原点回顧

 私が初めて触れた純文学は、綿矢りさの「蹴りたい背中」だった。芥川賞を最年少で受賞したということと、そのビジュアルからは想像もつかない尖った内容から、世間の注目度が高く、まだ小学生だった私に母が買い与えたのだ。

 さびしさは鳴る。

 という書き出しは、今でも網膜に焼き付いている。


 そこから少しずつ純文学を嗜むようになっていったのだが、特に好きな作家ができることはなく、その時話題になっていた作品をとりあえず読む、という感じだった。


 けれど、高3の冬、私はある作品に出会った。
 島本理生の「リトル・バイ・リトル」だ。


 出会ったのは本当にたまたまで、センター試験の過去問を解いていたら現代文の問題にそれが使用されていた、というだけだった。でも、問題に使われていたその一部を読んだだけで、私は直感的に「あ、この人好きだな」と思った。理由なんかなくて、本当になんとなく。


 受験が終わると、私はすぐに「リトル・バイ・リトル」をはじめとした島本理生作品を貪るように読んでいった。日本語の文章の美しさを、私はこの人に教えてもらった。(勝手に)


 しかし、ここ数年の作品は、なんだか読んでいて苦しくなるものが多く、敬遠するようになってしまった。私が歳を取ったということも大いにあると思う。


 一人のファンとして手前勝手なことを言わせていただくと、もっといろんな人間を描いてほしい。傷を抱えた繊細な女、だけじゃなくて。「真綿荘の住人たち」みたいな。



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