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ごてんまりを作っているとき、作家は何を感じているのか

こんにちは。秋田県由利本荘市でごてんまりを作っています〈ゆりてまり〉です。


先日NHKニュースこまちの番組で、わたしの活動を取材していただきました。
「ごてんまりを作っているとき、どんなことを考えていますか」という質問があったのですが、「集中しないと作れませんから、何も考えていません。」と答えました。
しかし後になって、確かに考えてはいないけれど、思っている以上にたくさんのことを感じながら作っていることに気づきました。

どんな色の糸をどこに刺すかと言った「視覚」はもちろん重要なのですが、それ以上に「聴覚」や「触覚」が大変重要です。

わたしたち手まり作家は、糸がまりの中を通るときの音や、針を刺したときの手応えなどを頼りにまりを作っています。

作家はふつう、そういったことを口にしません。
言語化する必要を感じないほど、作家にとってはあまりにも当たり前のことだからです。
わたしも記者に質問されて、ようやく気づきました。
しかし「視覚」だけでなく、「聴覚」や「触覚」をフル活用しないと、まりを作ることは本来不可能です。

まりは目に見えない部分があまりに多いからです。
わたしたちが「手まり」と思っているのは、実はまりの表層にしか過ぎません。
まりの大部分を占める裏側(というか中身)が具体的にどうなっているのか、製作した本人ですら全く分からないのです。
刺繍であれば、布の裏面を目で確認しながら縫い進める、ということが可能です。
しかしまりの場合はそれができません。
まりをひっくり返して裏側を見ることは、誰にもできません。

まりの美しい模様を作り上げるには、針で地巻きをすくう位置がもっとも重要です。
ですがもっと細かく言うと、針ですくうとき、まりの内部にある、適切な地巻きの糸を選ぶことが重要です。
選んだ地巻きの糸が適切でないと、最終的に表現したい模様が歪んでしまいます。
「どんな地巻きがいいのか」と言われると困ってしまうのですが、選ぶべき地巻きは、とにかく感覚で分かります。
適切な地巻きが見つかったときは、「よし、コレだ!」と手の感覚で分かります。
反対にうまく見つからないときは、まりの中に針を突っ込んで、しばらく探ります。
その様子は、採血検査をするときの看護師の手つきと似たところがあるかもしれません。
採血は上手な人であればあるほど、薄い表皮の上から血管を素早く探し当て、スッと針を差し込んで手早く終わらせますよね。
まり作りもそれに似たところがあります。

言わば、作家はまりと対話しているのだと思います。
まりの表面から適切な場所を探り、針を刺して目と耳で確認する。
そのとき、作家は何も考えていないように見えて、「この位置でいいかな?」「よし、いけた!」という対話を、日々何十回と繰り返しています。
針の位置だけでなく、力の入れ具合、糸のねじれや向きなども、同様に逐一確認します。
その対話は、繰り返すうちにほぼ自動化されてしまうので、作家自身その対話を行っていることに、なかなか気づきません。

しかし製作がうまくいかないときには、その自動化された対話とは違う何かを感じるので、すぐさま分かります。
ダメなときはダメな音がするのです。
まりは地巻きをすくう位置が重要だと前述しましたが、あまりにダメな位置で糸をすくってしまったときは、「キリキリキリ‥‥」という、なんとも嫌な音がします。
それはスムーズに糸が通らずに、摩擦を起こして糸が痛んでしまっている音です。
一度痛んでしまった糸は、二度と元に戻りません。
自分の主催しているごてんまり教室で、どこからかそういう音が聞こえてきたら、すぐさま製作にストップをかけます。

そういう音は作家以外の人には聞こえないのかもしれません。
本当に小さな音ですから。
そういう細かな違いに気づくことができるのが、作家の感覚なのだと思います。
わたしは他の作家がまりを作る音を聞いただけで、中身に詰まっているのは何か当てることができます。
糸がまりの中を通る音は、籾殻、発泡スチロール、綿など、それぞれ全然違います。

何がどう違うのか、言葉で説明するのは簡単ではありません。
それは感覚でしか感じ取れないものであり、分からない人には分からない、それこそ感覚の話だからです。
本来作家は、そのようにして己の感覚を鋭敏に働かせながら、製作をしているはずです。
それは思考とはまったく異なる分野で、やっていくほどになんとなく理解できるようになり、やがて自分の体から切り離せないほどに身につくものです。


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