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a tempo

日本人なだけに
正月とお盆になると
心が騒がしくなる

ばあちゃん子だった俺は
盆ちょうちんの灯りの中で
仏壇をぼんやり見つめ
ばあちゃんの記憶をたどるのが
毎年の恒例だった

ばあちゃんは
俺が中学2年生の時にこの世を去った

学校の帰りは

毎日、病院に行って
ばあちゃんと
何があるとも言えない時間を過ごした

ばあちゃんも俺なんかと
話をする気力など
なかったのだ

ある日、いつものように
病院に行ったら病室に
ばあちゃんがいなくて
なじみの看護婦さんが

おばあちゃんは、家に帰ったのよ

と、あなたも家にお帰りなさい
と言わんばかりに
背中を押された

家に帰ったのか
そっか

言われた時
何だかワケが分からなくて
とにかく家に帰ればいいんだな、と
病棟を後にした

退院、したワケはないよな

昨日、声かけても返事もなくて
モルヒネで痛くないはずなのに
体だけがビクンビクンと痛がっていたんだから

病院の緊急出入り口を出て
坂道をくだった時

ばあちゃん、死んだんだ

と、遅れて気づいた

気づきたくなかったからなのか
ただ単に俺がバカだったのか
分からないけれど

小さな頭がプチッと弾けた音がした


歳とともに
ばあちゃんの中に疼く
本当の思いが分かる気がする

それは外側からじゃなく
内側からあふれ出てくるのだ

遺伝子とは、すごい

ばあちゃんは
思いのほかハイカラだった

タバコも吸ってた

水商売をしていたこともある

じいちゃんが働かないで
鮎ばっかり釣っていたから

ずっと氷を売って働きづめだった

なにせ、ばあちゃんは
もらい子だったから
文句を言う、という選択肢が育たなかった

不思議なものだ

母にも、もらい子の話がきたけど
間一髪、もらわれなかった

家系を絶やしたくないと
俺を養子にしたいと言い出した叔母もいたが
それも、かなわなかった

遺伝子が
それはダメだと、言ったんだと思う

そして

ばあちゃんは
仕方がなく
俺たちの世話をしたことも分かった

その思いも
やっぱり内側からあふれてくる

俺をかわいかった気持ちは
あったかもしれないが

そんなことよりも
仕方がなかった、のだ

生きるために


何度も何度も思いをはせて
いくつかの人生経験をして

やっと、そのことに気づけた

ばあちゃんは
人の洗濯物など洗いたくなかった
ばあちゃんは
人の飯など作りたくなった

ばあちゃんは
気ままに、気楽に
ひとりでいたかった

なのに、何ひとつ
そうできなかった

盆ちょうちんの灯りが
朧げだったから
誰にも見つからないはずだと
言い訳をして

俺は、ひとりさめざめと泣いた

とめどない感謝とともに


今年は、盆だからといって
実家には帰らない

ばあちゃんにすがる自分が成仏したから

母が盆くらいご先祖さまに
手を合わせなさい
というけれど

盆じゃなくたって
ばあちゃんには
いつでも声をかけられる

だからもう、盆だけ
ばあちゃんに手を合わせない

盆の行事をちゃんと済ます
いい子の俺で
ある必要も無くなった

これからは好きな時に

ばあちゃんに
ありがとうと言えばいい

俺が勝手に作り上げた
ばあちゃんの幻想は消滅したのだから

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