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おばあちゃんという人

 私の家には祖母がいた。
 父の母であるその人は、あまり性格が良くなかった。卑屈で頑固で下世話な人間だった。


 祖母は2回ほど、ボヤ騒ぎを起こしている。どちらも炬燵の中に湿った洗濯物を入れて乾かそうとしたのが原因で、幸いにも炬燵布団が焦げただけで済んだ。
 父は激怒し、祖母はめちゃくちゃ怒られていた。しかし、そんなのどこ吹く風というか、あたしは悪くないもん、という感じで、聞こえないふりしてテレビを見ていた。くそばばあである。


 祖母は煙草を吸う人だった。幼い私の前でも平気でスパスパ吸っていた。ちなみに、父は生まれつき虚弱体質で重い喘息を患っている。それでも吸い続ける、そんな人なのだ。


 ある日、祖母の部屋の窓から見える外のベンチで、カップルがいちゃついていたらしい。祖母は煙草を咥えたまま、網戸越しになんとかそれを覗こうとした。しかしその時、煙草の火が網戸に触れ、じりじりと焼いてしまった。
 なんで祖母の部屋の網戸に穴が開いてるのか尋ねた時、母は呆れながらそう教えてくれた。
 どこぞのカップルの情事を盗み見ようとして網戸に穴を開ける老婆。それが私の祖母だった。 



 けれど、私はそんな祖母が好きだった。
 母に叱られると、私は決まって祖母の膝に泣きつき、よしよしと慰めてもらっていた。一緒に笑点を見たり、昭和の歌謡曲を教えてもらったり、あやとりをしたりと、祖母の部屋で過ごす時間はいつも穏やかで、私はなにかとそこに入り浸っていた。

 そんな祖母は、私が中学に上がる前に認知症を発症し、暴虐の限りを尽くして死んでいった。
 祖母が死んだ時、私たち家族はたしかに安堵した。それでも、棺桶の中で安らかに眠るその顔を目にしたら、怒りも恨みもないただの悲しみだけが溢れて止まらなかった。


 数年前、実家の押し入れに仕舞われていた写真を整理していたら、旅行先で撮った祖母の写真が出てきた。
 なんでかはまるで不明なのだが、祖母は両手で裏ピースを作り、しかも前で交差させて、さながらどこぞのロックバンドの決めポーズのようだった。

 そうだったそうだった。こういうお茶目なところがなんか憎めなかったんだよなあ。

 家族と笑いながら、私はそんなことを思い出していた。


 

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