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真面目か!その2 ~成仏とはなんぞや、と考える~

ひと昔前、成仏とはなんぞや、と
同僚S子と話をしていたことがありました

成仏とは、仏教の言葉で
人が死んで魂になった時
あの世という極楽浄土に行ける
もしくは行けた、ということらしいです

仏教では、そのために残された側が
通夜と告別式をあげ
49日、新盆、1周忌、3周忌、7、11、13
お坊さんのお経が必要となります

そんなに
どうしてそこまでするの?
と思いませんか

みんな仕事も育児も家事もあって
毎日忙しいんです
と思いませんか

それは、ひとえに
これだけやってもまだまだ足りないくらい
成仏って難しいことなんです

と言われているのに、他なりません
(と、信じてあげましょう)

でも、みんな内心思ってるです
やり過ぎだって

話が変わるのですが

東北の震災のコラムで
津波にのまれた姪っ子を探して
毎日、海辺を探す伯母の話がありました

2年だったか、3年だったか
記憶が定かではないのですが
その長い年月を、毎日津波にのまれた海辺に来て
姪っ子の痕跡を探したんだそうです

一日も欠かさず、毎日毎日
そんなある日

あ、姪っ子は死んだんだ、と
頭では分かっていたことが
腑に落ちた瞬間があって
その日を境に
海辺に行くのをやめたんだそうです

俺は、このエピソードで
これが成仏なんだ、って深く納得しました

そうなんですよ

成仏ってのは
死んだ側の人間があの世に逝くことでなく

残された側が
やれることはやってみた
罪悪感が満みたされた
もう、十分だ

と腑に落として、未練と決別できることなんです

どんな人間も人間の子で
親の子ですから
他人を思う、という執着があります
(一定数、思わない輩もいますが)

この執着を手放すには
それ相当の時間と労力が必要だって
ことなんだと思います

だから、仏教では通夜があり告別式があり
49日に新盆に1周忌や3周忌がある

残された側の気持ちがブレることがなく
時間とともに、顔を忘れ、面影が薄れ
代を重ねると
誰だったのかさえ分からなくなる

そうやって、人の魂は成仏して
ゆくのではないでしょうか

両親が愛犬があの世に逝けたかどうかを知りたい
という人に何人も会ったことがあるのですが
それを本人が確証できる術は
生きている限りどこにもなくて

それこそ、お経をあげたり
霊媒師に除霊や祈祷をしてもらって
あぁ、できることは全部やった

だから、もう大丈夫だろう

と思うしか方法はないんです

人生は思い通りにいかないのが、当たり前
思い通りにいくはずだと
思えば思うほど
自分がつらくなるものです


下品な話ですが
1円でも安く
成仏してほしいじゃないですか

だったら、なるべく早く
その思いという執着を
手放したらいいんです

あなたがスパッと割り切らないから、ほら

今も、あなたのすぐそばに



真面目か!その1はこちら☟
※人生の参考には決してなりません
 読んで喜ぶのは、山ちゃんだけ


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