見出し画像

令和の「風姿花伝」。為末大さんの「熟達論」を読んで

学び続けることの本質とは何か。成長し続けるためには何が必要なのか。

為末大さんの近著「熟達論―人はいつまでも学び、成長できる―」は、私たちが学び、スキルを磨き、成長していくためのエッセンスを体系化した、令和の「風姿花伝」と呼ぶに相応しい一冊。15世紀に世阿弥が記した「風姿花伝」は、芸術家としての達人への道筋を段階的に分析した名著だが、為末さんの「熟達論」は、その域に達した者にしか語れないプロフェッショナルの「学び」のプロセスを現代的に見事に言語化しています。

為末さんは日本を代表するアスリートであり、陸上競技の選手として三度のオリンピックに出場し、二度の世界大会でメダルを獲得した実績を持たれています。そんな彼が自身の陸上競技の経験とその後の様々な分野の達人との対話から得たヒントをもとにこの書を執筆。彼は、技能を身につけるプロセスを「遊」、「型」、「観」、「心」、「空」の五つの段階に分類し、それぞれのステージでの学びの質の違いや私たちが成長するための心構えを体験を交えて提示しています。

五段階の成長モデルは、私自身の弁護士時代の経験に照らしても共鳴する部分が多くあります。新米弁護士として夢中で依頼者の相談のメモをとり、六法をめくることに喜びを見出した「遊」の時期。間違いを犯さないように、事務所内のサンプルや先例を真似ていた「型」の時期。依頼者から見た弁護士としての自分を少しずつ客観視できるようになった「観」のステージ。依頼されたことをやるだけではなく、問題の核心を探り、より本質的な解決を目指すようになった「心」のステージ。そして理屈では説明できない解決策を直感的に導き実現してしまう「空」の域に達した先輩たち。為末さんは「ある世界で技能の探究を通じて得た『学びのパターン』は他の世界でも応用可能だ」と述べているが、至言です。

政治の道に転身したばかりの私はまだ「遊」の段階にいるのでしょう。その意識を持つことで、初心を忘れずに謙虚に精進する大切さを、本書は改めて教えてくれます。子供の頃から天才ランナーともてはやされ、特別な存在として扱われていた為末さんだったが、18歳の時に太刀打ちできない才能と出会い、自分が天才ではないことを悟ったそうです。そこから始まる学びに対する貪欲な探求の旅が、彼を一人の優れた陸上選手から、稀有な実践的思想家へと進化させた。「競争は必ず優劣をつけるが、『学び』自体は全ての人に開かれている。」と説く為末さんの言葉には、苦労人ならではの説得力と温かさが溢れています。

世阿弥は、「住する所なきは、まづ花と知るべし」と記し、現状に安住せず自己更新し続けることの重要性を説きました。600年以上経ってなお、その言葉は私たちに瑞々しい示唆を与え続けています。学ぶことの本質を解像度高くときほぐした為末さんの「熟達論」もまた、初心者から熟練者まで、誰もが抱える学びの挑戦を乗り越えるための羅針盤となるに違いありません。熟達の道を探る全ての方にとり、永く読み継がれる座右の一冊となるはずです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?