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失敗はけりを付けておいたほうがいいのではないか。

 人生を重ねれば重ねるほど、失敗の数も増えてくる。当たり前のことだけれど、「塵も積もれば山となる」。小高い山を造成するほどに、失敗は増え続け、数え挙げればきりがない。幼少期の単純で悪意のない可笑しな失敗や、若気の至りの気負った失敗は、しばしばあることで、笑いながら掃いて捨てれば、きっと、後々までは引きずらないけれど・・。

 たとえば、幼少年期の単純な悪気のない可笑しな失敗といえばこんなもの。小学校3年か4年の時だった。授業後の掃除のとき。皆が一斉に箒で床を掃いたり、雑巾がけの準備をしている時に、私はどういう訳か、いたずら心が湧いたのだ。教室の後ろにずらされた机の上に隙を見て飛び乗って、鎮座して、声を大きく柳亭痴楽の落語のまねをした。
「柳亭痴楽はいい男。高倉健や錦之助(だっけ?)、それよりずうっ~~といい男」
 顔をぐちゃぐちゃに皺寄せて得意げに話しだした。その頃の良く目にしていた落語だった。
 その時、運悪く担任の先生が廊下を通り窓から教室に顔を覗かせた。そして、その私の雄姿を目撃してしまったのだ。担任は、驚いたのか、慌てて教室に飛び込んできて、私を机から降ろし、ちょっと間をおいてから「掃除をさぼっちゃいけないじゃないか」と叱ったのだ。
 級長で、普段、真面目ひとすじで、叱られることなどしたこともないと思われていた私の突飛な行動に、女子にはあるまじき行動に(当時は、女子はけっこう大人しいのが当たり前だったからね)、担任はよっぽど驚いたのだろう。呆れたのだろう。
 その後、担任は、私の両親に、たぶん詳しく面白おかしく告げ口をした。
 私が両親に問い詰められたときは、私の両親はただ可笑しそうに、今にも吹き出しそうになるのを抑えるように笑っていて、私は怒られたわけでもなく、事実の確認をされ、首を縦に何度か振っただけだった。だから、私のどこがいけないと叱られたのか、思い出すと未だに、その理由に釈然としない気持ちが残っている。
 あれは絶対、掃除をさぼっていたという理由より、「柳亭痴楽はいい男」という顔を奇妙に捻じ曲げて笑いを誘う当時流行の大人の芸風領域にまで、子供が関心を持つべきでないという、つまり「いい男」などという下品な言葉を使ってはいけない、というお叱りだったにちがいない。先生の慌てぶりに子供の私は直感的に感じていたもの。
 「いい男という言葉は下品な言葉なのだよ。子供は使ってはいけないよ」と率直に言ってくれればよいものを、「掃除をさぼるな」と二次的な理由の曖昧な叱り方をするものだから、叱られた方も、釈然としないもやもや感が残る。そして、未だにこのように書かれてしまう(笑)。ただ、こういう失敗は、単純で悪意なく可笑しいだけである。

 若気の至りで気負った失敗は、もう少し深刻だ。
 音符も読めないくせに、友人に一緒に入ろうよと誘われて、私は評判の髙い音楽部に入部した。その女子高校の音楽部は、音楽コンクールに毎年入選している実績がある。だから、夏合宿から始まって、秋のコンクールまで練習も毎日かかさずに充分に仕上がってきていた。音楽の先生も充分に手ごたえを感じているらしく、今年こそは優勝をと意気込んでいる様子が見えた。
 いよいよコンクール当日。1曲目のアベマリアは全体の調和も良く、上手くいったように思えた。さて、2曲目はジャン・ポール・マルティーニの「愛の喜び」。この曲は独特の深みがあって、私はなぜか、その旋律に心が惹かれて、大人になった気分になれて気に入っていた。これが最後の曲という事で、私は高揚していたのだろうか。若気の至りというのだろう、絞り出すような大きな声で、それも腹からではなく喉から絞り出した声で張り切ってしまった。
 歌い終わった後、前列の一人の先輩が、「ねえ、後ろのほうで誰かキーンとした声で歌っていなかった?」と隣の人と話している声が聞こえた。(あっ、私のことだ)。私が失敗したのだと思った。わざわざ張り切らなくてもいいものを・・。
 案の定、その年は優勝も入選も露と消えた。初老の音楽教師を見ると、首をうなだれて萎れているように見えた。(私のせいだ)。誰に責められたわけではないけれど、下手なのだから、口パクでも良かったのにと自責の念に駆られ、私はすぐに音楽部を辞めた。謝罪もせずに。
 この失敗は、少々深刻だし、私は逃げたようなものだから、私の記憶のどこかに引っ掛かり、いつか謝らなければいけないと思っていたのだろう。10年ほど前に、その失敗をエッセイに書いた。高校時代の話だし、誰も気にしてはいないだろうし、その初老の教師は、その後、どこかの校長として栄転したらしいから、昔を苦笑しているくらいだろうけれど、私は多少の贖罪の気持ちがあってエッセイを書いた。まあ、これも体のいい、自己満足にしかすぎないのだけれど・・。

