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『読まれたいひとりごと』 #8 才能と言ってくれた人

SNSで知り合って、ブログを読んで実際に会いに行った経験はある。だけど、リアルではもう何年も「ブログが趣味」という人に出会っていない。そして私も、1月から始めたこのnoteの事はまだ誰にも話していない。

マラソンという一つのテーマでこんなに次々と記事を書けるとは思っていなかったし、投稿数が20本を超えて、マラソンでも結果を出して「どうぞ見てください!」と言えるレベルに達してからなんて思っていたら、昨日の大会ではワースト記録を更新してしまった。それでも、noteのマガジンとしてはこれまでを振り返って、一区切り出来たから良かった。だけど、自分の過去の投稿を読むと毎回、改善点やツッコミどころを見つけてしまう。サブタイトルと内容が噛み合っていなくて「もっと良いの無かったの?」と言いたくなるし、【アラフォーマラソン体験記】というマガジンのタイトルにだって納得していない。それでも、何年も前に自分が書いたメンヘラポエム的なものを突然見つけた時には大爆笑して、もう一度読んで「いや、これ真理だよな」なんて言い出すくらいで、下手でも何でも自分の文章が好きなのだ。

フォロワー数が多かったり、コンテストで入賞した経験があるわけでもないのに、こうして文章を書くのが好きと言えるようになったきっかけがある。

数年前、1日だけの単発のアルバイトをした。商品を袋に詰めるだけの仕事で、同性代の女性たちと話をしながら作業をした。いつもなら仕事が終わって現場で解散したらすぐに帰るのに、そのうちの一人と親しくなって話が止まらなくなり、駅まで一緒に歩いた。服を作って売るのが好きという彼女が「服のデザインを考えながら出来るから、こういう単純作業が一番好き!」と言うので「私はブログを書いていてね、次に書くテーマとか文章の構成を考えちゃうからわかる!」と盛り上がってしまった。すると、思いがけない一言が返って来た「ねぇ、それは才能だよ。」そう言われても私はブログで稼いでいるわけでもないし、プロを目指しているわけでも無かった。そう伝えても彼女は「才能」という言葉をさらに強調した。私が書いたものを見せたわけじゃない。あの頃の私は生きづらさや誰にも話せない苦しみを殴り書くようにキーボードを叩いていただけだ。そんな状態の自分を支えてくれた人の話だっていくつも書いていたけれど、堂々と見せられるものではなかった。それでも、彼女の言葉が何も無いはずの私に不思議な希望を与えてくれた。

結局、今日は何が言いたいのかとまた自分からのダメ出しが入るのだけど、ちゃんと考えてあったのを思い出した。ブログを書いている皆さん、その活動がオープンなものでも秘密でも、趣味でも仕事でも、文章を書ける時点で自信を持って良いのかも知れません。書く習慣が無いとちょっとした説明文や手紙でも大変らしいです。こうして読む人に呼びかけてしまったらもう「ひとりごと」では無くなってしまうというツッコみどころが出来てしまったので、この『読まれたいひとりごと』というシリーズのタイトルも見直す時期が来たのかも知れない。

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