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「自分語りは世界を救う」という話。

 「本当に救われた思いです。この記事を書いてくださって、ありがとうございます」
「毎日死にたいと思っていましたが、いま貴方の投稿を読んで、気持ちが楽になりました」
「筆者さまのnoteを見て勇気づけられました。最後の一文で号泣してしまいました」

これらは、私の書いたnote『学年トップの女の子が第一志望の大学に落っこちた話。』に寄せられたコメントの一部です。

このnoteには、中学・高校と学年トップクラスの成績を収めていた私が、大学受験に失敗したことを長々と書いています。私は、子どもの頃から物語をつくることが好きで、将来は作家になりたいと思っていました。大学受験の第一志望は早稲田大学。文芸創作の勉強ができるからと、高校の先生が志望校に勧めてくれたのです。結果は、私の努力不足により不合格(noteのタイトルの通りですね)。私は、試験の雰囲気に慣れるために受験した、滑り止めですらなかった大学に進学することになりました。

……と、ここまで書くと、なんだか暗い話のように聞こえますね。このnoteの結末には、「偏差値の高い有名な大学にいかなくても幸せになれますよ」という明るいメッセージを添えております。どうぞご安心ください笑 この記事は、2019年3月に公開してから、大学受験で苦しい思いをした方を中心に、細く長く読まれ続ける私の“ベストセラーnote”になりました。


読者さんからご感想をいただいたときのことを正直に話すと、すっごくびっくりしました。このnoteに、“お役立ち情報”は一切書いてありません(お役立ち情報とは、「水垢のついた鏡を濡らしたレシートで磨くとピカピカになる」みたいなやつのことです)。これは、私の体験が淡々と書かれているだけの自分語りです。しかも、5800文字の長文で。

それに、私はフツーの会社員です。芸能人でもインフルエンサーでもありません。一般人である私のnoteを読んでくれる人がいるだけでも、すごいことです。それに加えて、私の経験が、見ず知らずの誰かを励ましているだなんて。目の前で起こっていることが信じられませんでした。

そして、思い出したのです。
「阿紀ちゃんの文章は、巡り巡って誰かを救うんだよ!」と言われた日のことを。


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2017年2月。私がデザイン会社でライターの仕事を始めたばかりの頃。ある経営者の方にコンサルをしていただく機会がありました。

当時の私は、流行っていた本の影響を受けて「プチ起業」をしていました。私と同世代の20代前半の女性を対象に、仕事に関する悩みを解決するセミナーや個人セッションをほそぼそと行っていたのです。ありがたいことに、それなりにお申込みをいただいていて、表向きには順風満帆のようにみえていました。

でも、私は心のどこかで、「このままだと“セミナーや個人セッションをやる人”になっちゃうな……」と思っていたのです。だって、本当は作家になりたいのに。私は、早稲田大学に落っこちても、作家になる夢を執念深く追いかけ続けていました。プチ起業は私がやりたくて始めたことです。でも、それによって私に違う色がついて、どんどん「書く人」ではなくなっていっているような感じがしました。小説やエッセイなどの作品を置く場所がほしいと思って始めたnoteは、お客様と出会うために使うようになっていました。

経営者さんのコンサルで、私は抱えていた悩みを赤裸々に話しました。その人は私よりちょっと年上のお姉さんで、私の他にもたくさんの若い女の子が、彼女に起業の相談をしていました。私は、仕事終わりに、新宿のはずれにある彼女のオフィスに駆け込みました。オフィスはひどく静かで、喧騒から切り離された夜の街にぽかんと浮かんでいるみたいでした。

個人セッションやセミナーをするんじゃなくて、もっと文章を書きたい。でも、私のようなフツーの会社員が書いた文章なんて、誰も読まないですよね。別に、たいしてうまくもないし。私の言葉が、ぽつりぽつりとガラスのテーブルに落ちていきます。

