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抱いてしまった暗い感情もぜんぶ肯定してあげたい

大人になると、過去の自分を慰めたくなることはありませんか。
あの時は苦しかったね、つらかったね。
よく耐えたねって。

自分自身に言ってあげられなかった言葉を、時が経った今でも、当時の私は声をかけてくれるのをじっと待っている気がするんです。

そこで一個だけ、

理不尽だと感じて悲しくなった高校生の私を、なぐさめてあげてもいいですか。


高校生になったばかりの頃。

中学で離れ離れになった知り合いと久しぶりに顔を合わせました。その子とは、クラスも部活も一緒になり、次第に仲良くなりました。

ある日、2人で廊下を歩いていると、保健室の先生がその友人に話しかけました。

ここで聞き耳を立てた私も悪かったのですが、どうにも先生は、友人をとっても褒めているようでした。

2人の会話の中でわかったのは、その子は中学生の頃に体調の面で不登校気味になっていたこと。そこからがんばって全日制の高校に進学するまで復帰したこと。

私の知らなかった友人の過去を、そのタイミングで聞いてしまいました。

そして、しきりに先生は、
「復帰できたことがすごい!」
「よくがんばったね」
「えらいね」
と、声をかけていました。

褒めちぎられている友人を横目で見ながら、
私は何とも言えない気持ちになってました。

のちに私は学校に行けなくなる経験をしたので、今ならちょびっとわかります。

復帰できたことがどれほど凄いことか。

けど、当時の私には想像力が備わっていませんでした。

私は学生時代に良い思いをしたことがあんまりなくて。嫌がらせを受けた日も、人間関係がつらくて泣いた日もありましたが、毎日がんばって学校へ行っていました。

なのに。

ツラいのを押し殺して毎日がんばることは『当たり前でしょ?』って流されて、行けなくなった人が復帰したら『すごい!』って褒められるのはなんで?

不登校から復帰って、マイナスがゼロに戻っただけじゃんか。

必死にがんばる私が、なんだかバカみたいだ。

当時の私は、そう感じてしまったのです。

“苦しさ”なんて人それぞれであって比べようがないのに、私は自分の物差しでその子の苦しさを測ってしまいました。

そして、理不尽だと。

文章に書き起こしてみて、被害妄想も甚だしいなぁと思いますが、当時の暗い感情をないがしろにもしたくないです。

大前提として、休むことなくコツコツと自分の人生を歩めている人はすごいです。

そして、休むこと、立ち止まることは、マイナスではなくて、言葉通り小休止して、自分の人生の方向転換する良いチャンスってだけです。

ただ、学校の世界しか知らなかった私には、その感覚が分からなかっただけ。

もし、あの頃の私にいま会えたなら、優しく声をかけてあげたいです。

✳︎✳︎✳︎

あの頃の私へ

あの子は休んでいたのに褒められてて、なぜだか悔しかったんだよね。
あなたもがんばってるのにね。
代わりに今の私があなたを褒めよう。
毎日学校に行ってえらいよ。
嫌なことがあっても逃げない姿勢がかっこいいよ。
もしあなたが目の前にいるならば、あなたの寂しさや苦しさも全部、ぎゅーっと抱きしめてあげよう。あなたはあなた自身が素晴らしいことをいちばんに認めてあげてね。

今の私より

✳︎✳︎✳︎

noteに書いて、当時の黒いモヤモヤが少しだけ浄化された気がします。

そして、いま感じているモヤモヤもいくつかあります。
多分、生きていれば永遠に生み出されるのかもしれないです。

そんできっと、生きていく中でそのモヤモヤを眺める視点もめまぐるしく変わっていくのでしょうね。

その度に当時の黒い感情を肯定してあげて、次に進められたらいいな。

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