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詩旅 紡さんの『理不尽なことを言われたとき、今までの私は泣いて黙っていたけれど』が与えてくれたもの

20歳で心療内科に行った頃、私は自分の気持ちを上手く説明出来なくて、本当は何もかもが不安で怖くて仕方が無かったのに、元気になったフリをして数か月で通院を止めてしまいました。その翌年から症状は酷くなり、少しでも嫌な思いをすると仕事中でも涙が止まらなくなり、治っては再発しての繰り返しで、その度に転職をして来ました。

仕事中の問題は自分のせいだったり、誰かのせいだったり、そもそも原因が一つとも限りません。職場というのは多くの人のこだわりや正義感、承認欲求など様々な感情がぶつかり合う場所でもあります。そんな時、自分の気持ちをどこまで話して良いのかわからなくなったり、平気だと思っていた出来事が後から辛くなって来たりして、40歳を過ぎた今でも時々悩んでいます。

こんな風に「自分では説明の出来ない苦しみ」や「目を逸らしていたもの」に気付かせてくれたのが、詩旅 紡さんの記事でした。


ここから先は記事の内容に触れて行きますので、私の感想を読む前に詩旅さんの文章を読んで頂いた方が良いのかな?と思っています。

特に共感したのが、仲間を悪く言われた時の気持ちです。私も上司から自分と仲間に対し「お前たちは何もやっていない!」と酷く否定された経験があります。皆で協力し合って出来る事を精一杯やって来たのに、何一つ認めて貰えなかった悔しさと絶望感に押しつぶされてしまい、仲間を支える自信も無くなって、その時は逃げるようにその会社を辞めてしまいました。

それだけではなく「ここが心に響きました」なんて、マーカーでラインを引いたら全部になってしまいそうなくらいの共感の連続の中で、自分では意識していなかった感情に気付かせてもらえたのがこの部分でした。

嬉しかった。仕事なんて、こなせればよかった。こなせて、一日一日が終わってくれさえすればよかった。それだけでも私にとっては生きた証でもあった。怒られてもよかった。叱られてもよかった。私は無能だったから。それが当たり前だと思って飲み込んでいたから。でも自分の知らない間に、私は涙を流しながら強くなっていた。

『理不尽なことを言われたとき、今までの私は泣いて黙っていたけれど』詩旅 紡さんのnoteより

私は数年前からまた生きる事に希望が持てなくなって、辛いのが当たり前になって「死ねないから生きているだけ」でした。何もかも諦めたと言いながら、生きた証が欲しかったのかも知れません。だから、誰か一人にでも必要とされたくて、自分に出来る事も仲間も探し続けていたのだと思います。

何かが辛いと感じた時、深く考え過ぎると傷を広げてしまったりもするのですが、詩旅さんの言葉はいつも優しくそっと大切なものに気付かせてくれます。昨日までの傷が癒されて「もう少し頑張ってみよう」と前を向く力を貰えるんです。と、これからの活動を応援したくて感想を書いてみましたが、重かったら申し訳ありませんっ!!!以上、私の #創作大賞感想 でした。

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