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米泥棒 #ショートショート

  夜通しで米泥棒の見張りをせよと両親から命じられた拓斗は倉庫内でこごえていた。十月半ば。横殴りの雨がシャッターを打ちつける音が響く。記録的な冷夏で極度の米不足に陥り、全国の農家で米泥棒が出没していた。しかも夏からの雨がいっこうに止まない。
 米が傷むので倉庫の暖房使用は厳禁だ。寒い。寝袋から頭を出し、コンビニで買ったパンをかじりながらスマホを見ている。明日一時限目は出席必須の講義なのに。
 ……ったく。米がなけりゃパンを食えばいいではないか。って、どこかのお姫様が言ってたっけな。
 拓斗は米が嫌いだ。小中学校の給食。たまにパンではなく米飯が出たが、拓斗はたまらなく嫌だった。米農家の彼の家では三食必ず米であり、家でパンを見た記憶がほぼ無い。
 ふと、視界に黒いものがよぎった。その先を見やる。と、堆く積まれた米袋の影に小男がうずくまり、何かを食べている。しまった。何度かコンビニを行き来した際、裏扉の鍵を閉め忘れたのか。
 男に突進し、組み伏した。下敷きになった男は抵抗する様子なく、手にしたものを必死に口に押し込もうとする。……米だ。男のそばの袋が破られて米がこぼれている。

「お前、生米食ってんのか」

 男を結束バンドで縛った。身長が一五〇センチほどしかなく極度に痩せこけている。中年だろうが、文字通り骨と皮だ。ボロボロの着物の腰を縄で結び、禿げた頭頂部の両側からぼさぼさの髪が伸びている。落ち窪んだ眼窩の底がぎらぎらと光っている。

「飢饉で食うものがないんじゃ。壁土を食ったあと、かかあと子を殺めて食うた。そうして、意識朦朧となり、気がついたらここにいた。ここには死ぬほど米がある。お願いじゃ。どうせ死ぬ身、いまわの際に米をたらふく食わせてくれんかの」

 拓斗は後退った。それから恐る恐る近づき、男の腕にふれた。さわれるし、体温を感じる。幽霊かと思ったが、浮浪者の世迷言か。だが男の言う通りで、確かに気の毒だ。どうせ野垂れ死にするのだ。その前に善行を施してやろう。
 拓斗は歩いてすぐの家に戻ると丼茶碗に米飯を山盛りよそい、倉庫に引き返し男に与えた。割り箸も添えたが、男は涙を流しながら手づかみで米飯を喉に押し込んだ。

「ああ、ああ。これは殿さまが食う白めしじゃ。噛まずともつるつると喉を通ってゆく! 生まれてこの方、こんなうまいものを食うたことないわい」

 米飯の後、ペットボトルから紙コップに注いでやった茶を飲みながら男は言った。

「図々しいお願いついでなんじゃが、もうしばらくここに置いてもらえんかな。もう少し生きていたくなったでのう」
「ええ? それは困るよ。おっさん、死ぬ予定じゃないのかよ」
「では結構じゃ。米を食わせていただいた御礼に呪文を授けよう。……これを三度、天に向かって唱えると雨が止むでの」

 そう言うと男はすうっと消えた。拓斗は眠い目をこすりながらひとりごちた。

「徹夜がたたって頭がおかしくなったのかな」

 朝の五時。拓斗は裏扉を開けた。空が白み始めていた。雨脚はいっこうに弱まる気配がない。空に向かい、拓斗は男に言われた呪文を唱えた。

「てぢぬごん てぢぬごん てぢぬごん」

 白み始めたと思われた空がみるみる黒く染まり、雨はさらに強く横殴りに拓斗の頬を打ちつけた。それから半年も雨は降り続けた。
 作物の根は腐り、収穫できない。作物不足は物価高を生み、金持ちは海外へ逃げた。そうでない者はあらゆる娯楽をあきらめ、ただ息をするだけの生活を余儀なくされた。
 悪い連鎖は続く。令和〇年には富士山が噴火。関東の生活機能は完全に麻痺した。全国に散らばった避難者がやっと落ち着きを取り戻したころ、東海大地震、南海トラフ大地震が相次いで発生。
 拓斗は地震で両親を失い、天涯孤独の身となった。彼はいま、元は町の公民館であった避難所で、残り少ない米を前に考えている。潰れた倉庫のがれきを払い、かき集めた米だ。
 十キロ歩いて汲んだ渓水の残りはペットボトルに詰め、リュックの底に隠してある。食料を他人に見せてはならない。奪われてしまうから。次の配給がいつなのかは誰にもわからない。
 拓斗は柱の陰に隠れるようにしゃがんだ。そうしてポケットに入れた生米を少しづつ口に入れ、唾液でふやかした。うっすらした甘みが身体に染みわたる。これまで食べてきた米飯、パンとは比べようもない滋味深い甘みである。
 両目に涙がにじんできた。指で拭い、舐める。これも貴重な水分なのだ。
 つと、横の柱に貼られた鏡に気づいた。あの男がこちらを見ていた。


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