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「十年後の九月に答え合わせしよう」(短編)

 やはり、おかしい、と思った。
 制服に着替えて、家を出て、最寄駅から電車に乗って、学校までの通学路を歩く。夏休み前まで当たり前のように出来ていたことが、自分の中で違和感となっていた。私と同じ制服姿の人間が学校に向かって歩いていくのを見ていると、まるで蟻が巣に帰る様のように見えて、気分が悪い。
 私って、何のために学校に行ってたんだっけ?
 いつもこなしていたルーティーンに疑問が生じてしまう。疑問が明確な違和感に変わってしまっては最期。私は学校に向かう意欲が削がれ、学校に向かう生徒が通学する列から逸れ、近くの公園に逃げるように向かった。
 早朝の公園は人がいなくて落ち着いた。澄んだ空気と木々の枝が揺れる音に、幾分気持ちが和らいだ。ベンチに腰を降ろして、途中、コンビニで購入したミネラルウォーターを飲む。携帯端末のディスプレイを表示させると時刻はちょうど『9:00』を表示していた。みんなは今頃机に座って授業を受けているのか、とぼんやり思った。
 学校辞めようかな、と無責任な感情がわいた。
 次いで、辞めてどうするの?と頭の中で自分のような自分じゃないような奴の言葉が聞こえた。
 だって学校行きたくないんだから、辞めるしかなくない?
 私はその頭の中の誰かに問いかけた。けど、返事はなかった。
 よくよく考えれば、勉強も成績は下から数えた方が早いし、友達もいないし、先生も偉そうで好きじゃないし、学校に行く理由なんてこれといって思いつかない。強いて言うなら、親を心配させないためだろうか。それだって、私が行きたくもない場所に行って、ストレスフルになって、それで平気なフリして家で過ごすのもどうなんだろうか。親に無駄に学費を出させているのではないか。しかし、それは学校に行きたくない人間が使う卑怯な言い訳のような気もしてくる。ぐるぐる頭の中で思考が巡る。でも、どれもしっくりこなかった。
 ネットの記事か何かで見たなー、と思った。『9月になると子供は学校に行きたくなくなる』『不登校のきっかけ。夏休み明けに注意』だとか、取り上げられていた。私もそれに当てはまっているってことなのか?
 携帯端末で検索してみる。そのどれもが”大人が子供を心配している”といった社会の体裁を整えようと画策されたもので、根本的な解決策が記されているかんじがしなかった。

