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【小説】ママとガール[12]「エンブレム付きのブレザーとグレーのパンツスーツ」

12「エンブレム付きのブレザーとグレーのパンツスーツ」
 
 卒業式の件も済み、あとの心配は受験だけだった。試験を終えたきら子は気が抜けたような気分で、結果を待っていた。
 その日、きら子は佳男の店にいた。まだ出ていない試験結果にきら子は苛立っていた。内申は確実にとんでもなく悪い。だが、意欲と実力では誰にも負けない。そう思っていたものの、実際の結果がどうなるか不安だった。どうにも集中出来ず、いつもやっているプライスタグ付けすらなかなか進まなかった。
「きら子、今日おかしいぞ」
 佳男がそう言ってきた。今日の自分は駄目だ。きら子は、諦めて手を休めた。
「受かってるかな、私」
「結構いい反応だったって言ってたじゃん」
「でも、どうなるかわからないじゃない?」
「わかんないならそんなに考えても仕方なくない?」
 佳男が言う事はもっともだった。いじいじしている自分が嫌になって、きら子は口をつぐんだ。店内が、妙に重苦しい雰囲気だった。自分のせいだ。そう思ってきら子は首を横に振った。
「大体、お前は幸せ者なんだからさ。そこまで考える事ないって」
 佳男が、段ボールを畳みながら言った。
「幸せ者?」
「そうそう。若いわ、金稼げるわ、お母さんもいるわ、俺みたいな友達もいるわ、遠距離だけど彼氏もいるわ。無敵じゃねぇ? 何も怖い事なんてないだろ」
 佳男は段ボールを畳み終わり、それから立ち上がって大きく伸びをした。「全然終わらねぇ」と言いながら、裏手の倉庫に行こうとする。きら子は、その後ろ姿に思わず聞いた。
「友達だって思っててくれてるんだ?」
「へ?」
 佳男は振り返り、ぽかんとした顔で言った。
「だって、私、子どもじゃん?」
 おずおずときら子は言った。すると、その瞬間、持っていたTシャツを放り出して佳男は爆笑し出した。
「お前、いっつも子ども扱いするなって全身で言ってる癖によー」
 そう言って、腰を折り、佳男は笑い続けた。真剣な質問を笑って返されてきら子はむっとした。同時に恥ずかしさが込み上げてくる。言い返したいけれど、次の言葉が浮かばない。
 佳男が、続けて言った。
「お前の売り方は子どもじゃねぇ。商人だ」
 それにしたってよ、と、佳男は続けながら、ひたすらに笑い続けている。きら子は憮然とした気分で、側にあったTシャツを佳男に投げた。佳男は、そのTシャツを上手にキャッチしてこう続けた。
「友達だろ。何だよ、そんな事も知らなかった訳?」
 満面の笑みで、面白そうにきら子を見やり、佳男は言った。きら子は小さく縮こまりながら、答えた。
「うん」
「子どもだー」
「商人です」
 言い返したきら子に、佳男はまた大きく笑った。
「よし、その調子だ。まぁ、高校が何処も駄目ならうちでバイトしなよ。レディースも増やしたいしさ」
 佳男がそう言って倉庫に引き返そうとした。きら子は驚いて顔を上げた。
高校が何処も駄目なら、うちでバイトしなよ。その言葉を、胸の内で繰り返した。
 きら子は、倉庫に向かう佳男の後ろ姿に話しかけた。
「あのね、佳男ちゃん」
「どうした」
「私、友達って初めて出来た」
 ドアに手をかけていた佳男が振り返り、言った。
「何、言ってんだよ、これからいくらでも出来るよ」
 きら子は下を向いて、言った。
「あれ、思い出す。小学校のとき歌った歌。ともだち百人できるかな、ってやつ」
 佳男が、きら子の方に引き返してくる気配がした。きら子はそれでも顔を上げられず、俯いたままだった。きら子はぽつりと呟いた。
「出来るかな」
 本当は、まだ不安だった。もう大丈夫、と自分に何度も言い聞かせた。けれど、中学校一年の時の出来事は、やはりまだきら子の胸に影のようにじんわりと巣食っていた。
 俯いたきら子の後頭部に、佳男がぽんと手を乗せた。
「出来るよ。あのな、知ってる? 本当の友達ってのは一人で百人分なわけ。だからお前は千人作れ」
 うん、ときら子は頷いた。よし、と佳男は言って、倉庫へ行き、段ボールを持って戻ってきた。

