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小説に救われている

 先日、また小説を購入した。積読本が何冊か残っているにも関わらず、本を買ってしまった。書店に吸い込まれるように入っていって、私は陳列されている本を見ていた。何か仕事探しのヒントにならないかと考えていたものの、ビジネス本ではなく、小説の方に目が移った。『汝、星のごとく』の続編小説である『星を編む』が置かれていた。続編が出版されることは知っていたけれど、実際に目にすると手に取らずにいられなかった。

 『汝、星のごとく』は、凪良ゆう氏の著作で、今年の本屋大賞に選ばれた小説だ。一年前のある日、私の好きなアーティストがtwitterで絶賛していて気になって手に取った小説だ。彼は、「カフェで読んでいて涙が止まらなくなった」とつぶやいていた気がする。人々が行き交うカフェで、小説を読んでいて人目を憚らず泣いてしまう彼を想像した。そんなに感受性が強い人なのだろうか。彼の編み出す繊細な歌詞と音楽は、間違いなく彼の感受性によるものだ。私は疲れた時も、音楽が耳に入ってこない時も、彼らの優しい音楽に触れていた。透き通るような歌声が好きだった。私はその音楽に恋をしていた。好きなアーティストが読んで感銘を受けるような小説なら、是非とも読んでみたい。私を突き動かすきっかけは、いつも恋心なのだ。

 早速その小説を読んでみた。胸が苦しくなって、何度も読む手が止まった。孤独を抱え、群れから外れようとも覚悟を持って進んでいく主人公2人の物語であり、互いを憎み傷つけ合うほど愛する2人の物語だった。東京で一花咲かせる櫂と、四国で堅実に働きながら母を介護する暁海の対称的な生き方が描かれていた。ヤングケアラーや不倫や精神疾患など、描写がリアルで読んでいて苦しかった。お金のやり取りの場面が深く印象に残っている。毎月振り込まれるお金と印字された名前を眺める場面に愛を感じてしまって悲しくなった。序盤から中盤にかけて、大きな波が読者である私の心を荒らしていったが、終盤は瀬戸内海の凪の海を思い出させるほど静かに過ぎていった。悲しくて、読後に放心してしまうほど涙が出た。私にもここまで愛せる人が現れるのだろうか、など考えたりもした。愛するとはこんなにも苦しいことなのか。余韻に浸り、放心しながら愛することについて考えた。普段たくさん読書しない私が久しぶりに読んだのがこの小説で、本を読むことの楽しさを再確認できるようないい機会だった。私の中で大切な一冊になった。

 人生のテーマとなるようなこの小説の続編なら読むしかない、と思って購入した『星を編む』という小説、まだ読んでいないところが私らしいというか、ズボラだなあと感じる。本は何冊も積読してしまう癖がある。いつでも読めると思って放置している。本たちがかわいそうだが、寝かせることで味が出る本もあるのだと考える。手に取って読む時が必ず来るので、その時に何かに引き寄せられるように、私自身もその本を読む心の準備が整ったら本を読むようにしている。しかし、積読している本があるにも関わらず本を新たに購入してしまう癖があって困る。本を読む体力が本を読みたい衝動に追いついていない。『星を編む』と一緒に、『1973年のピンボール』を購入した。『風の歌を聴け』の続編小説らしい。村上春樹氏は流れる水のような、読んでいて不思議な気持ちになるような文を書くので好きな作家だ。昨日は読んでいる最中だった本を引き続き読んでいた。町田そのこ著『52ヘルツのクジラたち』を読了したので、日を改めて感想を書こうと思う。

 こうやって見ると、日常的に小説を読んでいるかはともかく、私は本好きなのだろうと感じる。小説を読んで想像力を働かせることが好きだ。登場人物の人生を追体験できるし、自分の人生と照らし合わせることもできる。小説を読んでいる間は余計なことを考えることもないので、現実逃避にもなり頭が整理されすっきりする。私は小説を読むことで救われているのだ。生きづらい世の中で逞しく生きていく登場人物を見ることで、生きる勇気をもらえる。夜の間30分でも1時間でも、スマホを置いて本を手に取る機会をもっと増やしていこう。そんなことを少し考えて、私は今日も小説を読む。

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