 最も厄介なのは、未だに引きずっている失敗である。
 謝る機会も手段もない失敗である。その失敗は、青春の真っただ中に起きたことだ。
 だからそれは、思い出すと未だに淡い夢の中に存在し、可能性のない一縷の望みに賭けた妄想空間にいるようなものだけれど、私はすでに、人生の残り少ない歳を食む歩みの中にいるせいか、「一度、会って謝りたい」という思いが、しばしば顔をのぞかせる。
 電車に乗って窓の外の流れゆく風景を眺めている時に、ベランダから遠くに連なる青い山脈を眺めている時に、華麗なバラ園の深紅なバラを眺めている時に、突然に湧きおこる情景。などといえば、少々、ロマンチックにすぎるかもしれないけれど、それは、謝っておかなければいけない失敗なのだ。
 #あの時の失敗があったから・・こんなに引きずっているのだ。

 あれは、大学四年の初めの頃で、私たち聖書研究会は未だクラブの勧誘をしていた。文学部の入り口のスロープの壁に寄りかかり、こちらを見ていた青年がいた。その青年は色白で背が高くやせ型でいかにも内向的で純粋そうに見えた。私は新入生に違いないその青年に声をかけた。
「人生に関心があれば、昼の集まりに来てみない?」
 青年は、はにかんだような顔を見せたが、少し関心がありそうだった。案の定、その昼には指定された場所にやってきた。
 文学部の普段の私たちの集まりは、文学部の学生だけのほんの5~6人の気の置けないものだったから、雑談をしたり、昼食をともにしたり、何とはない顔合わせのようなものだった。
 でも、私は先輩だから、その場の後輩たちとの親睦を深める場と思い、彼ら彼女らの話を聞き、時には、悩みの相談にも乗るという心地よい場になるように心がけていた。私はきっと、後輩たちにとっては、優しくて親切でちょっと頼りがいがある先輩と見えていたかもしれない。
 その新入りの青年は、ほとんど毎日顔を出し、座って静かに話を聞いていった。その様子を見て、私は、その青年は特別なほど純粋で、ガラス細工のように繊細で、文学に相当のめりこんでいることなどが、だんだんと分かってきていた。
 1か月だったか、2か月くらい過ぎたころか、ある日、繊細君が私に言った。
「先輩、時間がありますか? 一緒に散歩に行きませんか?」
 断る理由は無かったので、私は「いいわよ」と気楽に応じた。
 文学部の門を出て、大学本部正門の前を通り裏口から出て、大通りを渡り神田川の横を通り、二十分くらい黙々とゆっくりと歩いて行った。
「どこまで行くの?」私は聞いた。
 すると、繊細君は振り返って「この先に丹下健三の設計したカテドラルがあるのです」と答えた。そして、また歩いて行った。
 広い道、細い道、最後に、草むらの斜面の道を登りきると、突然に、前方の視界が開けた。見るとはるかにカテドラルが建っていた。
「ああ、あれがカテドラル・・」
 私はしばらく新しいカテドラルを眺めていた。
 足元に目を落とすと、草むらの道の端にはきれいなバラが咲いていた。赤やピンクや色とりどりのバラの群生は、花の饗宴、祝宴のようにあでやかだった。
 やっとカテドラルを見た安心感も手伝って、「バラが奇麗ねエ」、私はちょっと感激して言った。
 するとその時、前を向いて立っていた繊細君は、急に振り返った。そして、私の目をじっと見つめて言った。
「先輩は・・、このバラよりもっと美しいです」
“バラより美しい・・・???”
 何を言い出すの? 突然のことに、私は本当に驚いた。そして繊細君を見た。気がつくと繊細君は真剣な目つきなのだ。思いつめているようなのだ。
