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おだやか

ここ最近は心が穏やか。闇深い時に色んな人が声をかけてくれてなんとか這い上がってきた所存。プルーフ&ゲラの山を消費しなければいけないという自分の圧に負けそうになっていたのだけど、やっぱり好きな物語を読みたい!と思って製本されている本を読んでいたらみるみる元気が湧いた。
圧力に耐えながら読書するのはどうにも違うよなと思って最近では読みたいものを読んでいる。久しぶりに書店で本を選んで購入したのも良かったのかもしれない(職場なのにお客さんとして行くのは稀になってしまっていた)。わっくわくの読書生活を送っているので、最近読了した本を載せます。



『ヘルハウンド 犯罪者プロファイラー・犬飼秀樹』

凶悪犯罪者を”悪の心理”で暴く、衝撃のクライムサスペンス

悪魔VS凶悪犯罪者――衝撃の犯罪心理サスペンス!

「俺は邪悪な話術を使う、悪魔なんだよ」
死体マニアの変人ながら、天才的頭脳で若くして犯罪心理学の准教授を務める男、犬飼。彼は“特権法”登録ナンバー〇〇二――難解事件の捜査を特別に国に認められた民間人プロファイラーだ。
【黒妖犬(ヘルハウンド)】の異名を持つ彼は、幼馴染の副検事・諭吉から持ち込まれる凶悪犯罪の真相を【悪の心理学(イーブルテクニック)】で狡猾に暴いていく。しかし、犬飼が死体を愛するきっかけとなった25年前の事件――諭吉の母の自殺だけは真相が不明で……。

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とりあえず語らせてくれ…!まずこの表紙になってる犬飼秀樹という男。偶々作者の青木杏樹先生がツイートを見てくださり犬飼さんの変態性について教えてくださったのですが、もうどう考えても私の本癖にドストライクすぎた。新たな推しを求めて購入したのだけども…、は…、やばい…、また新たな沼…!となりました。おやつを目の前にした犬のような反応でどうしたの長月さんと思われるかもしれないですが(もはや犬に失礼)、この男、遺体を前にすると異常に興奮する変態だし、今は態度がデカいけど昔は大人しい(なんなら見た目は可愛い)というギャップがあるし、幼馴染思いという優しい面もあるし、なんだこれ沼でしかねえじゃねえかともう一人の自分が頭を抱えていた。犬飼さんが犯罪者プロファイラーとして言葉巧みに被疑者と向き合っていく様も、もうたまらんわけですよ。確かに諭吉(幼馴染の副検事)も人気が出るのはわかる。わかるが圧倒的変態性を加味して犬養さんに軍配が上がってしまうのであった。

犯罪者プロファイラーの物語を読んでいると、昔大学の講義で受講していた『犯罪心理学』の授業を思い出す。心理学+美術を学ぶ学科にいた私は、主に心理学メインで受講していた(後に衝撃的な出会いがあり美術へ傾倒していくことになるが)。そこで短期間だけ『犯罪心理学』の授業が行われていたので、興味があって受講してみた。きっと先生は犯罪心理学を学ばれているのだからめちゃくちゃ強面な人に違いないと思いながら待っていると、そこには背が高くすらっとしていて物腰が柔らかい若い先生が入ってきた。髪の毛が柔らかいのか動く度にふわふわ動くし(多分セットしてないので所々寝癖がついてた)、どこかぎこちない初々しい感じが可愛い(先生に対して失礼極まりない)。もうこれは今後も受講しなければ!とほとんどの女子生徒は思ったに違いない。授業の内容もとても興味深いものが多く、イメージしていた犯罪心理学と違っていたことに驚いた。かなり前の話なので授業の内容を覚えていないのが悔やまれるが、そのふわふわした先生だけは印象に残っている。先生の声はとても耳心地が良かったし、講義をしている声はとても楽しそうだった。私は楽しそうな人が好きなので、その先生のことが好きだった。短期間の講義だったのでその時しか受講できなかったのだけど、もしまた受講できるのならば一番前の席で目を爛々にさせながら聴きたい。


ちょっと今日のnoteは長いのだけど、もう少しだけ書きたいと思う。
さっき"耳心地"という言葉を出したのだけど、私は人の発する言葉に偶に色を感じる。「ああ、この人は黄色だな」「この人はオレンジ」と言った感じだったりする。それを感じない時もあってなぜなのかはわからない。
人の発する言葉というものは気分によって変わる。それが耳心地に影響してくる。誰しもそうなのかもしれないのだけど、人の気分の微妙な変化がわかってしまって辛いなと思うことがある。「昨日は普通の耳心地だったけど今日は冷たい耳心地だから近寄らないでおこう」とか「こういう風に話をすればこのひとの耳心地は良くなる」とか、耳心地によってその人の浮き沈みであったりとか興味の移ろいであったりとか何となくわかってしまうので人と話すのが億劫になってしまう。
勿論自分の声も気分によって変わるので「ああ、この声をしているから誰も話しかけてこないだろうな」とか「この声の時は話しかけてくれるんだろうな」とか何となくわかる。だからこそ耳心地が良い声でレジの接客ができるように努めている。どういう風に見られたいか、もしくは見られると都合が良いのか無意識に判断しているのだと思う。そういう自分を客観的に見て計算高いのだろうなと思うけど、どうしようもない。私はできるだけ穏やかに過ごしたいし、周りにもあまり迷惑をかけたくない。そんなことを書いてハタと気づく。ちょっと書きすぎたかもしれない。ミステリアスな女とは縁遠くなってきたかもしれない(目指してもないけど)。ではまたいつか。





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