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知ってほしいルッキズム。その褒め言葉、誰かにとってのトゲになってますよ。

先日、とある子どもの遊び場で
小学校高学年くらいの男児たちのある会話が
耳に入ってきました。

『〇〇のまつ毛、長くて女子みたい!
普通、まつ毛ってそんな長くなくない?』

言われた男の子は、
きちんと言い返していましたが、
いくらAIが発達した時代に変わっても
こういう会話ってなくならないんだ…。と
絶望したこと。

そしてその場を目撃しても
大人として
何も伝えられなかった自分もいたので、

ルッキズムについて真剣に取り組まねば!と
思い、少々赤裸々に自分の経験してきた
外見の評価との闘いについて書きました。

外見について何か言われて悩んでいる人や
ルッキズムについて知らない人に
特に読んでほしいです。

やや長文になりますが
読んで、いいな!と思った方は、
ぜひシェアやいいね!で
知らない人に届くように、
どうか応援をよろしくお願いします。

一重瞼が恥ずかしくて、アイプチが手放せなくなった過去


幼い頃、わたしは自分の容姿を
結構気に入っていました。
小学生までは、鏡を見ながらお気に入りの髪型をして、今日も可愛い!って本気で思っていました。



中学生になって
ブス!!と当時のメル友(?)に言われたことを
皮切りに、
気に入っていた一重瞼に自信がなくなり、


高校生になって
アイプチ(瞼を液体で接着して二重に見せるための化粧品)をするようになりました。


部活中もアイプチをしていて、
汗をかく運動部だったので
それはそれは大変でした。


そのうち、アイプチをしていないと
どこへも行けなくなりました。


それでもすれ違いざまに
他校男子からブス!!!!!と言われたり、
心にどんどんトゲが刺さっていきます。


整形を本気で考えて
術後のサングラスまで用意したものの
勇気が出なくてやめました。


大学は休学明けから
まぶたに黒めのアイシャドウを太くぬって
目を少しでも大きく見せるのに必死でした。


20代で飲みに行けば、
足の太さがちが〜う!(当時70キロくらい体重があった)
と後ろから言われ、

他にも書ききれない外見への評価という
トゲがたくさん心に刺さっていきました。


その美しさの基準。誰が作っているの?


平成17年あたりの当時、
雑誌やテレビには
二重瞼の目が大きめで体型は細めな人ばかり。


SNSなんてなかったから
毎月のティーン雑誌が唯一の情報源。


この日本には
二重瞼の人しかいないの?と錯覚するほど。

『一重瞼 芸能人』って探しても

この人は奥二重でしょ!!!!
と、希望を失っていました。


目は二重瞼で大きいほうが可愛い。
毛はなくて色白で
胸が大きい方がモテる。


とか、(他にもいっぱいありますよね…)

知らず知らずのうちに
美しいの基準のようなものが
わたしの中に刷り込まれていったわけです。

(他にもいろんなことが複雑に絡み合っていて
これが原因でこんなルッキズムがいっぱいの社会になった!というのは言い切れない。)


外見重視主義、ルッキズムを知ってから。


子育てをして、性教育を勉強していくうちに
ルッキズムという言葉に出会いました。


それからは、
自分の過去に傷ついてきた経験からも
人の外見を良くも悪くも評価する言葉は
かけないように特に心がけるようになりました。


良かれと思って褒めた箇所は
その人にとって気にしている部分のこともあります。


それと、日本特有の美しいの基準を広める
ルッキズムに、これ以上加担したくない。
何よりも子どもたちに受け継ぎたくないのです。


だから、わたしのチカラは小さいのですが
抵抗しています。


たとえば、
友だちに赤ちゃんが産まれたシーン。


目が大きくて可愛い赤ちゃんだね。と
たとえ思ったとしても、
たとえば他の人がそう言っていたとしても
絶対に言わないようにしています。


じゃあ相手に対して何も褒める言葉を
言えないの?って思うかもしれませんが
そんなことはないです。


笑顔が素敵で、
あなたといっしょにいると元気がもらえるよ!
とかは、伝えたらいいと思います。


つまり、整形やダイエットはおいておいて、
本来その人の変えられない体について
なんか言うのやめよ!ってことです。


あなたのその褒めたい美しさの基準って
どこから来たのか?
一度、考えてみてください。


そして、
人に伝えるときには気をつけてみてください。


きっかけは『見た目問題』を知ったことから。


わたしがこのことをnoteに書いてみよう!
と背中を押されたのは、

子どもたちに伝えるのに
ルッキズムについての絵本を
探して調べているうちに、

『見た目問題』解決に取り組む
npo法人マイフェイス・マイスタイル

の存在を知り、前川祐奈さんのことをYouTubeで知りました。


そして、マイフェイス・マイスタイルのHPで
紹介されている

『顔ニモマケズ』



『そのカワイイは誰のため?ルッキズムをやっつけたくてスリランカで起業した話』


を早速読んだ結果、

まずは自分の体験を語ること、
小さくても発信していくことを
やってみよう!と思って、書いています。


いまトゲが刺さっている、特に学生さんへ



今振り返ると、わたしにブス!!!などの
言葉を浴びせてきた人は
わたしの何を知っていたのでしょうか。

その『ブス』を信じて、
自分は欠陥人間だ、人生負け組だ!
なんて思っていたわたしを、

大好き!と言ってどんな時も側にいてくれる
大切な夫や子どもたち。

いまでも付き合い続けてくれる
友人と過ごしていくうちに

少しずつですが
刺さったトゲは無くなっていき、

いまでは一重瞼の上に塗っていた
黒いアイシャドウも必要がなくなりました。


学生のころは、自由なようで
人間関係も選びにくかったり(家から近いからという理由で同じ学校に通っていたりする)
お金もまだ親の管理で自ら環境も変えにくいし、
自分の好きな人とだけいようとしても
結構、厳しいですよね。

どうしても心無い言葉たちが
耳に入ってきたりすることも
あるんじゃないかな…

そんな環境もあって
外見についてのトゲが刺さると
取れにくいんじゃないかなって
わたしは過去の経験から想像します。


トゲを放つ人は、
『知らない』が故に、なにも気せず
放っています。


だから、それは気にする必要があることを
知らせる(上から目線でなくて)
必要があります。


わたしはなんの影響力もないのですが

あと、自分の過去を書くのに
ちょっと勇気が入りましたが、書きました。

大勢に向けて発信しなくても
誰か大切な友だち、家族とか、誰でもいいから
話しやすい人に悩みを打ち明けたり

自分の考えてることを、話して、知ってもらう。

逆に、あなたの大切な人のことも
知ろうとして聴く。

そこから一緒に始めませんか?


わたしも、小さいですが、
そうやって身近なところから
平和な社会を作っていきます。

見た目のことで悩むことは
ちっちゃい悩みじゃないです。
負けないでください。


@mayako_heart


追記

社会学の観点からルッキズムについて書かれたこちらのわかりやすい記事を読むと、このnoteに書いたことは、ルッキズムについて断定しすぎているようにも思えました。今の時点でのわたしの考えを公開していることを前提に、一度美しさについて立ち止まり考えるきっかけとして、読んでいただけると幸いです。
これからも知ること、考えることはやめないでいきます。

「場面と関係のない外見評価をしていないか」「社会の美醜観に、これまでの差別の問題が絡んでいないか」という二点は注視する必要があると思っています。

https://co-coco.jp/series/study/mikinishikura/

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