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「私の正しさ」を振りかざしてはいけないということではない

今朝、私の経験として表題の学びがあったので記録します。

「誰もが正しい、ただし全体からすると一部だけ正しい」

この言葉はシステムコーチングで学んだ言葉です。
これを簡単に解釈すると、私から見ると正しいと思うことも、他人から見ると正しくない、ということです。

それぞれの人から見える事実はそれぞれの事実であり、また、そこからそれぞれが正しいと思う行いも発生しうるということです。これが起こるのはそれぞれが持っている情報の違い、歩んできた人生、そこから生まれる価値観の違いから発生します。

この言葉を知っておくと、「私の正しさ」が、チーム、組織、会社、そして、世界全体に与える影響がある一方で、その正しさが与える影響が必ずしも良いものではない、ということを理解できると思います。

「私の正しさ」は悪なのだろうか

これを考えると、「私の正しさ」は正しいものではない、と考えてしまう人もいるかも知れません。

しかし、「私の正しさ」は私にとっては必要なものかも知れません。

さらに言えば、「私の正しさ」がチーム、組織、会社にとって良い影響を及ぼせるものかも知れません。

だから、「私の正しさ」は良いことである可能性を秘めています。しかし、同時に、悪いことである可能性も秘めています。

つまり、「私の正しさ」が良いか、悪いか、ではなく、この「私の正しさ」を持って、その場に与える影響がある、ということを知っておくことが重要なのです。

「私の正しさ」を振りかざすということ

「私の正しさ」を振りかざすことは、その場に与える影響があるということなのです。

「私の正しさ」を振りかざすことは、仮に悪い変化を及ぼす可能性があったとしても、「私の正しさ」はチーム、組織、会社にとって、「変化を起こすもの」である、と認識しておくことが重要です。

「私の正しさ」は危険なものなのか

「変化を起こすもの」であるのであれば、誰かを傷つけてしまうことがあるかも知れません。しかし、傷つけることが良いことなのか悪いことなのか、それは誰にもわかりません。

具体的な例で示すと、「私の正しさ」として、会社組織での振る舞いを考えてみましょう。

ある社員が、毎日遅刻してくるような振る舞いをしていたとします。その社員は全く悪気がなく、遅刻してくることが当たり前で問題の行動だと思っていなかったとして、何も言わずに見過ごすでしょうか。
こういった時、「遅刻することは悪いことだ、だから、遅刻をするな」と伝えるとしましょう。
これは彼にとっての正しさではなく「私の正しさ」を振りかざすことです。
「私の正しさ」によって、彼は傷つくかも知れません。反発するかも知れません。しかし、会社にとっては正しい行いであると同時に、彼の人生そのものに良い影響を与える可能性を秘めています。一方で、「そんな会社にはいたくない」と彼は会社を辞めてしまうかも知れません。

このような振る舞いを考えた時、「私の正しさ」とは危険なものなのでしょうか。

分かりやすい例を挙げましたが、人はもっと些細なことでも「私の正しさ」を振りかざすことをしています。

「私の正しさ」を振りかざす、ということは「変化を起こす」ことであると認識しておくことがやはり重要です。

例の話で言えば、今にも彼が辞めてしまいそうである状況だったら「遅刻は良くない」と伝えるでしょうか。私は恐ろしくて伝えられないかも知れません。

「私の正しさ」を振りかざし、「変化を起こすこと」に自覚的になることが大切

「誰もが正しい、ただし全体からすると一部だけ正しい」ということは「私の正しさ」を肯定するものです。否定するものではありません。

だから、「私の正しさ」を振りかざすことはいけないことではないのです。

私たちは「私の正しさ」が「変化を起こすこと」であるということに自覚的になることが大切です。
無自覚に変化に起こしてしまうことが良くないことなのです。

自覚的になることで、良い影響も悪い影響も考えながら行動することができます。

そこに「私の正しさ」がある時、それは場に変化を起こす良いエネルギーである可能性を秘めており、また同時に悪いエネルギーを秘めているとも言えるのです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。





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