進むことが全てではない_『夜明けのすべて』を観て
先月に観ていたのですが、
書くほど回復できなかったり、
時間の使い方が下手だったり、
がっかりすることがあったり、
で、こんなところまで伸ばしてしまいました。
『夜明けのすべて』は、
瀬尾まいこさんの小説が原作です。
映画化の話を聞いたときは、
絶対観よう、
と思いました。
でも公開日が近づくと、
どうしようかなぁ、、、と。
観たかったはずなのに。
最近気づいたことがあります。
よくうつ病やストレス診断に書かれている
『好きなことができますか』
と言う欄があるじゃないですか?
私、あそこにいつもNOと書いていたんですね。
でも、
読みたい漫画や小説、映画があっても、
今はちょっとやめておこうかな、って、
そういうことなんじゃないかなと。
好きであればあるほど、
はじめるまでに込める力が大きくなって、
私の場合、
たくさんあるなかのこれ、というのに力の振り分けがされていって、好きなんだけど、こっちが優先、というのにどんどん注がれていくから、一番好きなことはなんとかできても、
その次の好きなことがなかなかできなくなっていってしまう。
これも、本当はYESに入ったのかもしれないなぁと。
ちなみに私の場合は書くこと。
書くことが出来なくなったら、もうやばいのかもしれません。
閑話休題。
原作のあらすじはこのような。
映画を観ているとき、
私は原作は読んでいませんでしたが、
瀬尾さんのやさしくて手の平のようなやわらかさのある文章が、映像にも現れているように感じました。
少しざらつくような映像。
清潔な心療内科。
距離を徹底的にとる警察署。
自分をけして傷つけないように作り込まれた美紗の部屋と、
どこかエゴの居所をつくってやれない山添の部屋。
やりすぎないその美術が好きでした。
一番印象的だった会話は、
二人で移動プラネタリウムの解説をやることになり、
それの勉強会的なことを彼の部屋でやっているとき、
山添は言います。
「男女の友情はあると言うひとも、無いと言う人もいる。
でも、助け合いは男女でもできます」
それを聞いたとき、
なるほど、と感じました。
友人になろう、とか、
大切だ、とかはあるとして、
関係として、「助け合い」を中心にしようというのがとてもいいなぁと。
確かに、それなら意義はあまりないかもしれない。
そして最初はお互いの症状や状況を知らず、
下に見たり、同情を感じたりするのですが、
お互いのことを知っていく、勉強するうちにそれが変化していきます。
二人が助け合いをはじめてから、
美紗は自身の生き方にもう少し周りの目ではなく、
自分の向かい合いたいひとを考えて生きる決心をします。
母親の介護ができるように転職を進める彼女は、
最後の大仕事として山添との『プラネタリウム』の解説を考えるのでした。
主に文章を組み立てるのが山添。
読むのが美紗の役割ですが、
二人で「これでは当たり障りがなさすぎる」と話し合いをしながら進めていきます。
頑張っている二人に、
社長が自死した弟の残したテープを出して来てくれます。
そもそもこの会社を作ったのも、
二人でした。
そしてこの移動プラネタリウムの解説も弟さんが書いて、読んでいたのでした。
それを基盤にして、
二人はなんとか文章を作りますが、
テープの長さの都合で最後が入っていません。
結びの言葉に二人は再び苦戦します。
それをなんとか結んだのは、
倉庫に残っていた弟さんのノートでした。
そこには『夜明け前が一番暗い』ということからはじまる、
締めの文章が書かれていたのでした。
弟さんは文章で語り掛けます。
「太陽は沈むのではありません。
星が動くのです。
朝は星が動く限り必ずやってきます。
嫌なことがあった日も、
嬉しいことがあった日も、
平等にやってくるのです。
私の、ずっと夜であってくれたらという願いも無視して。
私は夜が好きです。
夜があるからこの星に外があることが分かったのです。
夜は可能性の色です。
だから明けないで、と願うけれど、
やはり夜は明けていきます。」
どこまで正しく書けているのか分かりませんが、
そのような感じのことを彼女は語ります。
どんな理由にも左右されずに朝は来ること。
それを希望とすることも、
絶望とすることも自分自身で決めるこができる。
そしてその時は誰のためにもならないと信じたことが、
時間を越えて、
見知らぬ誰かの、
または大切な誰かの大切になった誰かを助ける瞬間が訪れることがある。
遠い遠い星の光が、
やっとぴかりと私の目に落ちたように。
そう思うと、
自分の今を軽率に価値が無いなんて言えないな、と思うのです。
何をしなくても、
できなくても、
生きていることそのものが、
何かを成すことになっている。
そんな気がします。
映画は、
誰かが救われたり、
一歩を踏み出したり、
変わったり、
しますがそのどれもがささやかな動きです。
それを成した本人にとっては大きなことであっても。
だから、この映画を観て、
何も起こらなかったと思う人がいても不思議ではないかなと思います。
それくらい、丁寧に描かれた、だからこそ、その小さな変化のいとおしいこと。
朝が来る。
その寸前の真っ暗な中、
たったひとつの灯火を放すような。
コロナが広まる前に会ったきり、
数年ぶりに会った友人は、
私のように心が疲れやすいひとで、
彼女と話をしているとお互い小さなことを頑張るしかないねぇ、と思います。
これは、いつか克服できるものではないから、
いつまでもそばにある症状なのだから、
もういっそ大切にしてやろうじゃないかと思う身近さです。
彼女は今はとても映画なんて観られないと言っていたので、
いつか見られるときがあったら思い出して、
と話ました。
灯火さえ眩しいひともいるでしょう。
それならそっと目を閉じて。
大丈夫。
星が動く間は、朝が来るのです。
そう言ってあげたくなる映画でした。
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