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学生時代の恩人へ15年ぶりに電話する

その携帯電話番号に電話をかけるか否か、30分ほど迷った挙句に、noteの記事ネタにもなるかと不甲斐ない理由をつけて、電話をかけた。


私が高校生のころ、校則でアルバイトは禁止されていた。
それでも隠れてバイトすると宣言している子もいたし、私もバイトをする前提で、土日活動のない部活を選んだ。

超真面目っ子で、先生からそこそこ信頼されていたと自負さえする中学時代からすれば、校則を破ってまでてバイトをしたかった理由。
正直、もうあまり覚えていない。
20年ほど前の、思春期の心頭から湧き出るあれこれは多すぎる。

でも多分、はやく大人の一員になりたかったという理由だと思う。服もOLが着るようなシャツを好んで着ていたし、ティーン雑誌より20代向けのファッション雑誌を開いている方が、高揚感があった。
背伸びしたい、子ども扱いされたくない、という気持ちだけではなく、はやくこの現状から脱したい・自分の殻を破りたい・何者かになりたい、という思いが強かったように思う。

初期のバイト先は、飲食系工場での弁当詰めがメインだった。
先生にバレないようにという理由はもとより、人見知りな性格だったから、接客業は避けて隠れられるような環境を選んだ。
5~6時間、ベルトコンベアーで流れてくるコンビニ弁当の白米の上に、梅干をのせる。のせる。のせる・・・
作業中は会話も無く、休憩中は正社員同士の噂話や愚痴が耳に入ってくる。私には耐えがたい作業だったのか、バイト上がりの時間を間違えて、1時間も早く退勤してしまいそうな日もあった。

誰とも話さず、眠気と戦い、目の前の弁当が、食べものであるかどうかも分からなくなってきたころ、バイトを変えることにした。

次のバイト先は、本屋にした。主な業務内容は、レジ・棚卸。接客業は避けていたのだが、本が好きという理由と、客との会話は多くはないだろうと想像して応募した。
ふだん混みあうこともない書店だったし、正社員の先輩が丁寧に指導・フォローしてくれたので、それほど苦労はしなかった。
客に尋ねられた書籍や雑誌のありかを調べて案内したり、書店に置いていない本や予約本の取り寄せ対応も、次第に慣れていった。

なんだ、私って人前でもちゃんと喋れるじゃん。

そんな自信がむくむくと顔を出してきたころ、再びバイトを変えることにした。
客がいないときは、ブックカバーを折ったり、入荷した雑誌書籍の荷解きをしたり、レジ内のお札の向きを整えたり。
それでもやることがないときは、しんどかった。
客に尋ねられた時、スムーズに案内できるようにと、取り扱う本の一覧を頭に入れようともしていた。でも、店内に流れる静かなBGMが、眠気を誘う。
そろそろ、別のことにチャレンジしてみようかなぁ。
学生時代というのは、本当にフットワークが軽かったなと今なら思える。

次のバイト先は、隠れ家的イタリアンのお店。ランチはパスタやピザなどを提供する。
ここは最終的に約5年ほどバイトさせていただくことになり、私の人生における大きな存在となった。大げさな言い回しではなく、そのままの意味で。

50代後半と思われる"マスター"が個人経営しているその店には、アンティーク調の調度品が置かれ、お皿もカップもこだわりの逸品揃い。
BGMはシャンソンかビートルズなどで、マスターも客前でギターを手に歌ったりしていた。
いまでも「愛の賛歌」を日常のどこかで耳にすると、当時の様子が鮮明に思い出される。

業務内容は、店内外の掃除・オーダー受け・前菜の盛り付け・配膳・スープや飲み物&デザートの用意・皿洗い・たまにレジ。
そう、調理はマスターひとりのため、それ以外の業務はバイトが対応する。ランチタイム約3~4時間。繁忙期にはバイトが2人に増員することもあったけれど、私1人で対応することも多かった。まるで二人三脚。

最初は必死で料理の内容を覚えた。ランチタイムでもアルコールは出す。
まだ未成年の私は、スコッチだのバーボンだの、長ったらしいワイン名などはまったく難しい。ペリエ(炭酸水)という名前も、ここではじめて知った。

少しずつ業務にも慣れ、常連客の顔や好みの料理を把握できるようになってくると、私なりのこだわりも生まれた。飲食店だから、そしてアンティーク調の店内だからこそ、小汚さを感じられぬよう掃除は丁寧に。
ガラス窓の拭き方、調度品の埃取り、テーブルや机・小物の配置、前菜やデザートの盛り付け方、配膳する際の皿やカップの向き。
そしてトイレ掃除は入念に。トイレがどれだけ清潔か否かで、その店のレベルがわかる、と何かで読み聞きしたことがあったから。

