ヘッドハンター
大学四年の時に書いたやつです
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ある土曜の朝のことだ。僕の頭はアビーロードをころころ転がっていた。いわずとしれた世界一有名な横断歩道だ。僕はジョン・レノンやポール・マッカートニーが歩いてたのとは反対方向に転がっていく。ここを渡るのは夢だった。そんなところで死ねるのだから、ここ最近で連中に首を切られた奴の中じゃ、僕はラッキーなほうだ。まあ、胴体も一緒だったら、最高だったけどね。ロンドンについてからすぐアビーロードが見えるホテルにチェックインしたけど、渡るのを先延ばしにしたのは間違いだった。血を引いて転がる僕を通行人がぎょっとしてスマホを向けてる。違う。そのアングルは間違いだ。僕はイライラしながら毒づく。こんな状態でイライラできるんだから、どうやら僕は筋金入りのファンのようだ。下を向くたびに目に入る横断歩道の白い線を数えていると、だいぶ意識がはっきりしてくる。首だけになった人間は死ぬまで何秒かかるんだっけ。たぶん僕の胴体はまだカムデンホテルの1503号室にあって、何が起こったのか分からずにポカンとしているだろう。というのも、あいつらがホテルの部屋に押し入ってから僕の頭を切り落とし、15階の窓から放り投げたのはつい数秒ほど前の出来事だからだ。
"あいつら"って呼んだけど、実は奴らが誰なのかはさっぱり検討がつかない。わかってるのは、ここ最近世界中で立て続けに起きてる斬首事件の犯人はほぼ百パー奴らだってこと。もっとシリアルキラーめいた奴だと思ってたけど、手慣れた特殊部隊みたいな感じで心底がっかりした。殺人鬼じゃないなら、なぜ世界中で僕みたいな一般人の首を切り落としてまわってるんだろう。
あいつらのマチェットが首の3分の2のところに差し掛かった時に奴らにブギーメンってあだ名をつけた。これはマスコミや警察がこの連続殺人鬼のことをブギーマンって呼んでたことへのあてつけみたいなものだ。咄嗟のことだったからセンスが無いとか言うなよ。とにかく、複数犯かどうかも見分けられない無能な警察に呆れればいいのか、連中の偽装の見事さに感心すればいいのか、迷うところだけど、迷ってる間に死ぬだろうから、残された時間を有意義に使おう。もう死ぬって時に犯人のことをネチネチ考えても仕方がない。
まったく、今ので1秒はロスしたぞ。
さて、本題だ。僕はどうすれば助かるだろう。そう、実はまだ諦めてない。生きる気マンマン。でも心臓や肺は遠い彼方だし、何かをするための手足もない。脳を巡る血は僕が転がった跡をなぞっていってる。生まれて初めて残り少ないインクで踏ん張ってるボールペンの気持ちを理解したよ。このまま死んであの世でビートルズのライブ(あ、ちなみに今はポールとリンゴが数十年前に死んでるくらい遠い未来だ。君の知ってる時代じゃない)にでるのもいいが、実は死ねない理由がある。でもその説明をするのに5秒はタイムロスするから、また今度だ。
よし、ひとつだけ、名案を思いついた。救急車だ。救急車を呼ぶ。
今の医療なら脳死していなければ僕みたいな生首野郎でも救える。生命維持デバイスを取り付けてちょちょいのちょい。タコ人間の完成だ。問題はどうやって医者を呼ぶかだ。僕には胴体がない。つまり、喉に空気を送りこめないから、大声で救急車を呼ぶことは出来ない。剥き出しになった気道に転がったはずみで流れ込む空気を流し込んでみよう。
試してみたけど、駄目だった。ヒュウヒュウとか細い音が鳴るだけだ。何度か頑張ってみたけど、まったく無駄。
無理。多分あと三秒くらいで死ぬ。
その時だった。偶然にもサイレンを鳴らした救急車が通りがかったのは。最後の気力を振り絞って、僕は跳ね上がった。顔が下を向いたとたんに舌を思いっきり突き出し、ジャンプしたんだ。あいつら、けっこう豪速球で僕の頭を投げやがったんだけど、そのおかげで推進力が出来て、僕の頭は救急車のミラーに吸い込まれるように近づいて行った。僕は頑張ってミラーに噛み付くと、助手席へと目をやった。 助手席の兄ちゃんは窓を開けて僕のほうをぎょっとした様子で見ている。僕は、目で訴えた。でもこの兄ちゃんはクズ野郎だった。最初に放った言葉は、
「おい、ミラーが見えないと困るんだ。頼むから離れてくれ」
僕は心底がっかりした目でにらみつける。何秒か経って、うんざりした様子で助手席の奴は僕を乱暴にもぎ取り、車内へ招き入れた。
「こいつ、生きてるぞ」と兄ちゃん。
運転手は、「後ろの連中に回しとけ」と兄ちゃんに言い、僕は後ろの救護士へと放り投げられた。
目が覚めると、フカフカの枕に頭を埋めていた。頭がジンジンする。あと五分だけ寝よう。その後いつもどおりに起き出して、まずはコーヒーだ。イギリスにコーヒーなんて売ってるのかな?そしてまた眠りに落ちていく...