「私も手伝う」ときら子が言うと、「じゃあ、とりあえずジュース買ってこい」と千円札を渡された。「きら子の好きなお菓子も買っていいぞ」佳男がそう付け加える。きら子は「子どもじゃないんで自分で買います」と答えた。それを無視して「俺、うまい棒明太子味ね」と佳男が言った。「ビタミンとか取らなきゃ駄目だよ」ときら子が返すと、「お前、おかんかよ」と佳男が笑った。

「いってきます」
「いってらっしゃい」

 佳男が服に目を落としたまま、言った。いってきます、いってらっしゃい。こんな風に言える場所が家以外にも出来るなど思いもしなかった。佳男ちゃんに、うまい棒の他に栄養ドリンクでも買っていってあげよう。そう思いながら、近くのコンビニエンスストアまで歩き出した。
 
 合格発表の日、きら子は夢子と共に合否を見に行った。結果を見に来た生徒の大半は制服を着ていて、私服の生徒は数える程しかいなかった。だが、数少ない私服の生徒には髪を真っ赤に染めて見るからにパンクが好きそうな格好をしている子や、ぴったりしたロングブーツにファーのコートを着て付け睫毛をした昔のフランスの女優のような子がいて、きら子はわくわくした。あの子達は何処で服を買っているのか聞いてみたいと思った。

「きらちゃん、受験番号は何番だっけ?」
 夢子がそわそわときら子に聞いた。まだ、合否を確認していないのに早くも周りの子を気にしている自分にきら子は慌てた。
「あ、これ、受験票」
 夢子に番号を見せ、張り出された受験番号から自分の番号を探す。目を凝らして眺めていると、夢子がきら子の肩を揺さぶりながら言った。
「あった! きらちゃん、あったよ!」
「やった!」
 そう叫んだ瞬間、夢子が、きら子をぎゅっと抱き締めた。きら子も夢子を抱き締め返した。すると、背後から声が聞こえた。
「受かったの?」
 振り向くと、髪を真っ赤に染めた子がきら子と夢子を見詰めていた。
「あ、うん。あなたは?」
 きら子は驚きながらもそう聞き返した。
「うん、私も受かった」
 真っ赤な髪の子が照れたように投げやりに言った。
「これから、一緒だね」
 そう言うと、きら子は、夢子の腕の中から抜け、赤い髪の子に手を差し出した。
「よろしく」
 そう言い合う二人を、夢子は眩しげに見詰めていた。
 
 卒業式当日には、雨が降っていた。家に何度もかかってくる電話をきら子は無視した。
 きら子は紅茶をゆっくり入れて飲み干した。三年前の同じ時期にこの町に来て、あの学校に通い出した。そして、今、学校が終わる。
 佳男からは、学校が落ち着いたら、正式にアルバイトをして欲しいという打診があった。これからレディースの商品の取り扱いも始めるそうだ。そのうち、一緒に買い付けも行けたらいいな。佳男はそう言ってくれた。きら子はその為にも一層、英語の勉強をしようと思った。

