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熱を出せば、思い出す

夕方過ぎから体に異変を感じ
こりゃまずいな、と思った時には
ガクガクと悪寒が襲いはじめ
あっという間に、最高到達点40°の熱発

布団にうずくまりながら
遠のく意識を必死でつなぎとめていました

お恥ずかしい話、医療職でありながら
解熱剤を使いたくない、という思い込みがあり
8時間ほど39°~40°の間をさまよってました

うたた寝のような状態で
コクっと意識がなくなると
息を吹き返すように目を覚ます
また、コクっと意識がなくなっては
目を覚ますを繰り返し

このまま目を覚まさないんじゃないか
という恐怖にかられ

夜の2時過ぎに、ロキソニンを服用
その後、1時間半ほどかけて
汗とともに37°代へ
今は36.6°

とんぷくってすげぇ
早くから飲んどけばよかったです
何を我慢していたのか

朝を待って、上司に連絡
この後、職場でインフルとコロナのPCR検査

もし、いずれか陽性だったら
俺と接触した人の洗い出しです

インフルエンザしかなかった頃は
接触者の洗い出しなんてしなかったのに
コロナのせいで過敏に反応しすぎです

あの頃は、職員全員1ヶ月に1度
スクリーニング検査なるものがありまして
どこぞから譲り受けた検査キッドに
よだれをレロレロ入れたものです

スクリーニング検査の目的は感染拡大防止
なんてキレイに言ってましたが
実際のところは
潜在的な無症状感染者のあぶり出しで

やってることは、魔女狩りと一緒です

そんな現状ですから
熱を出すことは罪である、悪である
と刷り込まれてしまいました

パンデミック初期の頃
イタリアの医師が泣きながら
死の現状を話していたのを思い出します

メディアが煽る分だけ
意地でも熱を出せない、そんなプレッシャーの中
パンデミック2年目
息子が急性胃腸炎になった時
PCR検査をしてくれるところを探して
何十件も電話をしたのを思い出します

どこもかしこも感染者でいっぱいで
医療がパンクしていたのでした

当時は発熱した場合
最初の窓口が保健所でした
そこでは、いくつかの質問の結果
濃厚接触者ではないが、感染した疑いがある
みたいなことを受診先の病院に言うように言われましたが
病院でそんなこと聞かれたことは一度もありませんでした

公的機関と各病院の温度差がすごかった

あそこまで連携が取れてない国家事業
いまだかつてなかったんじゃないでしょうか

昨年、俺はコロナに2回感染しましたが
世界がコロナに慣れてきていた時でもあり
誰からも白い目で見られることなく
まるまる10日間×2、休ませていただきました

保険金もでたしね

昨年の7月なんて
5連休とって、神戸でユーミンのコンサート観て
奈良でのんびり観光して帰ってきたら、陽性
そこから10日間隔離療養

結局10日も出勤しなかったんですから
よくこんなんで、社会がまわっていたものです

まだ、コロナの燻りから
意識的にも抜け出せていないですが
あの3年間は、なんだったんだろう

未だに、夢のように思えるのです

検査、陰性でありますように

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