数時間は寝てたかもしれない。夢の中では見たこともない公園で知らないおじさんとブランコの上で大麻をきめながらカンブリア紀の生物について語っていた。その話は3時間くらい続いたと思う。でも、さっき目を開いた時から日の当たり方がそんなに変わってないから、実際には数十分しか経っていないんだろう。
そろそろ起きよう。寝返りをうつ。寝返りをうてない。もう一度試してみても身体は動かない。よくあることだ。
やれやれと、身体を起こそうとしたところで、ようやく昨日何があったかを思い出してぎょっとした。
僕はいまどんな状態になってるんだ?
その答えはすぐに分かった。視界の端のドアが開き、医者が部屋に入ってきたからだ。
「おはよう。どんな気分かな?」と、イギリス訛りの穏やかな声がする。
「ゲロクソ」と答える。我ながら完結で素晴らしい表現だと思ったが、ゲロもクソも出ない身体になっていたことに気づいて言ったことを後悔する。
「まあ無理もない。見るかね?」医者は手鏡を差し出す。
案の定、僕の首から下はきれいさっぱり無くなっていた。そして首の断面は変な機械で覆われていた。
「この機械何?」と医者にたずねる。
「ああ。これは君の胴体だ。君が臓器で行なっていた機能のすべてがこの中で行われている」医者は手鏡をしまった。
医者が言うには首の断面から数センチほどの大きさしかないのに、この中に心臓、腎臓、肝臓、大腸などが詰まっていると言うわけ。当然気になるのはオチンチンがついてるかってことなんだけど、最低限生命を維持するのに必要な機能だけを詰め込んでるそうだ。
「日課の自慰が出来ないと死んじゃうよ。」医者に抗議する。
「まあ落ち着きたまえ。確かに君の手足や性器はその機械にはついていない。だがそのデバイスは取り付けが自由な規格だ。現時点でほとんどのタイプの胴体に対応している。その首を好きな胴体の上に取り付けるだけで、タコ型、四足歩行型、キャタピラ型、フロート型....それがどのような形の物でも自由自在に動かせるのだ。魅力的ではないか?このデバイスのためにわざわざ自分の首を切り落とす者までいるぞ」
小さい頃、よく父さんが枕元で話をしてくれた。その中でもお気に入りだったのは、ピーターおじさんのタマのシワに隠れ住むゾウリムシの一家の話だ。シワシワ谷のグルーミン。今考えるとこれはムーミン一家のパクリだったとわかるんだけど、幼かった僕は物語と現実の区別がつかずに、おじさんのタマのシワの中に本当にこの魅力的な一家が住んでいるんだと思いこんでいた。おじさんは怖い人だった。日曜日には必ず教会に通うような厳格なカトリックで、リベラルな父さんとは馬が合わなかった。そんな彼が家に訪ねてきた時に僕は、あのゾウリムシ一家の話をしちゃったわけ。
もちろん大目玉で、父さんと僕はこっぴどく叱られた。
それでも、父さんはこの話を続けたし、僕はそのことを一切誰にも漏らさなかった。父さんと二人だけの秘密だ。結局この物語は僕が14歳になるまで続いて、肉食に突然変異したグルーミン一家がおじさんのタマを食い尽くしちゃう形で終わりを迎えた。翌月おじさんが事故で死んだ。
なんでこんな話をしてるかっていうと、医者に売りつけられた胴体が、その話に出てきた"グルーミンパパ"そっくりだったから。あの医者は色々な胴体を取り揃えてるって言っておきながら、在庫はそれだけ。でも胴体が無いと生活できないから泣く泣くグルーミンパパを買ったんだ。というわけで、僕は憧れのタコ型サイボーグになることは叶わず、巨大ミドリムシの繊毛でよちよち歩く練習に勤しんでいるわけだ。
院内でのリハビリを始めてから3週間が過ぎ、僕は繊毛での移動を完璧にマスターしていた。こうなってくると、自分が陽気なミドリムシのパパで、この星が実はピーターおじさんのタマだったんじゃないかって、変な想像をしてしまう。
病棟での日々はとても退屈だった。
5時間くらい繊毛で歩く練習をしてから、フルーツジュースにたっぷりとスモークチーズを混ぜ合わせたような病院食を食べる。1日3回、フレーバーは5つ。イチゴ、キウイ、トマト、キャラメル、ヨーグルト。ローテーションしてるらしいけど、実際には毎度同じような味。後は自由時間だけど、テレビもネットも禁止されてるから、大抵他の患者とだらだらしゃべって暇をつぶす。中でも気が合ったのが302号室に入院中のセスだった。五十路の所帯もちの親父で、足がない。コンベアに巻き込まれて下半身がすっきり無くなってしまったらしい。僕からしたら上半身があるだけでもうらやましいけど、世間一般の価値観で言ったら哀れな男だ。本人は微塵も気にしてないけど。まあ、205号室のロバートは大脳辺縁系だけしか残ってないから、僕だって幸せなほうだ。