 部屋のチャイムが鳴った。休日出勤していた夢子は、夕方には帰ってくると言っていたが、時刻はまだ三時だ。訝しく思いながら、きら子はインターホンの受話器を取った。
「はい」
「私、山根」
 驚きの余り、きら子は黙り込んだ。
「もしもし?」
山根が不安げに声をあげた。きら子は慌てながら、ドアを開けた。
 きら子の姿を見て、山根は照れたように小さく笑った。髪を後ろで一つに結び、ブレザーの胸元に花を差している。手には二つの卒業証書を持っていた。
「担任から、無理矢理奪ってきた」
 そう言って、山根はきら子に卒業証書を手渡した。
「なんで?」
 きら子は卒業証書を受け取りながら、山根に聞いた。
「あんたに言われてから、ずっと考えてた。お父さんがいないから、あんたは不幸なのかよって。最初からそうやって諦めてるんじゃねぇよって」
 山根は、そうぽつりぽつりと話し出した。
「誰も今までそんな風に言ってくれる人、いなかった。わざわざ、あんな風に追いかけてまでさ」
 そう言うと、山根はくすりと笑った。あの時の自分の必死さを思い出してきら子は気恥しくなった。山根はそのまま話を続けた。
「式に出る事で、教頭とかと揉めてたでしょ。私、あの後、担任にこう言われたの。『山根みたいに大変でも頑張ってる子がいるのに』って」
 山根はそこで小さく舌打ちを漏らした。そして、一息に続けた。
「何だよ、それって思った。勝手に比べてんじゃねぇ、って思った。大変でも頑張ってる子がいるのにって何だよって。勝手に私を不幸にするなって」
 山根はそう言って、下を向いた。もういい、わかった。きら子は、そう言いたくなった。わかるから。そう言って山根の肩に手を置こうとした。だが、山根はその瞬間にばっと顔を上げた。
「そんな事、別にどうだっていい。そんな事、別にどうだってよくて、私は、」
 山根の瞳が必死にきら子を見つめていた。きら子は小さく頷いた。山根はその頷きに力を得たようだった。一息に、山根が言った。
「あんたが私を好きって言ってくれたみたいに、私もあんたがやっぱり好きみたい。憎らしかったけど、目ざわりだったけど、私、やっぱりあんたと会えてよかったみたい。あんたは全然学校に来なかったけど、それって私のせいだけど、」
「いいって、もう」
 きら子は山根の言葉を遮って言った。山根は俯き、口を閉じた。そして、そのまま、小さく呟いた。
「会えてよかった」
「うん」
 山根の言葉に、きら子は満面の笑みで答えた。

 それから、二人はお茶を飲みながら進路の話をした。山根は近隣で二番目に偏差値が高いと言われている高校に行くという。きら子がファッションの専門学校に行くと言うと、山根はこう言った。
「そんなにすぐに自分の行く道を決めるなんてすごい」
「すごくないよ。単に好きだから」

 そう言うと山根はきら子が作った服を見たいといい、きら子は卒業祝いに山根が一番気に入っていた自作のワンピースをあげた。
 しばらくすると、山根は帰宅していった。ほぼ入れ替わりで夢子が家へと戻ってきた。

 きら子は、山根との顛末を話した。夢子は話を聞き終えた後、こう言った。
「きっと、山根ちゃんときらちゃんは本当の友達になれるね」
 きら子は、そっと頷いた。
「今日はきらちゃんの卒業祝いをしよう。きらちゃん、何が食べたい?」
 夢子がうきうきとした調子で言う。
「だったら、シェ・スズキに行きたい」
 この近辺では一番有名なイタリアンレストランをきら子はあげた。
「中学生の癖に贅沢ねぇ」
「もう中学生じゃないよ」
 きら子は小さく笑ってそう言う。
「そっか、そうだったね」

 夢子が、目を細めてきら子を眺めた。

 シャワーを浴び、髪をブローし、服を選んだ。何だか急に学生らしい格好をしたくなって、エンブレム付きのジャケットにブロックチェックのスカートを選んだ。夢子は光る素材のグレーのパンツスーツに、エナメルの細いピンヒールを合わせた。

「我ながら美人親子よね」
 鏡を見ながら、夢子が言う。
「本当、何処までも能天気だよ」
 きら子は、そう答えて笑った。

 時刻は六時を回っていた。日は既に暮れていて、あたりはもう暗い。午前中に降っていた雨は、既に止んでいた。夜風は、まだ肌寒かった。けれど、民家の軒先にある桜の蕾はかすかに膨らみかけていた。

 きら子のポケットの中で携帯が震えた。きっと、翔太からだろう。きら子はすぐさま携帯を見た。

『件名 祝・卒業
本文 きらちゃん卒業おめでとう! 進路は俺の嫁に決定で。多分これから俺すげぇサッカー選手になるし、そしたらきらちゃんはセレブだね』
ブラジルは今、朝の六時だ。きっと翔太は朝の練習前にパソコンを立ち上げ、このメールをしている。きら子は笑いを堪えながら返信をした。
『件名 セレブとか
 いいです。庶民最高。古着大好き』

