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#1 嵐の「途中下車」について語りたい

嵐について

2020年12月31日をもって無期限の活動休止に入った人気アイドルグループ「嵐」。

20年の12月には嵐に関するニュースや特番がたくさん流れていたので、「ああ、本当に今月で嵐の活動は休止してしまうのか」という寂しい声や、「どのテレビ番組も嵐ばかりでちょっとうんざりや!」みたいな声など、あらゆる方面から様々な意見が流れ込んできていました。

嵐ファンの僕からすれば、「寂しさ」と「感謝」の両方の気持ちで5人の新しい世界への旅立ちを応援することができたのかなと思ってます。

ぼくと嵐の出会い

さて、僕は母親の影響で、小学生のころから嵐の楽曲にどっぷりとつかっていました。

家族でどこかに出掛ける時の車の中で流れていた映像は、もちろん嵐のコンサートDVD。家の中で度々流れていたBGMは、その年に嵐が新しく出したアルバムの楽曲からセレクト。

嵐の歌って聞いていてホントに気持ちがいい。

メロディーがわかりやすいし、変てこりんな歌詞が少ないし、曲のジャンルも豊富。

また、5人それぞれの声が持っている個性と、5人の声が合わさった時に生み出される美しいハーモニーにも魅了されてしまいます。

いつの間にか嵐の曲は、耳から入ってきた楽曲を自然と口ずさんでしまいたくなるほど、僕の心の中に住みつくようになりました。

嵐について書きたいことはもっと沢山あるのですが、それについてはまた違うブログ(記事?)で、オタクの本能の赴くままに書きなぐりたいと思います。

メッセージ性あふれる楽曲「途中下車」

嵐がこれまで発表してきた楽曲の中で、僕の頭の中で永遠に流れ続けている思い出深い楽曲があります。

それは、嵐が2004年7月に発売した「いざッ、Now」の中におさめられている「途中下車」という歌です。

聞いていて心地が良い・気持ちが良いテンポのメロディーもさることながら、歌詞の一つ一つに込められた意味が非常に奥深いと感じています。

僕は歌詞を眺めている時に、「途中下車」という歌が聞いている人に伝えようとしているメッセージを以下のように解釈しました。

「なんかさ、人生ってストップアンドゴーの繰り返しだよね。何があるか分からんからめちゃ不安になる一方で、時々ちょっとした幸せに触れることもできるし。

そもそも人生に大層な目的を持つ必要なんてないんだからさ、何回もストップ(途中下車)しながら、それなりに不器用に生きていけばいいんじゃね。自分自身に胸を張って、人生という名の行き先のない荒野の旅を完走できれば、それでいいんじゃね。」

マジメに書くと辛気臭くなるので、少し若者風に崩した文体で書いてみました。

人生を生き先のない電車に例えており、何度も途中下車をしながらオーダーメード(自分だけ)の線路の上を走りつづけることの大切さを学ぶことができます。

特に以下の歌詞に心打たれましたね。

・外は誰、夢はどこ?めぐりあうのは誰?
・信じることに疲れて一人眠りたい夜
・人はなぜないものを探し続けているの?悩む事さえ忘れかけているmy life
・不器用な呼吸でまだ走っていく 
・今信じる勇気が魂の輝きが守るべき何かそっと包んでゆく

マニアックなファン以外の人にはあまり知られていない曲ではありますが、僕からしたらすべての嵐の曲の中で2番目に好きな曲です。

ちなみに一番好きな曲は、2005年頃に出された「素晴らしき世界」という歌。2020年のアラフェスで歌われたときは、感極まってしまいましたね。

なんで途中下車が好きなのだろう

ただ、僕は思う訳です。

どうしてここまで、「途中下車」という歌に対する思い入れが強いのだろうかと。

他にもいろいろないい曲がたくさんあるのに、ここまで「途中下車」に魅かれている理由は何なのだろう。

多分ですが、途中下車のメロディーや、5人それぞれの歌声がまじりあうハーモニーが心に残りやすいものだったからだと思っています。

たとえば、サビ直前の

「外は晴れ 夢はどこ めぐりあうのはだれ?
閉まりかけていた ドアの向こう側に見た」

から、サビの

「名前も忘れるほど 遠くなってしまったら~」

に移る所。

メロディーの心地よさを文章だけで表現するのはかなり難しいのですが、サビ前からサビに移るところの躍動感がホントに気持ちいんですよね。

言い換えれば、聞き手を置いてけぼりにしないメロディーなのです。

個人的に感じていることなのですが、不安定で迷走しているメロディーの楽曲が多い気がするんですよね。そうした中でも、「正統派」の路線を崩さずに走る「途中下車」のメロディーには安心感も覚えています。

つまり、途中下車が奏でるメロディーと僕の心が音楽に求めているメロディーの周波数が完全に一致していたからこそ、幼いころから何回も聞いていたこの曲が、大人になった今でも僕の心に残り続けていると思います。

そして、大人になった今だからこそ、途中下車の歌詞が持つ意味に対してある程度の考察を加えることができるようになったのかなと思っています。

歌の解釈と教育

「途中下車」に関する僕なりの解釈を書いてきたわけですが、そもそも歌詞を解釈することってかなり難しい分野に属すると思います。

また歌詞の解釈は、人の考えや感情の幅を広げることができるジャンルだと思うんです。

個人的な理由は2つあります。

まず、正解がないこと。

歌にメッセージという命を吹き込む作詞家がつくりあげる歌詞が持つ意味は、聴いている人の年齢や職業・主義・状況などによって千変万化すると思うからです。

恐らくですが、小学生時代の僕が途中下車の歌詞を見たとしても、どのようなメッセージを伝えたいのかを理解することはできなかったと思います。

しかし、20代に差し掛かったぼくは、「生きる意味」や「人生」、「恋愛」、「友達」のような抽象的なことについて日々思いを巡らせるようになりました。

だからこそ、途中下車は今の僕にとって、上で書いたようなメッセージを持つようになったと思っています。

2つ目は、深い洞察力が身につくこと。

歌詞に込められたメッセージを自分なりに解釈するということは、抽象的なことを具体化する力を養うことができるということです。

今回紹介した「途中下車」の歌詞においても、「不器用」や「ネクタイを外し途中下車したまま」、「一人眠りたい夜」のように、一見すると何を言い表しているのかわからない部分があります。

しかしながら、歌詞を一つの物語として捉えることによって、部分部分の歌詞が持つメッセージが少しずつ分かるようになっていくのです。

また、歌詞の解釈技術は、アメリカやイギリス、オーストラリアなどの英語圏で人気の楽曲でも楽しむことができます。

しかも英語の歌の場合は、歌の意味を楽しく考えながら、英単語や会話文の言い回しなども身につけられます。

まさに、一挙両得なのです。

おわりに

今回は、嵐の「途中下車」という歌に込められたメッセージをぼくなりに紐といてみました。

普段移動中に流し聞きしている時には気付けなかったことも沢山あったので、ぼく自身も楽しみながら描くことができました。

次にこういうジャンルの記事を書くときには、ぼくが一番好きな嵐の曲である「素晴らしき世界」を紐といてみたいなと考えています。

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