次第に、客のしぐさや表情を見つつ、声をかけるタイミング、言葉遣い、料理の説明も臨機応変に対応できるようになった。

ふだん温厚なマスターは、忙しくなると厳しい口調になる。「何年やってんだ!」と、厨房で怒られたこともあった。
自分の料理や歌に誇りを持ち、渋くもエネルギッシュでチャーミング。接客とは、心地よい空間づくりとは何かを教えてもらった。恩師と言ってもいいかもしれない。

自分の成長を実感し、そして自信や可能性を持たせてくれたマスターには、感謝でいっぱいである。私はここで、完全に人見知りを克服した。

すべての客に料理が行き渡り、穏やかな時間になれば、マスターがマイクの前で歌い始める。その場の雰囲気や客層に合わせて選曲し、シェフが突然歌いだした!?と驚いていた一見さんも、徐々に楽しそうな表情に変わる。
ああ、この空間が大好きだ。

なにより料理も本当に美味しい。バイトへのご飯は、賄い料理ではなく、客に出すメニューから1品好きなものを選べという気前の良さだった。
贅沢に大きな生ハムやホタテが乗ったパスタもご馳走になった。だから、美味しさを実感している私の料理説明は、とても流暢だったと思う。

このパスタ屋には、ほぼ毎週土曜か日曜に通っていた。
受験勉強に専念する高校3年生の後半と、就活で忙しくなった専門学生3年目に少しお休みをいただいたが、おそらく5~6年はお世話になったと思う。

就職が決まり、バイトの最後日には、別れ際に泣いてしまった。
マスターとしては、何人かいるバイトのうちの1人に過ぎなかっただろうけれど、東京へ行っても頑張ってと、優しく声をかけてくれた。
私は後ろ髪引かれる思いで、店を後にした。


就職のため上京し、がむしゃらに仕事を覚え、無茶ぶりにも応えようと息巻く生活を送っていた。
ふっとひと段落した際には、実家だけでなくあのパスタ屋も恋しく感じていた。

それから1~2年ほどしたある日、マスターから届いた葉書には、引退宣言と書かれていた。
田舎では、経営も難しくなってきたのだろうか…または年齢的にも厳しくなってきたのだろうか…等と邪推をしつつ、お返事を出した。
それから年賀状のやり取りが数年続いたが、気が付くと途絶えてしまった。私の年賀状を出すという習慣が消えたままに、アパートを引越したからかもしれない。


そして現在・2024年5月。
私はメンタルクリニックの帰りにハローワークへ行き、失業手当受給期間の延長申請を終えていた。
昼過ぎで空腹。どこかでランチを食べようと、適当な店に入り、小海老とトマトのバジル和えパスタを注文した。グラスワインも追加で。

運ばれてきたパスタを口にしたとき、バジルの味がわっと広がって、爽やかな香りが鼻を抜けた。そしてあのパスタ屋の記憶が、鮮明に思い出された。

マスターは、お元気だろうか。

たしか頂いていたお便りは、私の"大事ボックス"に入っているはずだった。
もし住所に変わりがなければ、お手紙を書いてみようか…そんなことを思った。ちょうど読んでいた文庫『三千円の使いかた』と『人生オークション』(両方ともに著:原田ひ香さん)、久しぶりに鑑賞した映画『いまを生きる』の内容からインスパイアされたのかもしれない。

いまをどう生きるか。囚われを捨てるには、過去や自己観念の整理も必要ではないか。人は、自分に見えていること・感じた主観でしか、相手を理解できていないかもしれない。

そんなことを、上記の本や映画から感じていた。

帰宅し、早速"大事ボックス"を開けて確認すると、マスターからの葉書が数枚残っていた。お便りには、やや遠くへ引越しして、奥様とペットたちと共に、雇われシェフをしながら気ままに生活しています、とあった。
そこには住所と、携帯電話番号も記載されていた。
最後の葉書の消印は、約10年前。
あれから引越しはされていないだろうか、お元気なのだろうか、そもそも私のことを覚えていらっしゃるだろうか…

2日間、頭の片隅で考えこねて、まずはメールを送ってみることにした。
私の携帯の連絡帳に、マスターのキャリアメールアドレスが残っていたのだ。メールアドレスには4桁の数字が入っており、おそらく生まれ年だろうと推察する。計算すると現在77歳。なんと。当時は60代だったのかと驚く。

30分ほど、ウンウンと文章を推敲し、意を決して送信した。
返事はすぐに届いた。

アドレス不明

アドレスが見つからなかったか、
メールを受信できないアドレスであるため、
メールはxxxxx@xxxxxに配信されませんでした。

オーマイガー。
そうだろう、15年もしくはそれ以上前に登録したであろうアドレスだもの。

では、最後の葉書に記載されている携帯の電話番号はどうか。
でもその電話番号は、先ほどのメールアドレスと並んで連絡帳に登録されていた番号そのままであった。

メールが届かないということは、電話もつながらないのではないか…
いっそのこと、とりあえず手紙だけ送ってみるか?いや、転居済みだったとして、見ず知らずの人が受け取る可能性もあり、興味本位で開封されてしまうか、ゴミ箱行きになるかもしれない。

