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マリー・アントワネットの最期の日々

みなさん、こんにちは!

2024年になってから、プライベートで色々な事が起こり、なかなかブログを定期的に書くことが出来なくて、今回もまた前回のブログから、間が空いてしまいました😢

前回まで書いていた、アルセーヌ・ルパンの記事が、一旦区切りのいいところで終わったので、今回は最近読んだマリー・アントワネットの本をご紹介したいと思います。

本のタイトルは、マリー・アントワネットの最期の日々です。

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この本は、一言で言うと、マリー・アントワネットが処刑されるまでの最後の3日間(10/14~10/16)を描いたものですが、フランス革命前に彼女に起こったことや交流のあった人々(もちろんフェルゼンも!)も、描かれています。

ストーリーの冒頭は、彼女の裁判に関する記述が多く、やや難解で、思っていた内容とちょっと違うかな、読み進めるのをやめようかな、と一瞬思ったりもしましたが💦、後半になるにつれて、どんどん面白くなり、最後まで一気に読みました。

マリー・アントワネットは、だいぶ前から近視になっていて、コンシェルジュリーの湿気や通気不足で右目の機能がほぼ失われていたとか、フェルゼンが15歳の時からテンプル騎士団系の秘密結社に属していたとか、初めて知ることも色々書かれていて、びっくりでした😲

では早速、内容をご紹介したいと思います。

私、以前、ベルサイユのばらYouTubeを作っていた時に、ベルばらゆかりの地を色々調べていて、コンシェルジュリーと裁判所を動画で取り上げたのですが(ブログの一番最後にYouTubeのリンクを貼っておきます)、この2つの建物って、2階部分で繋がっているんですね。コンシェルジュリーに収監されている人々は、その通路を通って裁判所に行くのですが、この通路はかなり怖いらしい・・・💦

もちろん、マリー・アントワネットも通ったと思うので、もし裁判所の見学が可能なら、この通路を見ることって、出来るんでしょうかね・・・?

マリー・アントワネットは、長男が結核で亡くなってから、既に涙を堪える日が続いていて、「私の魂は痛みと悲しみと不安に押しつぶされています。毎日知らされるのは不幸な出来事ばかりです」と手紙に書いていたようで、胸が痛みます。

フランス革命時に彼女が捕らえられた時、故国オーストリアでは、
(全く面識のない)甥のフランツ2世が統治していて、身柄交換の対象でさえなかった(それを考えると娘のマリー・テレーズが身柄交換で生き延びることが出来たのは幸運だったと思います)のは、やはりマリー・アントワネットにとって不幸な要因だったと思います。

仲が良かった兄のヨーゼフや母のマリア・テレジアが生きていたら、マリー・アントワネットは処刑されなかったかもしれません。

ルイ16世の死後、タンプル塔での王妃は、激ヤセしてマリー・アントワネットだと分からなかったらしく、白髪になったのも本当だったようです。

彼女は、裁判時に出血していて(ベルばらにもそのシーンがあります。一説には癌だったと言われています。)、本の著者が「よく彼女が耐える力を見つけたものだ」と書いているのですが、私も本当にそう思います。

この裁判の審議の時間を見てください↓

10/14 審議 9:00-15:00/17:00-23:00
翌日も同じ審議が朝から15時まで そして17時から翌日(10/16)の朝4時まで→10/16の朝4時に処刑の判決が下る

このスケジュール↑、健常人でもフラフラになりますよね。

彼女は、最後の力を振り絞って踏ん張っていたんだなと改めて思いました。

彼女は、テュイルリー宮殿、タンプル塔、コンシェルジュリーの、この3つの建物に収容されていたわけですが、王妃を助けようという動きもありました。

私が、そうだったの!と驚いたのが、ベルばらではオスカルの父として描かれているジャルジェ将軍。

史実でのジャルジェ将軍は、冷静で思慮深く、根っからの軍人だったようです。
テュイルリー宮殿では王妃の通信係(王妃とフェルゼンは暗号での手紙のやりとりをしていましたし・・・これに関してはYouTubeでも取り上げています)として働き、王が最後に命令を与えたのも彼で、王妃が最後の手紙と王の思い出の品を託したのも彼だったとか・・・。

しかも王妃に会うためにタンプル塔に忍び込むことさえした!(この場面も確かベルばらにあったはず・・・)

ジャルジェ将軍、かなり危険な任務を遂行しているにも関わらず、捕えられずにフランス革命を生き延びたのは、奇跡なんじゃないでしょうか。

ジャルジェ将軍以外の人によっても、王妃救出作戦が行われようとしていたけど、アントワネットが子供たちを置いていくことは出来ないと拒絶したらしく・・・もし彼女一人だけの救出なら、難を逃れた可能性もありますね。

アレクサンドル・ルージュヴィルという人を初めて知ったのですが、この人が最後の救出作戦と言われているカーネーション事件に関わっていて、王妃を救おうとしていたのですが、失敗に終わっています・・・。

で、ですね、アレクサンドル・デュマがアレクサンドル・ルージュヴィルにヒントを得て『赤い館の騎士ーマリー・アントワネットを救え!』という物語を描いているというのを知り、この小説もいつか読んでみたいと思っています。

マリー・アントワネット関連の本を読む度に、フランス革命時にはいろんな群像劇があったんだなと痛感します。

マリー・アントワネットを裁判で裁く側だった人々も、その後処刑されているわけですから、なんともやりきれない気持ちになります。

マリー・アントワネットは一人で戦わないといけないことも多かったと思いますが、彼女を最後まで救おうと奮闘していた人々-ジャルジェ将軍、ルージュヴィル、フェルゼン‐がいたことが、彼女にとって心の拠り所だったのではないでしょうか。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。







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