個人的な過去のことからのしくじりと反省・後悔(第8章)
第7章までは主に学生時代(一部は今に通じることもいくつか触れてきました)
第7章でも少し、不登校にならなかったと書きましたがここではそのことについて書いていきます。
が、ここまで第7章まで書き続きてきましたが、簡単にこれまでのことから教えられてしまったことのところから触れていきます。
先生から 親から 学生時代に教わったこと
確かに、そうではあるけど見方・考え方を違ったらそれを命令形・怒号・𠮟責での指導
それが将来のためか?けど、真面目にやっている人や大きい声での指導が恐怖
さらに人間関係を壊すような接し方しか見えない。指導の間違った方向性を覚えてしまうこともあります。
ここまでの第1章から第7章までのことを箇条書きで触れると・・・
(チクチク言葉いや、高圧的指導・命令形な指導的言葉が容赦なく出てきます。ご注意ください)
・教えてもられるほど甘く見るな。自分で考えろ。教えてもらえないと思って自分からいけ。(それを小学生から言われ続けました。なお、中学生は聞きに来い。勝手にやるなと言われる。どれがいいのかわからない)
・楽しいことは小学生まで。
あとは楽しいことはないぞ。楽しいと感じるな。忘れろ
・理不尽なことも含めて気に食わないことがあれば、馬鹿者と怒鳴り、𠮟り、それを毎週場合によっては毎日起きること。
それを耐えきること。誰かのせいで起きるんだと。
そうならないためにはどうするか。
それはそれぞれの価値観次第です。その都合主義と理不尽でいくらでもそうなります。
・そして、怒られたことはすべて自分に。𠮟られたことも関係ないことも全部自分に向けること。
周りのクラスメイトを反面教師にする=すばらしいこころかけと先生方は思えるほどに。
今でいう誹謗中傷に暴言に耐える練習を今思うと。
・褒められたことは忘れることはすばらしいこと。
褒めるよりも𠮟責と理不尽に耐えること。
褒めることは成長しないと言うこと(それが大きな後悔になります)
・相手の否を見ること。いいところを見るよりもダメなところを言うこと。それを言い合うことが成長させる。場合によっては言い争いさせてもいい、誹謗中傷に匹敵しても・・・
(別にいい人にはいい。それも人による。そういう風潮が暗黙の了解でした)
・1人5,6役兼任することが当たり前、それをすべて完璧主義でやりきること。
それが出来なきゃ人間じゃない。
人がいないからこそ、やらなければならない。
やらない・出来ないは許されない。
向いていない?それでも完璧にやれ。それが社会だということも教えられました。
・連帯責任は当たり前。できない人が悪い風潮。(言わなくっても連帯責任を持てばそうなる風潮でした)
完璧主義に史上最強の小学生になれ。と(中学生は・・・もうわからない)
・知りません。わかりません。
その言葉は絶対に言うな。
死んでも言うな。噓でも、知ったかぶりしてもいいから言うな。
それは小学生に叩き込まれました。
(体調が悪い、調子が悪いですなんていえば、社会人になったら通用しないぞと無理矢理やることを進めます。このご治世ご法度ですが)
・親がそうとうダメな指導したんだろうな。親が指導すべきだ。学校で言わせるな。(家庭の事情までも気にしない。そこまで気にするくらい当時も今も余裕がなかった。余計なことしたことへの怒りをぶつけられてきたのかもしれません)
・失敗等あったら
やる気ないなら出ていけ
やめろ
部活なら廃部にするぞ。
学校全体だと人間失格もよく言われました。
(小学生失格や中学生失格もよく言われました)
忘れ物したら授業しない、忘れ物した人が悪いから責めろ。
高圧的な圧力や理不尽な怒鳴りに𠮟り、教えてくれるのは小学3年生まで。大人の世界はこれが当たり前だと当時は思っていました。
・寝る時間があるなら勉強しろ。
部活もやれ。
寝る暇あるなら勉強しろ。練習しろ。
睡眠は若い人はいらないしそれを削って努力して、将来いい学校にいって安泰な人生にしてほしいという思いがあったでは。(と先生の立場も)
・がんばっているのにお前は頑張っていないと怒られる。
頑張るのは当たり前。死ぬ気でやることも当たり前。死ぬ覚悟で頑張ってやらないと他の人と比べても下に思われるよ。
がんばれとしか言われていない。
・親からは・・・ 頭のいい医学に進む人を友達にしろ。ゲーム友達は作るな。そう言いながら大人になったら同窓会に行け。昔はな、クラス全員いることが当たり前だからいけ。(あと、クラス全員におごるくらいのことをしろ。それが当たり前だと言われてはいました)学校で教えなかったの?とも
