから
それが健常者と定義されているだけで
個性というなら人間の体の特徴なんて
無限にあってもいいと思うんですよね。

と、自分で書いといてあれですけど
この説明は若干パラレルワールド感があるので
現実味がなく説得力もないけど。

障がいの有無以前に
人はみんな違うんですよ。
みんな違ってみんないいんですよ。

まずはその認識が大事じゃない?

私はADHDです!だからこれができません!
みたいな人増えたけど、
できること、できないことはみんなあるし、
ADHDとか障がいとか鬱だ何だ言う前に
それが個性じゃないんですかね?
だって"人と違うことは個性"って綺麗事を
世の中は言ってるじゃないですか?

ただね、自分ができること、
できないことを受け止めるのは
まず、他者じゃなくて自分自身だと思う。

だから主語をデカく デカく デカく して
私はこうだからこれできない!って言う前に

できない自分を受け入れる、
できるように努力する、
できなくても困らない環境を整えること、
が必要だと思う。

その過程に
他者に頼る、
他者に助けてもらう、
他者に自分のハンデを説明・理解してもらう、
といった行動があるんじゃなかろうか。

最近のなんでもかんでも
発達障害や精神病にしたがる風潮と
個性だから受け入れろっていうわがままは
結局誰にもわかってもらえず、
余計な壁を隔ててしまうだけだと思う。

人と違う特性は、
いいことにしろ、不便なことにしろ、個性。
それをいいことして受け取るかどうかは
まずは本人次第。
本人が受け入れることができてからでないと
他者からの評価は、いいも悪いもない。

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