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子どもたちや先生たちとの距離感

こんばんは。
あきです。

今日は卒業式でした。

そんな今日は
人との関わり方についてふと考えていました。

人と近づき過ぎたくない

飲み会とか別に、、、

なんというか、
嫌いとかじゃなくて、

わざわざ行く意味を感じないというか。

行かない理由もないけど
行く理由もないみたいなかんじ。

でも、
みんななぜか予定が入っていないと
参加するものだと思ってたりする。

気を悪くさせるほど嫌なわけではないけど、
断って何も起こらないなら、
誘われるのは断りたい。

自分が行きたいと思うときに声をかけますので。

って感じ。

職場でみんなと仲良くなくても・・・

なんだか、
1人で普通に過ごしていると
気を遣ってもらったりする。

若手の先生がいない部屋にいるから、
先輩の先生達が職員室においでよ!

って言ってくれる。

でも、
わざわざ話すためにいくなら
別に行かなくてもいい。

気遣いはめちゃくちゃありがたいけど。

子どもたちを卒業させるまで・・・とはならない

一緒に過ごす時間、
私が関わる時間は本気でその子達のサポートをしたい。

そこについては、
嘘偽りは全くない。

ただ、
"卒業するまでおってよ!"

と言われると、

"そんなん知らんよ"

と返す。

ノリとかでもなく、
本当にそんなことはなんでもいい。

なんというか、
どうせそれぞれの人生だから、

その中で1年一緒に過ごすか、
2年一緒に過ごすかの違いくらい。

ただ、
大切な子達には変わりなくて、
全力で応援してるのも間違いなくて、
喜びや幸せをくれるのもその通りで、

だけど、
いや、だからこそ、

一緒に過ごす期間はそんなに関係ない。

既に特別な子達だし、
離れてもまた会えたらなぁと思う。

離れるのが1年早いかどうかの違いだけ。

お互い大人になろうね!
って言って別れようと思う。

一緒にいるときに楽しく過ごす

友達でも、同僚でも、子ども達とでも、
一緒にいるときに楽しかったらいいと思ってる。

そのときに気遣いやノリが上手く噛み合えば充分。

だから、
その楽しさを求めて、

一緒に過ごす時間を作りすぎるのはどうかと思う。

完全に持論ですが。

作り上げたその場のノリは
作り上げたからどうにかしないといけなくて、

例えば、
一度飲みに行って楽しくて、
もう一度その場を作りにいくと、

楽しいものを作らないといけないと
無意識にでも思ってしまったりする。

だからこそ、
無理に作りに行くんじゃなくて、

一緒にいるタイミングがあれば、
楽しく過ごそうね!

って思ってるぐらいが、
1番自然に楽しめるんじゃないかなって思う。

意識して関係を作りにいかなかった
人たちといまは1番いい関係を作れている気がしている。

これからも、
自然に人と付き合っていこう。

別れがくるのも自然の原理だよね。

みんなと会えるのもあと1か月や。

ラストスパートで
さらに子ども達と戯れていこう。

今日はこんな感じのぼやきでした!

最後までお読みいただきありがとうございました。

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