なお、比べてあなたはダメだとか。昔はさらにダメだったとか・・・・理不尽なことはよく言われました。
地域は・・・これは別に章で触れるかもしれません。書かない方がいいかもしれませんが。あえて書くと思います。
(クラス全員がなんでも出来て当然な風潮でした。特に中学は)
・人任せは当たり前。
責任を持ちたくない。
𠮟られたくない。だから押し付け合う。
噂・陰口は当たり前(女子特有と思いでしょうこれは男子でも起きます。男女関係ないです)恋愛なんてしてしたら一瞬で噂になり広がる。(噓だといっても無駄なほど。事実と違うと言っても変に広がる)
補足ですが、恋愛禁止までは言ってはいないのですが、暗黙の了解でするな。そんな暇があるなら勉強しろと
(ブラック校則がたまにトレンド入りしてますが、そこまではないけども先生方が暗黙の了解でありました)
たまたまSNSが出始め(小学卒業でインターネット、中学卒業の頃には掲示板やブログ、高校の時期で今位のSNSが出てきていました)だったので、それも加えると・・・より酷くなっていたのかも。いや知らないだけかもしれませんが。
・勉強教えるよりも教えるレベルにならないといけない。またできないと連帯責任になることもある。そして憎まれる。
それで逃げたら、将来はダメな人間になると
底辺な人になりたくなければ、死ぬ覚悟で向かってこい
メンタルなんて簡単に削り取られるレベルの指導
これが当たり前でした。(当たり前かは・・・わからないのです)
(なお、こうしたことは第8章でより深く触れます)
よく不登校にならなかった。その理由(小学)
先ほども少し触れましたが、こんな環境でよく不登校にならなかったと思いでしょう。
まず、不登校に関して周りの人たちにとって当時の考えはこうではなかったではないでしょうか。
・あってはならない。
・学校に行くこと、勉強することが仕事だ。職場放棄だ。
・そんなことで学校いかないのか、情けない。
・将来大変なことになるよ。
と、今でもそう思いの方がいるかもしれませんが、不登校は罪であり悪という考え方を持っている人達が9割5分。ほぼ全員がそう思っていました。
理由がどうであれ関係ない。とにかく学校に行けと。
(教育委員会に関しては、市町村合併前は教育委員会そのものがあったのかどうかもわからない。合併後の当時はここはガン無視に近い状況でした。今はどうかはわかりません)
でも、行きたくない。私はそうでした。
それも2度も(高校も合わせて3度か)いや4度か・・・まあ、何度もありました。
小学生は2度。中学はほぼ毎日。(一応1度とカウントします)高校は3年生である先生で色々と疲れてしまって不登校を超えて学校やめようかとも。
本気で学校にいくことをボイコット的なことをしたことがあります。入学して間もなくです。
しかし、先生方から家族から色々と言われて・・・
ボイコットはわずか1日で終わりました。(正しくは数時間。その後保護者同伴で数時間学校に行きその日だけで終えました。最後あたりに載せますが、母子登校というのがネット記事になっていました)
団体行動が苦手で、協調性がないでしょう。今もですが(だからぼっちなのか笑)
ちなみに行きたくない理由は・・・学校が嫌いだ。
どう言葉にしていいのか。今でもわかりません。それに理由もわかりません。
低学年だからよかったけども、過去の事書いた通りの事が起きた時期は学校にいかないという選択肢はできませんでした。
むしろ、やったら今ここにはいません。野球好きにも、今こうして生きていることも。なかったかもしれません。
(幸いにも話せる人に少しでも出会えたのが本当の意味での救いでした。ただ、その方に通じるきっかけを作った当時の担任には多少の感謝はしてます。が、その当時の担任の先生にとっては特殊学級へいかせようと考えていたのかなとも。普通じゃないからなのかな私は。あなたのためと思ってやった。その裏には担任の実績への弊害として思っていなかったのかな。だとするなら、存在自体迷惑をかけてごめんなさい)
ついでに言うと部活も今思うと、入ってよかったのか。なんて思っています。
怒られるのがいやで、𠮟られたくないという感じでしょうか。
(その当時の全生徒を担任担当部活に入らせるということだったのかな。
アナタの意思でしょと言われるかもしれませんが、入らないと怒られる。中学では帰宅部=人間として生きて〇〇
