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なんかいい感じ

 納品されたものを陳列しながら、店内を掃除し、お客さんのレジもこなす、深夜のコンビニの営業ピークの時間帯。
 自分もやっていたからわかる。早く終わらそうとして自分のテンポで出来ないリズムになれば些細なことで苛ついていた。そうなると、接客など顔は無になり機械作業になる。早くやった分だけ、大抵二人で入る夜勤の休憩を回し合うことができる。だから、時間が奪われそうな事が起こると苛立っていく。切手ください、チケットの発券お願いします、これ宅急便お願いします、これはその最たるやつ。 
 結局、休憩時間など何もせず携帯を触っているだけなのに。
 
 そんな時間に立ち寄ったコンビニ。飼い犬を連れて近くにくくりつけようか思案していた。中から二人のアルバイトが出てくる。たまたま店内には客はおらず、それでも納品されたダンボールが山積みされている。たちまちあの頃を思い出し、酸っぱい息を吐いてしまう。それを放ったらかして、「可愛いですね、撫でてもいいですか」と。日本人ではないアジア系の二人。留学生であろうその二人は、楽しそうに恐る恐る僕の飼い犬を撫でている。「この前、店の前通っていたとき、かわいいなって思ってました」
 あぁ、こんなんいいなあ、って思う。この二人は業務に追われてないんやな、忙しいって感覚はあっても心は失ってないんやなあ、って。自分が恥ずかしくなる。
 何もしてもらっていないのに、幸せに感じた。僕の悩みに対する答えを貰ったとか、危険を助けて貰ったとか、分かりやすい形じゃなく、さらりとぽかぽかしたものを受け取った。
 日々はこれくらいの形で随分多くの幸せをくれている。だから、生きることはやめられない。こんな感じでいいんやと思う。人と人が寄り添うって、元来こんなことなんやと思う。
 今売り切れでどこにも売っていない、鬼滅の刃マン。ビックリマンフリークとして、鬼滅の刃を読んだ身として欲しいけど、どこにも売っていないから諦めていた。すると、たまたま一つ買った方から、「スーパーゼウスのやつ当たったけど全く興味ないからいる?」って、連絡来た。
 なんか感覚的な事やけど、ちょうどええくらいの事って必要なときに自分のサイズ感でぴったりやってくる気がする。それを頂ける幸せは勿論やねんけど、その連絡をわざわざしてくれたこと、そのタイミングがぴたっとハマること。それくらいのことのほうが、結局とんでもないことなんかな、って考える瞬間がある。

 手に入るかどうかもわからない、どうなるかもわからないことに心を使うくらいなら、今、大好きなアイクリームを食べてるほうがいい。その方が現実的。小言言われたおかんと喧嘩してるほうがいい。自分の好きなことだけ考えてりゃいい。それを邪魔されて怒ってる方がいい。
 

もしも、貴方が幸せになれたら。美味しいコーヒー飲ませて貰うよ。ブラックのアイスをね。