セスは蜘蛛みたいな下半身を取り付けていて、度々特注のイチモツを自慢してくる気のいい奴だった。
その日、セスは僕を見つけると、嬉しそうにシャカシャカと近づいてきた。
「おい、今週で退院だぜ」
「えっ、マジ?うわ、おめでとう」
僕はなるべく嬉しそうに聞こえるような声を出してセスを祝った。
「さみしくなるよ。うん。本当に」
なるべく寂しそうに言う。
「家族にメールを出したいんだけどな。病院の連中が許可すると思うか」
「難しいんじゃないか。どのみちネットも電波も遮断されてる」
「粘ってみるしかないな」
「ああ。がんばれよ」
結局その後、彼とは4回しか合わなかった。一回目はオシッコの時、二回目はランチ、3回目はまたオシッコ。(僕たちがどうやってオシッコしてるか気になるみたいだね。じゃあそれは伏線にしておこう)やはりメールは出せなかったらしい。
そして4回目に顔を合わせたのが別れの時だった。病院のエントランスには患者は近づけない。一度病院の外にでたら中には入れない。だから面会室で最後の挨拶を交わした。
「お前も退院したら酒でも飲もうぜ。ロンドン・ジンだ。まだ飲んでないだろ」
「パブなんて行く暇が無かった。こっちに来て真っ先にやられたからな」と、相槌。
「分かってるだろうけど酒は2杯までだ」
「腎臓をアップグレードすれば問題ない!むしろ真っ先にやるべきじゃねえか」
「なあ、それより知ってるか。東京にはおっぱいが揉めるパブが••••••」
「やあやあ、ご機嫌麗しゅう!」人工声帯特有の甲高いふわふわした声がおっさんの下ネタを描き消した。
クラゲにプロペラがついたような奇妙な物体がブンブンと音を立てながら部屋に入ってきた。クラゲの笠みたいなパーツはスケルトンの頭蓋カバーで、チャームポイントの大脳辺縁系を見せつけている。
「ロバート」セスは握手を求めた。
ロバートの触手状のマニピュレータがにゅっと伸びてセスの手に触れる。
「おひさ」ロバートは手を絡みつかせながら、ぶんぶん振り回した。
「帰るの」と、ロバートが聞く。
「ああ。ジェニーと久しぶりに会うんだ。今夜はやりまくる」
セスの奥さんは六十だ。
「仲が良いんだな」
僕は言いながら、頭の中で繰り広げられかけた夫婦の情事を掻き消そうと努力する。なんといってもセスのは特注なのだ。いいや、いつまでも仲が良いのは良いことだ。なるべく微笑ましい気持ちになろうとしていたら、セスが訝しげな顔をした。
「お前、想像したろ」
「いや、してない」僕は言い張った。なら言うなよ、と心の中で毒づきながら。
ロバートはニコニコと会話を聞いているだけだった。
しばらくの沈黙の後、セスが口を開いた。
「ええと、じゃあな」
僕たちもそれに答えて頷く。
そして面会室から出たセスの姿はゲートの奥へ。
セスと別れてから3時間くらい経っていた。僕とロバートは男子トイレにいた。セスがいなくなった今、連れション仲間はロバートのみになってしまった。
「猿がライフルを持ってる時点で地球の歴史の延長線上にあるってすぐに気付いたよ」
僕は得意げに言う。
「あそこが他の惑星だったら別の武器があっただろうね。馬だって地球外に存在してるとは思えない。自由の女神が映ってもやっぱりとしか思わなかった」
「ふぅん」ロバートはのんびりと相槌。
「まあ、それ言うなら猿がいる時点でおかしいけどな」と、早口で続ける。
「へぇえ〜」と、ロバート。大脳辺縁系しかないやつはみんなこうなのか。残念ながら大脳辺縁系だけの知人はこいつだけだから調べようがない。
ロバートになんでそうなったのか聞いてみたことがある。でも、返ってくる返事は「わかんない」の一点張り。
実際、そうなのだろう。脳の他の部分の機能は頭蓋カバーの中に満たされているジェルで補完されているんだけど、それは完全じゃない。僕がずるずるのゾウリムシの身体をうまく使いこなせないように、ロバートはずるずるの脳みそを使いこなせていない。
結局、ロバートは自分がどこの誰で、男だったのか女だったのかさえ分かってない。ロバートという名前は、セスが適当につけた呼称だ。
未完
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