はっきり言わないと一部の人は納得しないでしょうからはっきり書きます。人間として生きてはいけない。犯罪者になるぞ。と思われていたのかもしれません。いい部活・いい成績を残しても必ずしも素晴らしい人生が保証されるとは限りません。そうさせる力でそうなるなら話は別ですが、その場合はクレーマーにも ハラスメントにもなりかねませんけど)
その理由(中学・高校)
(ならかなった理由は小学と大して変わりないけど・・・)
中学は・・・いじめられたのか。とそうではないです。
むしろ先生方からの圧力と怒鳴り合いにどんなことしても𠮟られる環境下でしたので、逃げたくても逃げれない。
不登校は実質不可能でした。
不登校=いじめがあった
と当時の先生方は思っていたので、不登校なんかをしたらどうなるか目に見えました。
担任に会いたくないと言ったら𠮟られるのは目に見えたのと、勉強がいやだ。学校もいやだ。とにかく逃げたかった。いじめられたとしたらその周りが違う。じゃ自分が悪い。となることも
話せる人もいない。
逃げることもできない。
でも、無理やり学校には行ってました。2,3年生では皆勤賞にはなりましたが、勉強が出来ない人が皆勤賞なんて意味はないと思います。
高校につながるから無理やり行った。ということです。
とはいえこの環境下でした。不登校もいました。(卒業までくることはありませんでした。ただ一度教室まできましたが・・・雰囲気的にはどうなったのか。そして個人的にもこれでよかったのか。いまでも思ってます)そしてある人は自殺未遂もありました。直ぐに止めました。
が、内心私も自殺しようと考えていました。そういう時期でした。
(これが日常茶飯事になる前の話です。これが当たり前な風潮になるとどうなるか。これからわかります)
高校は・・・第7章でも触れた通り最後の最後にある先生で色々とあり、スクールカウンセラーのおかげで助けられたということは個人的な過去のところで記載してます。
その頃から運がよくスクールカウンセラー制度はありました。
(しかし、その当時は使う人はいないに等しい。おそらく私が史上初の制度を使ったのでは?と思われたりもしました。しかし、この後その方は来ることはありませんでした。今はあるのかはわかりません。あるとは思いますが)
が、不登校以上に学校を辞めようとも考えてはいました。辞めたところで一生高校卒業ができないことが恐らくあったかもしれません。
そうなると家から言われていたことができないということになり・・・・(でも自動車学校には高校卒業はいいから行けとか言われて・・・自分の意志は通用しない。若いから聞くなというべきでしょうか)
今思うとよく生き残れているよな
今、言えることは
こうして経験してきたことが、今でも起きているという事実。でも逃げる環境も整備はされています。
(とはいえ、地方によっては逃げ場もない。あったとしても環境が合わず苦しい思いをしなければいけないところもあります)
私が言えることは過去のことにも記載しています。が、一言でいいます。
逃げるが勝ちだぞ。
親御さんにとっては将来が大変だとかいいますが、学生にとっては今が一番大変なことなんです。
もし今自殺したら将来なんていえることができますか。
念には言いますが、将来のためにいいようにしたとしても、それが必ずすばらしい将来に結びつくとは限りません。
苦しい思いをすることもあり得ます。たとえ、勉強できたとしても友達が多くても部活で頑張ってもです。その環境やその年によってですが。
不登校は私はできませんでした。不可能でした。
無理して行って今でもトラウマとなって苦しい思いをしています。
その選択は間違いだったのか。今でもわかりません。
それよりだったら、学校にいかないという一つの選択肢を選ぶという手段もありだと思います。
保健室登校もフリースクールも今だと手段として使えます。
ただ・・・
その当時は
学校で耐えても
職場でも
耐え続けることに変わりはありません。
相談への繋ぎすらもわからない。でもね、私たち世代はね と言われて救われないことも。
相談するんじゃなかったと思われることもあります。
SOSの出し方?
その当時、教わったことはありません。
耐えることが当たり前のように
戦ってきました。
ゆとり初期でもこうしたことに戦っていました。味方もなく、中学は特にでした。
最初に書いたこと
それに通じることを次の章で書きます。
ここまで苦しい投稿で申し訳ございません。
12/28 追記
この続きです。
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