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仕事が出来ない②

紹介されたアルバイトは学童保育だった。放課後、親が仕事や用事で家に誰もいない理由等から、その時間子供を見守るといった内容だ。
面接は難無く通った。いつ以来か物事に全力で取り組む事がなくなっていた私が「どういうルームにしていきたいですか?」と聞かれ、それを熱心に伝えたのだ。言うは易しとはよく言ったものだ。
そのアルバイトが案外、「楽しい」と感じた。元々子供が嫌いなわけじゃなかった。彼らは今この瞬間を全力で楽しんで生きている。その無邪気さ故の残酷さが私には眩しく見えたのだ。
また、気付かされることも多く、子供達の視点というのは意表を突かれるものだ。自分自身は柔軟な考えのままだと思っていたのだが、いつの間にか若さは少しずつ消化されていくもので、気付かずの内に人格は変えようのないものに変わっていくことを知った。
その生活は私が思っているより流れは早く、気が付くと3年の月日が流れていた。
いつもの裏表のない残酷な質問だ。「暁先生は将来何になりたいの?」その問いに私は少し固まってしまった。小学生3年生の女の子は私の方を不思議そうに見ている。確かに。ふと我に返った。楽しさを現実逃避にすり替え過ごしていた私は、いつの間にか「やりたいこと」について考えるのを放棄していた。今この瞬間にも若さは消化している。実際、このまま学童保育で働けば楽しいだろうなと思っていたのだが、その甘い判断は許されない。大阪府は学童保育での正社員を主任と副主任に絞っている。その他はパート、アルバイトの枠組みだ。何度か主任に相談したことがある。「本職にするのには給料が安すぎるし、とてもじゃないけど1人では生活出来ないなぁ。」返ってくる返事はいつも私を焦燥感へ駆り立てる、現実を直視させられる。親はいつまでもいてくれるわけじゃない。いつかは誰しも自立をしなくてはならない。学生という社会への免罪符も期限が決まっている。「やりたいこと」を急いで探さなくては。
私は出来る限りの笑顔を見せ「秘密」と子供に返事した。

この不安と焦燥感の中で私はある人と出会い「やりたいこと」の輪郭についての答えを出していくのだが今日はここまでにしておこう。続きはまた近いうちに書いていこうと思う。


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