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「家政婦は見た!フィリピン版」ではない 意味深なタイトル 映画感想その2

フィリピンで話題の映画「メイド・イン・マラカニアン」(原題Maid in Malacanang、ダリル・ヤップ監督)。日本でも在住フィリピノコミュニティーの自主上映会が、13日から順次、各地で始まる。

今のところ映画館での本格上映とは違うが、カラオケ店などを会場に、フェイスブックなどを通じて、鑑賞する人を募っている。13日の都内の上映会には監督や主演俳優も来日して参加するという力の入れようだ。(下は映画予告編)

前にも少し書いたが、この映画は、フィリピンの第10代大統領フェルディナンド・マルコス(1917-1989)一家が、1986年に国外に追放されるまでの72時間を、「マルコス家側の視点」から描いた映画だ。

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マルコスを語るとき、これまでは「人権侵害や不正蓄財をし、国から追い出された悪者」という語り口が主流だったと思う。この映画は、その見方に「ちょっと待った!」をかける。

タイトルからして「メイドさんの話」なんだな、と想像するのが普通だ。でもマニラで実際に見て、このタイトルのメッセージは違うところにあるんだと気づいた。

バスタオル持参で見る映画

5月の大統領選挙では、3100万人以上がマルコス元大統領の息子ボンボン・マルコスに投票し、彼を大統領に押し上げた。主流だった「マルコス=悪者」の語り口に疑問をもち、「違う話を聞きたい」と思っている人が、フィリピンにたくさんいるということでもある。この映画は、そのニーズにぴたっとはまる。

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一足先にマニラで映画を見たと言ったら、東京在住のフィリピン出身の知人に、「映画どうだった?」と感想を聞かれた。マルコスをずっと支持してきたお姉さんで、日本での上映会をとても楽しみにしている。

「面白かったよ。私にはうーん本当かなあと思うところもあったけど、両隣の席の人はずっと泣いていた。お姉さんも泣くだろうなあ……バスタオル持っていったほうがいいと思う」とアドバイスしたら、あははと笑っていた。

家政婦は見た?

タイトルは日本語にすると「大統領府のメイド」という意味だ。実際にマルコス家につかえた女性がモデルの3人のメイド(下の写真)が映画に登場し、終幕には、実在のメイドのその後の人生も紹介される。

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ああ、メイドが垣間見たマルコス家の秘話を語っていく「家政婦は見た!フィリピン版」ね、と思うと、ちょっと違う。この映画のメイドは市原悦子さんほどのメインロールではなく、やはり脇役なのだ。

これでもかというほど重要な役回りで、ストーリーをまわす主役は、人気女優が演じるマルコス元大統領の長女、アイミー・マルコスだ。

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アイミーはボンボン・マルコス現大統領の姉であり、現在はフィリピンの上院議員で、この映画のエグゼクティブディレクターも務めている。

私たちはここの出だ!

映画を見終わって、アイミーらが伝えたかった彼らの視点とは、「マルコス家は裏切られた善人である」ということなんだな、と感じた。裏切りという言葉がたびたび使われる。

タイトルの意味も、もう一度考えた。

この映画はMaid(メイド)として国に仕えた一家、という意味だけでなく、音だけ聞けば同じ発音の「Made in Malacanang」。つまり、私たちは大統領府の生まれだ、が本当のテーマなのだろう。 このタイトルは、私たちはここの人間だ!というマルコス家の叫びなのだ。

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実際にアイミーは、7月にあった記者会見でこんな発言をしている。「私たちは大統領府の出であり、そこに戻ることはたいしたことじゃない。重要なのは父の偉大な功績と私たち家族の名を回復し、立ち上がらせることです」。

周りがなんと言おうと、彼らは国を追われたことが不本意で、悔しかったのだろう。

仮にマルコスは悪いことばかりしたのではなく、功績もあったのだと認めたとしても、なぜそこまで胸を張れるのか。外国人の私にはちょっと理解しがたい感情ではある。しかしそれこそが、マルコスが大統領府に舞い戻ることができたキモでもある。

すっと入り込める映画のこわさも

マニラの映画館には「無料で配布された」という鑑賞券をもって見に来ている人もいた(下の写真)。通常料金だと350ペソ(約840円)したが、「映画は高いからなかなか見られない」と女性客がうれしそうに話していた。なるほど、確かに安くない。

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マルコスを支持しないフィリピン人の知人に聞くと「映画は見ておきたいが、彼らにお金を払いたくない」という。なるほど、その感情もわかる。

かなり重要な歴史の一場面を扱っているだけに、どこがフィクションで、どこがノンフィクションなのかわかりにくいのは、この作品の難点だと感じた。事実関係については、様々な指摘も出ている。

ただでさえ、マルコスを支持する人たちと、そうでない人たちが主にソーシャルメディア上で対立するなか、対立や分断を深める道具に、この映画がなりつつあるのが気がかりだ。

映画という芸術で平和的に、意見を表明するのは悪いことではない。ただ、すっと入り込める映画の魅力ゆえ、映し出されるすべてが本当のことのように見えてしまうのは怖いところ。

この作品はどんなふうに人びとの認識に影響を与えていくだろうか。

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