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『読まれたいひとりごと』 #6 全てに感謝、なんてしない

タイトルの通り、今日は「全てに感謝、なんてしない」という話を書くつもりでいた。人生のあらゆる出来事を「必要な経験」として美化されるのが嫌いだからだ。ところが、うっかり良い思い出を引っ張り出してしまった。

辛い思いをした本人が「勉強になった」と言うのは自由だれど、悩んでいる相手に向かって「勉強になるんだから」と言う人の気持ちは理解できない。

悪い出来事なんて経験しない方が良い。人の為にも自分の為にもなるとは限らない。だから、過去を振り返って例を上げようと考えを巡らせた。特定の誰かを批判するような話は書けない。自分の話だけで説明出来ないものかと考えて思い出したのが、私が家の中で勝手に転んで足を怪我した時の事だった。直後は酷く腫れたものの、今は時々痛み止めを塗る程度で、仕事もマラソンも出来るとはいえ、7年も違和感が続いている。検査や治療も受けたけれど完治しない。この怪我にどう感謝をしろと言うのか?と思ったら、足を痛めたのがきっかけで、当時トレーナーをしていた私と会員さんに絆が生まれた感動秘話があったのである。(これじゃダメじゃん!!)このままでは「全ては学びで必然で、神様は乗り越えられない試練は与えない」事になってしまう。何を信じるかは人それぞれの自由だけれど、私が言いたいのとは真逆の結末になってしまう。

そもそも、本当に辛い経験なんて簡単に話せるものではない。相手との距離感だって考えなければいけないし、言葉にすべきではない話だってある。言える範囲で説明しているだけで、それが全てとは限らない。だから、人の辛さや苦しみを簡単に「学び」だなんて言いたくないし、言われたくない。私がこの記事をまとめているマガジンのタイトルが『読まれたいひとりごと』なのも同じような理由だ。「私はこうありたい」のであって、読む人に対し「〇〇すべき!」とならないよう、自戒を込めてつけたタイトルなのだ。

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