「何、言ってるの?」

彼女の声に、私はゆっくりと顔を上げました。

「阿紀ちゃんには表現の強みがあるよ。阿紀ちゃんの文章は、巡り巡って誰かを救うんだよ!」

彼女は静かな口調で、でも、きっぱりとそう言い切りました。その言葉に、一切の淀みも迷いも感じられませんでした。

そのときの私は、彼女の言葉をありがたく受け取りながらも、実はあまり腑に落ちていませんでした。だって、私に表現力があるとは微塵も思わないし。文章が上手だなんて、一度も思ったことがない。私は子どもの頃から文章を書いてきたけど、親にも先生にも褒められたことがありません。私に表現力や文章力があるのならば、今頃とっくに作家か売れっ子ライターになっていることでしょう。

とはいえ、経営者として実績のある方が私を鼓舞するためにそう言ってくれているのだから、否定するわけにはいきません。私はできるだけうれしそうな顔で「ありがとうございます、がんばります」と言いました。芸能人やインフルエンサーならともかく、ただのフツーの会社員の書いた文章が誰かを救うなんて、ありえないと思いながら。

だけど、それから約2年の月日を経て、彼女の言葉がようやく腑に落ちました。『学年トップの女の子が第一志望の大学に落っこちた話。』に届いたメッセージと、彼女の言葉が一つの線でつながったのです。私の文章が、インターネットの海を巡り巡って必要としている誰かの元に届き、その人の救いになった。その事実を、この身体で体感してしまったのです。それから私は、より一層精力的に、noteで自分の経験や考えを発信するようになりました。


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私は、2016年から自分の経験や考えをnoteに書いて発信しています。noteでは、「自分の経験や考えを書いた記事」を“エッセイ”と呼んでいる人が多いのですが、私は“自分語り”と称しています(どうして“自分語り”と呼んでいるのかは、またどこかの機会で)。2022年からは、自分自身に【“自分語り”は世界を救う!】というコンセプトをつけることにしました。

「自分の経験や考えを書くことが、巡り巡って誰かを救う」と確信を得た私は、次第にこう考えるようになったのです。

自分の経験や考えを発信する人が増えたら、それはつまり、救われる人も増えるということ。発信する人がどんどん増えていったら、もしかして、最終的には世界平和につながるんじゃないだろうか……?!

はい、なんて短絡的な考えなんでしょう(笑)

だけど、私は本当にそう思っているんですよね。私一人の経験や考えで世界中の人を幸せにすることは、到底できません。でも、一人ひとりが経験や考えを発信すれば、その数だけよりよく生きるためのデータが世界に蓄積されていきます。そのデータの中から、一人ひとりが自分に合ったものを受け取り、人生に役立てていくことができたら……。なんか、見えてきません? 世界平和。


さて、世界平和は一旦置いておいて、もっと身近なところに話を戻します。私は、自分の経験や考えを発信して、「救われました」と言ってもらえるこの感動を、多くの人に味わってほしいと思っています。「救われる」というと少し大袈裟に聞こえるかもしれません。でも、自分の体験を、他の誰かに「共感しました」とか「励まされました」とか言ってもらえることで、なんだかこっちのほうが救われた気持ちになるんですよね。

『学年トップの女の子が第一志望の大学に落っこちた話。』は、まさにそうでした。誰かの救いになったことで、私のつらかった経験が浄化されたように感じました。自分の身体の中からこの経験を外に取り出していなかったら、それは私の身体をどんどん蝕んでいったと思います。心の在り方を少しずつ悪いほうに変えていく可能性すらありました。私は、これを書いて世の中に発信したことで、この出来事に「決着をつける」ことができたんですよね。

ただ、この浄化作業は、見方によっては、ずいぶん他者に依存しているような印象を受けるかもしれません。「承認欲求を満たす」ことと、酷似しているように見えます。でも、私は必ずしも「誰かに読んでもらい、感想をいただく」必要はないと思っています。もちろん、読んでもらえたり、感想をいただけたりすることは、とてもうれしいことです。だけど、私は、書いて、世の中に送り出した時点で、浄化作業は一度終わっていると考えています。