「僕は先輩が好きです」
・・・・・・
 何と答えていいものか? 突然の状況に返す言葉も出てこない。私は本当に困惑した。「私もよ」と言って流してしまえばよかったのだろうか。しかし、そんなことを言えば、繊細君は、歓喜して真剣に受け止めてしまうだろう。そして、後の分かり切った失望に耐えられないだろう。
 その頃の私の意識は外に向いていた。世の中をもっと良くしたいと理想や希望を持っていた。だから、今は、恋愛にうつつを抜かす時ではないと、既に心に固く決めていた。すべきことが山のようにあると思えていた。
 だからこそ、何と答えていいものか。安易に好きと言ってはいけない。でも、つっけんどんな態度に出れば、繊細君の心は深く傷を負うのは分かり切っている。良かったのか、逆に残酷だったのか、結局私は、答えを曖昧に、話をはぐらかして、その場を収めたのだ。
 それから、三日間、いつものように繊細君は昼の集まりに顔を出した。そして、黙って私を見つめて帰っていった。私は、声をかけられなかった。取り合わないことにした。目も見なかった。
 三日目の集まりが終わる時、繊細君は、私に近づいてきて言った。
「先輩は、嘘をついている。自分の心に嘘をついています」
 そう言い残して去って行った。
 その後、学校で繊細君を見たことがない。
 あとで考えてみると、色々の本を読み、珠玉の愛の言葉を繰り返し読んでいただろう文学青年が、自分もそうなってみたいと心に秘めて、自分を奮い立たせて散歩に誘い、やっとの思いで愛の告白をしたのだろう。そしてガラス細工が壊れるように砕けて散った。
 私はとても心配になった。いそうな場所を訪ねたり、スロープにもたれていないかと眺めたり、教室で会えないかとカリキュラムを事務所で調べたりした。でも、どこの科だったのか、名前に辿り着けなかった。
 長い間、心を砕いてみたけれど、ただの一度も出会わなかった。きっと学校には来ていなかったのだろう。だから、今でも時々思い出す。そして、元気だったのかと話しかけてみたくなる。

繊細の君よ。あれから学校には来ていたの? 授業には出ていたの?
卒業はしたの? 就職はしたの?
世の中は厳しいから、君のような繊細君が荒波を乗り越えていくのは
大変だったことでしょう。
結婚はしたの? いいお父さんをしているの?
先輩はずいぶん心配をしましたよ。
繊細で純粋な君の心が、打ちひしがれてしまったのではないか。
元気を取り戻して強くなって、世間にも潰されないでいてくれるのかと。
バラの咲く季節になると、カテドラルの見える美しいバラの小道と
震えそうな君のまなざしを、時々心痛く思い出します。
元気でいてね。きっとタフマンでいてくれるわね。
青春の抜けるような青空の下の一途で切なく純粋だった君は
今は遠い昔の思い出として苦笑しているのでしょうか。
白髪の混じりだしただろう君は、
ロマンスグレーのシャイでかっこいい紳士になっているのかな。
「人生、いろいろだねえ~」と笑っている君を想像して、
少しばかりの贖罪の気持ちを持って、遠い空から幸せを祈っています。

 と書いてはみたけれど、やっぱり一度会って謝りたいと思っているのです。今の君の晴れやかな笑顔を見てみたいと思っているのです。何処にいるかわからない人だからこそ、いつまでも妄想の中でうごめき続ける。
 やっぱり、失敗は、けりを付けておいたほうがいいのではないかと思うのです。


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