とりあえずGoogleMapのストリートビューで、葉書に記された住所の家を確認してみることにした。白いシンプルな家。
日の光が強すぎるからなのか?Google側の配慮なのか?とにかく表札が見たかったのだが、どうにもぼやけて確認できない。
まるでストーカーじみた行為だわと自覚しはじめ、それは早々にやめた。

残すは、携帯電話番号のみ。
ショートメールを送ってみるか?
いや、短文で送れるほどの内容ではないし、また届かないかもしれない。
思い切って電話してみるか?
でも、「その電話番号は現在使われておりません」とアナウンスが返ってきたら?知らない人に繋がってしまったら?
…それは、マスターがご存命でない可能性が大きく、そんな現実をいまの心理状態では受け入れられない。
もし、繋がったとして、覚えていないと言われたら?それもショック。

そもそも、マスターが電話に出て私を覚えてくださっていたとしても、私は何を話したいのだろう?その後の交流も求めているのだろうか?
最後に対面したのは、多分15年前。葉書のやり取りも、多分10年前。
これまで私からは、積極的に連絡をしようとはしてこなかった。
忙しさや面倒さといった適当な理由を自分につけて。

なのに、今さら。
メンタルダウンになったから何かにすがりたくなって、過去を懐古し張り切っていた頃の自分を美化して、恩人に何か前向きな声かけをいただきたくて。
そんな浅ましい、身勝手な理由で、連絡していいのだろうか。一方的な思いは迷惑ではなかろうか。

そんなことをモヤモヤとまた30分くらい悩み、いまマスターがお元気か否かをハッキリさせなければ、いつか後悔するかもしれない。迷惑かどうかは私が判断できることでもないし、多分マスターなら喜んでくれるはずだろうと言い聞かせて、発信ボタンをタップした。
prrrrrr…
とりあえず、この番号は生きているようだ…
prrrrrr…
知らない人が出たらどうしよう
prrrrrr…
なかなか出ない
prrrrrr…
15コールほど粘ったが、留守電にも繋がる気配が無かったので、というより、少し恐くなってきたので発信を終了した。

そもそも私の携帯電話番号は、いつ変えたきりかも、マスターに教えたかどうかも覚えていない。だから、マスターが私からの電話だと把握できるかも不明。もし知らない電話番号が表示されていたら、私だって出ないだろうな。

ホッとしたような、残念なような、複雑な溜息を吐く。
帰宅した夫に出来事を話すと、「まぁ10年も経てば、電話番号も住所も変わっている可能性は高いし、お年だから体のことも心配だね」と、これまた複雑な心象を返してくれた。


もう結論を話すと、その数時間後に、折り返しの電話が掛かってきた。
そしてマスターは、私のことを覚えてくださっていた。

咄嗟に当時の姓を名乗ったのか、それとも声で分かったのか興奮してよく覚えていないが、「久しぶりだね」とあの渋い声を返してくれた。

いまもお元気で、住所も変わらず、そしてパート先は変わったけれども、料理と歌もたまにやっているとのことだった。
私は、急に懐かしく感じられて思わず突然お電話してしまったことを詫び、近況を簡単に伝えた。
「お仕事は?」と聞かれたときは、思わず口ごもってしまった。
「最近辞めまして、少し落ち着いて見直しているところです。…あとは育児もひと段落させたいなと思って…」
となんだか正直にその場では話す勇気が出なかった。メンタルダウンしていることを、いま話すタイミングではない、そう感じた。

少しの雑談を経て、「私は元気でやっていますから、ぜひお便りください」との言葉をいただき、電話を切った。

嬉しかった。
嬉しくて泣いた。…盛った。少し涙ぐんだ。

いまは76歳になりまして。病気もしたから隠居生活を送ろうと思っていたけど、また何かやりたいと思ってね…
と語っていたマスターは、やっぱりエネルギッシュだなぁとしみじみ感じる。自分は仕事について、生き方について、いまぐるぐる思い悩んでいるのがちっぽけに感じられ、少し恥ずかしくなった。

とにかく、マスターに手紙を書こう。
そしてそう遠くない日に、会いに行こう。



決意を込めて、本記事をダーッと綴りました。
会える時に、意味は無くとも会いに行く。
これがどれほど大切かと痛感したのは、親しかった叔父の急逝時。
これも、私の心身不調がはじまるひとつの出来事だと考えているからこそ、マスターに電話する勇気が出たのかな、と感じます。

「あの時は良かった」「昔は頑張っていた」そんなことを懐古ばかりしているから、現在がぼやけ未来が霞むようになる。
過去の経験がいまの自分をつくった、という前向きな自己分析なら良いけども、囚われすぎてはいけないと、最近は考えるようになりました。

一歩踏み出す勇気をくれたのは、本と映画と、ハロワの帰りに寄った店のバジルの香り。
嗅覚は1番記憶と繋がりやすいというから、あのお店にも感謝だなぁ。

少しだけ、前進できたかもしれません。

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