『学年トップの女の子が第一志望の大学に落っこちた話。』は、他の誰でもない、「私」を救うために書きました。私は、「早稲田大学に落っこちて、どん底の気分で春休みを過ごしている高校3年生の私」に向けて、あの文章を書いたのです。

「あなたは早稲田大学に落ちても幸せになれます。憧れていたライターの仕事だってできるし、私を愛してくれるたくさんの仲間と出会います。『嘘でしょ?!』みたいなことが起こるけど、それを糧にするくらいの強さがあなたにはあります。あなたの人生は、大学に落ちたくらいで決まりません!!」

私は、あの5800文字を自分で自分に送るような気持ちで書きました。誰かに読まれなくてもいい。誰からも感想をもらえなくてもいい。だって私にさえ届けばいいから。あの頃の私さえ、救えればいいのだから。


『学年トップの女の子が第一志望の大学に落っこちた話。』だけではありません。私は、他に公開したnoteでも、同じような経験をたくさんしてきました。2021年1月に公開したnote『たとえ「普通の」生き方ができなかったとしても。』では、一か月で仕事を辞めたときの顛末を書きました。この記事も多くの方に読んでいただき、

「まるで自分の気持ちを代弁してくれているかのような箇所が何箇所もあって、びっくりしながら読ませていただきました。」
「勝手に、どこか救われた気になりました。良い記事でした。」
「記事を読ませていただき、いてもたってもいられなくて、コメントしています。(中略)この記事に出会えてよかったです。」

などの、コメントをたくさんいただきました。このnoteは、「これからも書き続けます」という決意表明のような文章でした。私は、自分で自分に誓うためにこれを書いたのだと思います。


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こうやって自分の経験を書くと、いいことであれ、悪いことであれ、今日まで頑張って生きてきたなと、少しだけ自分のことを愛しく思えるときがあります。自分の生きた証が文章として残り、積み重なっていくことで、これまで歩んできた道のりに、ちょっとだけ胸を張れるような気持ちになるんです。いいことも悪いこともあったけれど、私の人生、捨てたもんじゃないな。せっかくここまで頑張ってきたんだし、もうちょっと生きてみようかなと思えます。

自分の経験や考えを発信するって、すごくお得です。私の経験が、世界のどこかにいる誰かの役に立つかもしれない。しかも、発信していく過程で自分の心までクリーンになっていくんですから。だから、“自分語り”、やらない? ねぇ、一緒にやろうよ! ……って、いつも思っています。だから、私はこそこそと「自分語り普及活動」を始めることにしました。

といっても、活動内容はまだ決まっていません。今までは、Twitterで「自分語りとは……」みたいなことを呟くにとどまっていました。そして、それに対してあまり手応えを感じていません笑

口には出していないけれど、自分語りをしたい人は潜在的に存在しているはず! と、私は信じています。もし、自分語りをしたい人、すでに自分語りをしている人がいらっしゃったら、私のLINEまでこっそりご連絡ください。

「自分語りをしたいけど、やり方がわからない」とか、「全然読まれないので落ち込みます!」とか、ご質問やお悩みをお送りいただけると、とてもありがたいです。回答はnoteで公開する形になりますので、その点はご了承いただけると助かります(もちろん、匿名での公開です!)

玄川阿紀の公式LINEはこちらです。
(noteの更新通知と執筆裏話が届きます。できるだけ返信しようと頑張っています!)


私は書くことが好きなので、「書く」ことを前提としています。でも、“自分語り”の手段は「書く」じゃなくても構いません。「話す」ことも、十分に“自分語り”です。あなたに合ったやり方で、ぜひチャレンジしてみてください。

私と一緒に、“自分語り”の世界へ足を踏み入れてみませんか?
普及活動のお手伝いもいただけると、とってもうれしいです。

さあ、ようこそ、“自分語り”の世界へ!


玄川 阿紀

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