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「白夜行」東野圭吾/圧倒的な構成力!しかしここでも東野は実力を出し切らない

※中の人は現在、世界放浪中です。
いずれ旅の報告するかもしれません。


ずっと家にあった一冊だ。東野の本はいくつか読んできたが、この本は読んだことがなかった。トリックだけのミステリー小説のくせして気取ったようなタイトルをつけているのが気に入らなかった。

この本と、バンコクのバックパッカー宿で再会した。にわかに小説を読みたくなり、手に取った。せっかく海外にいるのに…と言われかねないだろうから、もう少し本当のところを話すと、旅のペース感を掴むのに本を読むのはちょうど良いと思ったからだ。高校生の時、東北・北海道を一人旅をした。せっかく旅してるんだから毎日どこかしら出向かなければと思ってあちこち移動して、その結果疲れて家に帰った。しかし今回の旅は長期戦だ。旅のペースを掴めていない最初の頃に頑張りすぎると、心が折れてしまいかねない。一箇所か二箇所見て回ったら帰って本を読む。そうやって強制的に脳を休ませる時間を作るためにもいいと思った。

(あらすじ)大阪の廃墟ビルの中で質屋の店主が何者かに殺される事件が起きた。警察は周辺人物に疑いの目を向け、犯人はすぐに見つかるかと思われた。しかし容疑者の事故死・自死が続き、捜査は打ち切りに。しかし残された子供たちの周辺で不審な事件が起きていく。事件は終わっていないのか、真相はどこにあるのか?

(感想)この本を読むまで、東野圭吾の印象というのは「適度に頭を使うトリックでクセにさせる大衆向けのミステリー小説家」というものだった。しかし、白夜行は彼の実力(の一部)を見せつけるかのような鮮やかな構成になっていた。事件から20年近くにわたる長い期間をこの物語は進んでいく。大勢の人物を登場させ、時間経過と進展と共に、彼らの視点から事件の全容を少しずつ見せていく。東野はどれだけの細かいプロットを作ったのだろう。彼1人の脳の中でこの壮大な世界を広げていったと考えると感服するしかない。本の裏表紙には【傑作ミステリー長編!】と書いてあるが、傑作なのはトリックが鮮やかだからではない。人間の心の奥底に泥のようにたまっている暗部を巧みに解剖して見せているからだ。ミステリーとして傑作なのではない。物語として傑作なのだ。この小説の素晴らしさはジャンルに依拠したものではない。

ただ、不満なこともある。それは、東野はいまだに実力を出し切っていないのではないかということだ。情景描写など、もっと細かく、言葉を操る小説家としての全体重をかけ絞り出したような表現があるのではないか。これだけの見事な構成の小説を見せられると、もっと凄みのある文章で書かれたものを読みたいという思いに駆られる。
しかし、硬派な表現にしなかった(できなかった)東野の思考回路を想像することもできる。それは読者層の問題だろう。東野の小説は、あまり小説を読み慣れていない層のファンが多い。凝った表現をすると、本好きは歓喜するだろうが、ついていけない人も多くいる。特に東野圭吾のファンには後者が多いはずだ。そして、東野は本を売るために徹底して表現を抑制してきた人間だ。小説を商売の道具に過ぎないとドライに捉えているからか、寡作より多作がいいと思っているからか。彼の表現が暴走したことはない。常に自分でラインを設定して、一定を超えないようにしている。
私は東野に「これで満足しているのか…?」と問いたい。もっと自分の表現を追求したいとは思わないのか。白夜行を、もっと濃度の高い作品に仕上げたくはないのか。この物語の軸である彼らをの輪郭や感情の機微を、読者にもっと細かく見せたくはないのか。。。

まぁつまりは、これだけの東野への熱い思いをこの小説で持つに至ったということだ。文学的栄養素が少な過ぎて、「東野圭吾は卒業だ」と思った自分が、驚き立ち止まった。日本を代表するベストセラー作家に講釈垂れるのも恐縮だが(今更)、何らかの形でアンサーが返ってくることを期待したい。

『白夜行』(びゃくやこう)は、東野圭吾の小説。集英社『小説すばる』1997年1月号から1999年1月号に連載され、1999年8月に刊行された推理長篇である。白夜は「日の出前および日没後のかなり長い時間にわたって薄明が続く現象」である。
連作短篇として連載されたが、単行本は長篇に再構成して刊行された。発行部数は2005年11月の時点で55万部程度だったが、テレビドラマ第1話放送前後に売れ行きが伸び、2006年1月に100万部を突破。2010年12月時点で200万部を超えた。
2005年に舞台化、2006年にテレビドラマ化された。2009年に韓国で、2011年に日本で映画化されている。

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