 すると、すぐさま、返事が来た。

『件名 えー
 庶民は無理だって。俺、蝶のように舞い、蜂のように刺す偉大なサッカー選手になるから。そしたら自動的にきらちゃんセレブじゃん』
『件名 本当に知りたいんだけど
 どうして、いつもそんなすごい自信満々なの? ある意味、憧れるよ』
『件名 それはな
 俺は俺が好きで、きらちゃんの事も大好きだからだな』

 きら子はそのメールを見て思い切り噴き出した。本当、翔ちゃんは馬鹿だ。きら子は一人、くすくすと笑う。笑いながらも、胸の内に染みとおるきらめきを感じていた。

『件名 ばーか、ばかばか
 でも、私も大好きだ』

 きら子は、そうメールを打ってもう一度笑った。

 今、きらきらときら子の胸が輝くように、きっと翔太の胸もブラジルで輝いているだろう。きら子はその事を知っている。まるで、きら子と翔太の胸の間に太いパイプがつながれているかのように、地球の表と裏ですらきっと今の鼓動は通じている。

「きらちゃん、早く! 今日は奮発してコース予約したんだから」
 先を行く夢子が振り向いて、そう言った。きら子は、携帯をしまい、夢子のもとへ走り出した。
夢子は、水たまりを飛び越えようとして失敗し、危うく転びそうになっている。
「お母さん、危ないってば、もう。いい大人なんだからやめなよ」
そう言いながら、きら子も笑う。
「きらちゃん」
夢子がもう一度、きら子の名前を呼んだ。
きら子は、その声で大きく前に一歩を踏み出した。
 
 きっと、私にはこれからいろいろある。今の自分には想像もつかないような残酷な事やハードな事。私は、何度もそれにぶち当たり、時には、それに負けて思い切り打ちのめされるのだろう。だけど、私は絶対に大丈夫だ。

 きら子は、その確信が静かに自分の中に広がっていくのを感じていた。

 入学願書に履歴書、住民票に契約書にパスポート。それらに自分の名前を書き込む度に、きら子は知る。

 きらきらと星のように輝くように。薄闇に染まる東の空にいつも上るように。曇りでも雨でもそこにあるように。いつも誰かがそれを見上げているように。何万年も前からこの場所に光が届く事が決まっているように。夢子がつけたその名前の意味を。


かつて不登校の中学生だったわたしの2022年のつぶやき

土日を挟んでようやく最終回アップしました。

「お父さんがいないから、あんたは不幸なのかよって。最初からそうやって諦めてるんじゃねぇよって」

山根との顛末はわりと実話なんですが、本当のところはケンカ別れしたままでした。
こういうところで、小説というフィクションの世界を使ってわたしはわたしを保っていたところがある。

あの時、言えばよかった、あの時、こうすればよかった、あの時は気付かなかったけれど、本当はこうだったんじゃないか。

そう考えること、感じることは誰にでもあって、けれど、時間は巻き戻せない。

私の小説は、「自分の経験をベースにフィクションを作る」というものがほとんどでした。
それは、「取り戻せない何かを違う形で取り戻す」「新たに書き換えることで望んでいた未来をもう一度作る」という作業に近かった、と今は思います。

もうひとつ、これが最後の完成している未公開原稿があって。

それを公開したら、完成している未公開原稿はすべて終わる。

そうしたら、ようやくわたしは「フィクションはフィクションとして」「エッセイはエッセイとして」書くことができるようになると思う。

そうしたら、これも中途で止まっている小説を書くまでの私の話も再開することができるだろう。

なぜ、未公開原稿を発表しているのか。それはフィクションでありながらも、それを書いていた私の人生は本当で、そして、そのフィクションと現実が密接に絡まり合っているのが私の人生だったからだ。

そして、フィクションにしなければ生きていけないぐらいに私は私の人生が辛かったからでもある。

それを認めることができて本当によかったと思う。

ここから、ようやく「フィクションはフィクションとして」「エッセイはエッセイとして」書くことができ、そして、わたしの人生が始まるのだと思う。

今回も読んでくれてありがとう。次回からは沖永良部島でリゾートバイトをしていた頃の話をモチーフにした未公開小説を公開します。


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私の作品紹介

作家/『ILAND identity』プロデューサー。2013年より奄美群島・加計呂麻島に在住。著書に『ろくでなし6TEEN』(小学館)、『腹黒い11人の女』(yours-store)。Web小説『こうげ帖』、『海の上に浮かぶ森のような島は』。