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 私はたけおくんが嫌い。放課後公園で楽しそうに花を摘むみちこちゃんの手から、それを奪い取って投げ捨てたから。どこからともなくあらわれて謝りもせずに去って行く。みちこちゃんは、投げ捨てられた花をぼうぜんと見つめて泣くしかなかった。みちこちゃんのワンピースは綺麗に洗濯されていて折り目がついてて、すごくいい匂いがしてる。そのことがもっと私をかなしくさせた。不似合いな涙がよりいっそう私の胸をしめつけた。みちこちゃんがかわいそうだと思ったし、謝りもしないたけおくんに腹が立った。
 だけど私はおんなで力も弱い。その上、声も小さいから口で言い合っても負けてしまう。だから、たけおくんの後をつけることにした。たけおくんの弱みをにぎればこちらが優位に立てると思った。ずるい気もしたけど四の五の言ってる場合じゃない。泣き続けるみちこちゃんの肩にそっと手を掛け、大丈夫だよ、私がなんとかしてあげる、って心のなかで呟いた。
 たけおくんはわたしが尾行しているのにも気付かず道の真ん中を歩いていく。一つの石ころを蹴りながら。誰かにぶつけたらどうするんだろう。きっとたけおくんは謝らないんだと思うと、また腹がたってくる。たけおくんの蹴る石が、急にびたんと止まる。その石をしばらく見つめ、ちっと舌を鳴らし、あきらめたようにたけおくんは歩きだす。その石に近付くと、石の下には犬か何かのうんちがある。どこかの飼い主がうんちをほうったらかしにして去ったのだろう。うん、これはたけおくんが舌打ちするのも当然だと考える。私はみちこちゃんの肩を持つけれど、そのあたりは公平にしたいと思っている。
だけど、あなたは舌打ち以上のことをしたんだと心の中で思う。私の背中にはみちこちゃんがいて、みちこちゃんのお洋服を洗ってくれたお母さんもいつの間にか共にせおっている。拳をぐぐっと握りしめる。握りしめた拳から怒りが強すぎて爪が皮膚に食い込み血が出ている様をお兄ちゃんの集めている漫画で見たけれど、私の拳からは絶対に出ない。力いっぱい握ってみるけど、痛くなって怖くなってすぐに手の平を開く。血がでるかどうかでいかりの度合いを評価しなくてもいい。私はじゅうぶんに怒っている。
 そんなことを考えている間に、たけおくんはどんどん歩いていく。あわてて追いかけるうちにひょいと左に曲がり新興住宅のよく似た家が並ぶ一軒の家に入っていく。どうやらそこがたけおくんのお家みたいだ。
 中から「ただいま〜」と、声が聞こえてきて「おかえり」と、優しいおかあさんの声が聞こえてくる。庭の窓からたけおくんが乱暴にランドセルを置いているのが見える。私はもっとゆっくり置く。だから男子はぼろぼろになるんだと思う。
 そのまま、かごの中の色んな色のキャンディを一掴みポケットに入れて、たけおくんは外に飛び出した。「夕方までには帰ってくる」とお母さんに告げ、たけおくんは学校とは別の方へ駆け出した。それを、やっとの思いでついていく。男子は速い。私は女子の中でも遅い方。でもこのときだけは、強い想いが私を走らせてくれた。やがて片側が田んぼになり、いつの間にか、田んぼに挟まれた通りを走っていく。こうなると見通しのいいおかげで、たけおくんを逃がすことはない。ふるびたお酒の自動販売機を通り越す。大人はどうしてお酒を飲むのかわからない。お酒のせいでおとうさんとおかあさんは時々けんかする。いつものおとうさんじゃない甘えた声で夜の遅くに帰ってくるからおかあさんは怒る。でもおとうさんはそんなとき必ずご機嫌で私に百円くれるから、怒ろうにも怒れない。でもおかあさんの手前、それを受け取ったあとは、ありがとうは言わない。もらったことをもらっていないことにして、かなしそうな目で、二人を見つめることにしている。おかあさんが怒るもんだからおとうさんもだんだん機嫌が悪くなる。けんかはよくないよ、って表情だけで訴える。私はわたしなりに色々考えている。
 一軒の古い家がぽつんと建っている。たけおくんは、躊躇いなくその家に入っていく。私は入れないから塀伝いに裏手に回る。庭が広がっていて、たくさんの花が植えてある。塀の隙間から覗いていると、たけおくんが庭にでてくる。おじいちゃんとおばあちゃんも出てくる。たけおくんはにやにやしながらぽけっとをまさぐる。ぎゅっと握った拳を開くと、色んな色のキャンディがでてくる。その中から、真っ白のハッカ味を選んでおじいちゃんとおばあちゃんに渡す。二人は「ありがとう。またくれるんか。たけおは、やさしいなあ」とたけおくんの頭をがしがしおじいちゃんが撫でる。たけおくんは嬉しそうにはにかむ。「優しくなんかないよ。最低な人です。友達の心を、踏みにじりました」って言いたい気持ちをこらえる。今じゃない。弱みを見つけるのが私の仕事。私は公平。ルールを守る。今飛び出してそれを告げたらきっとたけおくんは怒られる。大人の声で。今頭を撫でてくれた大人に、たけおくんはきっと怒られる。それはとんでもなくかわいそうなきがする。味方だった人に嫌われた気持ちになるだろう。ずるい気がした。だから、私は決して言わないことにする。
 おじいちゃんが縁側に座りゆっくりと煙草を吸い始める。煙をくゆらせおじいちゃんはうまそうに口をすぼませる。おばあちゃんはハッカ味のキャンディを口に放りこみ、庭の花に触れる。たけおくんはおばあちゃんの後ろにぴったりくっついてそれを眺める。ずうっとそうしてきたであろう自然な距離感をうっとりと見てしまう。あったかいなあ。おじいちゃんとおばあちゃんの家は遠いからお盆と正月位しか行けない私は泣きそうになる。
 「あら。たけお。そんな強く水をだしたらいけないよ」気づくとホースを引っ張って、たけおくんが花に水を撒いている。その水圧が強すぎておばあちゃんが注意をしている。「ごめんね」ってたけおくんが謝っている。私は驚く。たけおくんの口からそんな言葉が出てくると思っていなかったから。生まれたときに何かの間違いでおかあさんのお腹の中に置き忘れたもんだと思ってたから。なのに、たけおくんがごめんねと口にした。
 「花はね生き物なの。私達はそんな花達のお手伝いをしてあげるだけ。だからお花の邪魔をしちゃいけないんだよ」「うん。ごめんね、おばあちゃん」
おじいちゃんは聞こえているのか聞こえていないのか、空を見ながら煙草を吸っている。柔らかい放物線を描いた水が花びら、葉、茎をつたって土に落ちていく。陽に照らされた私の影が塀と一緒にたけおくんのそばに垂れる。
 ランドセルからノートと鉛筆を取り出す。「あしたの学級会で話すこと」と乱雑にペンを走らせる。今日みた景色を切り取りたい一心で。公平にそれぞれだめだなって思ったところを書き連ねる。私は公平。このたっぷりのまあるい景色を胸に忍ばせて。
 
 

もしも、貴方が幸せになれたら。美味しいコーヒー飲ませて貰うよ。ブラックのアイスをね。