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平等院鳳凰堂とディズニーランドはほぼ同じと言って差し支えない①【私の偏愛】#3

学生時代にハマって研究していた”平等院鳳凰堂”。かつて年パスを購入し毎週で通っていた”ディズニーランド”。平安時代の寺院と現代のテーマパーク。どちらも私が好きな場所。どちらも私にとってはほぼ同じなの、という話。

とにかく平等院鳳凰堂がヤバいんだ、

10円玉の裏側、修学旅行の定番、京都宇治平等院。かつて私が芸大の2年生だったころに大ハマりした推し寺である。恐れ多くも、芸大の教授陣を前に世界遺産平等院鳳凰堂を背に、自らの平等院への想いをつらつらと述べたくらいだから若いって怖い。
平等院は平安時代後期の1053年、当時の権力者である藤原頼通により建立された寺院であり、現在世界遺産にも指定されている。その中心にある鳳凰堂には本尊の阿弥陀如来像が祀られ、その周囲には52体の雲中供養菩薩像が阿弥陀様を取り囲むように配置されている。最初私はこの本尊である阿弥陀如来像の組んだ足下の衣紋の美しさに魅了されて、この仏様の研究をしたいと思ったのですが、研究を進めていくうちにこの平等院という寺院が表現している世界観やそこに込められた当時の人々の想いにすっかり魅了されてしまったのです。はっきりいってこの寺院、ヤバい、ですよ。
ここは研究発表の場ではないので、詳しくは割愛しますが平等院の凄さは「世界観の作り込み」と「観客の巻き込み」にあると考えています。
現在の平等院はメインの鳳凰堂内部に入り、阿弥陀仏を拝み宝物館をめぐるのが一般的な観覧コースとなっていると思いますが、もともと平等院鳳凰堂は中に入るためのお堂ではありませんでした。鳳凰堂はあくまでも阿弥陀様の鎮座するためのお堂であり、拝観者は鳳凰堂の向かいの阿字池という池の上にある小さな建物の中から拝むものでした。鳳凰堂は東向きに建てられており、拝観者は池を隔てて西側に鳳凰堂がある、という造りです。かつては鳳凰堂の中央に窓があり、そこから阿弥陀如来像のご尊顔が拝めたそうです。

さて、あなたは平安貴族です。

鳳凰堂を望む小さなお堂に座っています。明け方まだ薄暗い室内には強いお香が立ち込め幻想的な空気に包まれます。背後からは雅楽のゆっくりと息の長い音色が響き、だんだんと頭の中がじんわりとぼんやりとここではないどこかに連れていかれるような不思議な感覚に包まれていきます。やがて朝日が昇り始め阿字池をきらきらと照らしだし、まさにその名の通り”鳳凰”が羽ばたくようにに稜線を広げた”平等院鳳凰堂”の姿が目の前に広がります。不死鳥を思わせるその雄大で美しい姿にみとれていたその時です。真っ直ぐな朝日に照らされ、阿弥陀如来像のご尊顔が金色に輝き、その優しく寛大な表情を顕にします。生きとし生きる全ての生命を迎え入れ、赦し、包み込んでくれる暖かさに包まれて、あなたはそっと目を閉じます。

ね、ヤバいでしょ。現代で言うところのトリップ状態なんですよね。このトリップ状態を作り出すために、五感全てをフル稼働させて、さらには周囲の山の位置や光の入り方など全てが計算され尽くして設計されているそうで、当時の姿を見ることができないのは本当に心苦しいほどです。

”平等院鳳凰堂”を思うと泣けてくるのよ

ではなぜ、このような施設を当時の権力者(貴族)が作ったのか、と言うところなのですが、ここが私的には泣けるポイント。日本史をちゃんと勉強していた方は覚えているかもしれませんが、平安時代の後期には”末法思想”というものが貴族の中で、流行、というか強く信じられていました。末法というのは仏教史観のなかで悟りも修行も効果がなくなる最悪の時代の到来を表しています。こんな例えをしたら怒られるかもしれませんが、ノストラダムスの大予言みたいな、桃鉄のキングボンビーみたいな、とにかく「もう何をしても超最悪にしかならないぞ」という時代が来るよ、オワタ。ということですね。実際、平等院が建立された頃は疫病の流行や飢饉など、末法の到来を感じさせるような出来事が多くありました。来世に生まれ変わったとしても世界はもう最悪なわけですから、当時の貴族達はもう来世になんて生まれてきたくないわけです。こんなオワコンな生など捨てて、西方極楽浄土(いわゆる天国)に行ってハッピーになりたいわけです。鳳凰堂に祀られる阿弥陀如来は、現世での命がついえる時に西方極楽浄土に共に連れて行ってくださる仏様で、楽器を演奏したり舞踊をする雲中供養菩薩たちとともに雲にのって現れ、我々を西方極楽浄土へ導いてくださる、と。平等院が表現しているのがまさにこの”西方極楽浄土”。当時の貴族たちは、西方極楽浄土をこの平等院で疑似体験することで、死後の安らかな幸福を願ったわけですね。

うん、泣ける。自分達の置かれている悪い状況を、せめて心を救うために莫大な費用をかけて壮大なイミテーションを作る。そしてそこに身を置き、ひとときの安らぎを得る。この感じがすごく人間らしくて、私はとても好きなんです。(ちなみに、現在、そんな鳳凰堂が日本の硬貨としてみんなの財布に入っていること、しかもその扉は閉じられていて阿弥陀様は見えないこと、とか、本当に数奇で好き。)

果たして伝わったのだろうか

ちゃんと伝わったのか不明すぎるけど、今回は偏愛の話だから許してください。「わけわからん、つまらん」という方はスルーしていただき、「共感する〜」と言う方はスキとかしてもらえたら嬉しいです。本当はディズニーランドの話までしたかったのですが、平等院だけで文字数使いすぎたので、また今度。

つづく。


【毎週note投稿挑戦中】
銀座OLから突如縁もゆかりもなかった、長野県塩尻市に移住した私が日々の思いつきや偏愛、思考などを書き留めています。
できることなら、共有したい。さらには、共感してもらえたら嬉しい。ということで、しょーもないことから真面目なことまで、毎週書いていきます。
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書いていきそうなテーマ:地方移住・子育て・自営業・偏愛・趣味など



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