父を継ぐ?
終戦後すぐに生まれた父は
あめったご飯(要は腐りかけ)を
水で洗って食べたそうです
どうして、日本には何もないんだ
どこにも、何にも
何にもないんだ
そんな自分がすごく惨めで
何もしてやれない家族が悲しくて
絶対に成功してやる、と心に決めたそうです
なので戦後の彼らは
ないものを、あるものにしてきた
毎日毎日休まず必死で働いて
毎日毎日文句を言わず耐えぬき
僕ら世代を養ってくれたわけです
すごい精神力
なので、キャンプだとか
クリスマスだとか
ハイカラなものは何ひとつ
我が家になかったのでした
俺が小学生の低学年だった頃
こどもの日に鯉のぼりが見てみたい
と言ったことがあります
父は
なんだあきら
おまえ鯉のぼり好きだったのか
と
翌週の日曜日(すでにこどもの日じゃない)
大きく真っ青な鯉のぼりを
クレーン車で吊るしあげたのです
子どもの目線から
優雅に空を泳ぐ鯉のぼりに
感動したのでした
ある年には
クリスマスツリーが欲しいと
言ったのです
すると
なんだあきら
おまえクリスマスツリー好きだったのか
と
鉄のパイプを溶接して
巨大なモミの木のモニュメントを作り
家の駐車場にブッ刺して
イルミネーションを点灯させました
まぁ、なんとド派手な演出だったことか
これに気分をよくした父は
俺が意外にイベント好きだと気づいたようで
夏のある日、駐車場で
中くらいのドラム缶を
真っ二つに切り始めました
その様子を自宅2階の
窓から覗いていたのですが
火花が凄すぎた(笑)
父親が火花のシャワー
浴びてるではありませんか
その真っ二つになったドラム缶を
セメントのブロックで作った敷居に
ドカンと乗せて
炭に火を入れはじめたのです
おい、椅子持ってこい
そう、BBQです
当時、BBQという発想は
どの家庭にもなく
これは何という食事形態なのか
呼び名すら分からなかったのです
味はまったく覚えてないけど
鮮明に覚えているのです
子どもながら
相当衝撃だったのでしょう
ないものを、あるものにする
父だけではありません
戦後の日本人は
ホンモノのクリエイターなんです
そして大人になってしまった俺
そんな父に育てられたからなのか
このくらいしてもいいか、の
このくらいがちょっとズレてしまい
我が家のクリスマスは
年々、派手さを極め
歯止めが効かなくなり
こんなになってしまいました
うちの子どもは
こんなん喘息になっちまうぞ
いい加減にすれ、と
激おこぷんぷん丸
友達の子どもちゃんたちは大喜び
ひと時ファンタジーの世界です
本当に喘息になられたら困るので
これをもってクリスマスツリーは終了
やり切った
父ちゃん、どや
と、言いたかったんでしょう
ちなみに父ちゃん
おいおいこれどうすんだよ、と
イルミネーション色の顔して
あきれてました
俺はというと
子どもの頃に、そんなだったのだよ
と、心の中でつぶやくのです
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