 「はあぁー」「あっ、はい、すみません、よろしくお願いしますー」

 私が溜息をついたところに、女性が電話をしながら私の隣のベンチに腰掛けた。女性は誰もいない公園に向かって軽く頭を下げたり、愛想笑いを浮かべたりしている。聞いたことがある。電話中にジェスチャーすることで言葉に感情が乗るらしい。そのため、大人は本当に感謝しているように聞こえるように、本当に労っているように聞こえるように、電話口でも振舞う。私は大人になってそんなことができるだろうか。
 そんなことを考えながら女性を観察していると、電話を終えて一息ついた彼女と目があった。お互い何となく会釈をする。
 平日なのに私服?
 彼女はオーバーサイズのスェットにワイドシルエットのデニムといった出で立ちだった。年齢は二十代半ばくらいだろうか。そして公園で仕事の電話?
 女性に対する疑問が次々と私の脳裏に浮かんだときだった。
 「平日なのに、制服で公園?」と女性が、思わず、といったかんじで呟いた。
 「あっ違うんです!ちょっと体調悪くて!」
 私は学校をサボっているバツの悪さからか、その呟きに反射的に応えてしまう。女性は私の言葉を聞くと「大丈夫?誰か呼んだほうがいい?」と怪訝そうにしながらも心配してくれた。私はその提案を「大丈夫です」と丁重にお断りする。すると、私達の間に気まずい雰囲気が流れ出す。私はその空気に耐え切れず、取り繕うように質問をした。
 「お姉さんはこんな朝早くから何されてるんですか?」
 「私?ああ‥えっと、これからバイトの面接なんだ。そこのビルで」
 女性が指を指した先に4階建てのビルがあった。
 「でも採用担当の人が遅れてて。そりゃこんな朝早くから面接っておかしいなと思ってたんだよね。まあ、向こうにもいろいろ都合があるんだろうけど」
 へえ、社会人になったらそんなこともあるんだ。私は目の前のビルを眺めて、中で働いている人を想像してみようと試みるも、世の中にどういう仕事があるのかわからないから、上手く想像できなかった。
 「あの‥聞いてもいいですか?」
 「‥はい。どうぞ」
 「働くの楽しいですか?」
 私は自分が学生の身分であることを利用して無邪気な質問をぶつけてみた。 
 私の言葉に彼女は少し考えた後、「全然、楽しくないかなあ」と言った。
 私は予想外の言葉に動揺し、思わず女性の顔を見てしまう。しかし、私の想像とは裏腹に、彼女の表情には悲壮感はない。潔く現実を受け入れているような、そんなかんじだった。
 「えっ‥楽しくないんですか?!」
 「うん」
 「じゃあ‥やりたくないのに仕事してるんですか?!」
 私の矢継ぎ早の質問に女性は少したじろいだ。けれども、嫌がる素振りは見せずに、むしろ愉快そうに対応してくれている。
 「そうだね。でも、あなたもそうじゃないの?」
 「私も、ですか?」
 「うん。あなたは、”100% 学校に行きたい!”って気持ちで学校に通ってる?」
 女性の直球の質問に言葉が詰まる。女性の言っていることは考えてみれば当たり前のことだけど、誰も敢えて言葉にしない、いや、言葉にしてはいけないことのようなかんじがあった。
 「”みんな100%の気持ちでやりたいって思ってない”ってことですか?‥」と私が呟くと、彼女は私の言葉に頷いた。
 「じゃあ‥どうして?」
 「ん?」
 「どうしてみんな、学校行ったり、働いたりできるんですかね?」
 私の素朴な疑問に対して、女性は「これは人それぞれ見解が異なることを前提に聞いてほしんだけど‥」と前置きした上で話してくれた。
 「私はね、”良い人間に出会うため”だと思うんだよね」
 「”良い人間に出会う”‥ですか?」
 「そう。結局これだなって思った。私もいろんな仕事転々としたけどさ、つまらない仕事って必ずつまらない人間が関わってるんだよ。くどくど説教してきたり、他人の足を引っ張ってきたりしてさ。それで私さ、最初の頃は『自分って何てダメな人間なんだろう』って自分を責めてた。でも、それって違うんだよね」
 女性は私の様子を伺いながら話し掛けてくる。偉そうに上から目線にならないように気を配っているような気遣いに感じた。私は彼女に頷いて、話の続きを促す。
 「極端に言ってしまえば、給料が少なくても、仕事がつまらなくても、会いたい人が職場にいればその場所に行くよなって。だから、さっきの”100%行きたくて行ってない”ってそういう意味なんだ。仕事の内容とかモチベーションとか関係ないっていうか、わかる?」
 女性は苦笑いしながら自身の経験をすくい上げて、私に話していた。
 ”会いたい人がいれば、その場所に行く”‥か。
 私にとっては、同級生とか先輩とか先生とかだろうか?
 私には”会いたい”って思える人がいるだろうか?
 「何となく、わかります」と私が頷くと、女性は安心したような表情になって「よかった」と言った。
 その言葉でやり取り一段落させた瞬間に、彼女の携帯端末に連絡が入った。
 「あっ、おはようございます!はい‥わかりました。すぐ伺いますー」
 彼女は通話を終えると立ち上がった。
 「じゃあ、私行くけど‥」と一声掛けてくれた後、「本当に体調大丈夫?」とあらためて聞いてきたので、心配をかけないように「大丈夫です」と返答しておいた。
 歩き出した彼女の後ろ姿を見送りながら、私は時間を確認した。今からなら、二時間目がはじまる前くらいには教室に入れそうだ。
 何も解決したわけではない。でも、ネガティブな気持ちに絡み取られた思考を振りほどけたかんじだけはした。
 ”100%学校に行きたい理由”なんて、なくてもいいんだ。
 彼女は私に”会いたい人が居ればいい”と言っていたけど、きっと本当は何でもいいんだ。クラスメイト、勉強、テストの結果、部活‥。私にも、これだけがあればそれでいいってものが見つかれば。きっとつまらないと思っていた学校だって、続けられるはずだ。
 私はベンチから立ち上がって一つ伸びをした。しかし、そこで気が付いた。
 「っていうか、それが難しいんだけど!」
 私は独り、自分自身にツッコミを入れる。静かな公園の空間に私の声が吸い込まれ、消えていった。
 私は手に持っていたミネラルウォーターを一気に飲み干して、ゴミ箱に向けてペットボトルをシュートする。放ったペットボトルは真っ直ぐにゴミ箱に向かっていき、アルミの淵にぶつかってピンボールみたいに入っていった。
 私はそれを見送って、公園の外に踏み出した。


終わり。



あとがき。
書くのに苦戦しました。
自分は学生の頃、まじめ病(びょう)みたいなものがあって、振り返ってみれば、『学校は行かなければいけないもの』というアルゴリズムが、自分にプログラミングされていたみたいに登下校を繰り返していたような気がします。
もし、学生時代に、ある日、急に学校に行きたくない、と自分が思ってしまったらどうだろう?
そう考えたときに、おそらく私が欲する助言は、
『上から目線ではないこと』『綺麗事ではないこと』『不安や恐怖を徒らに煽られるものではないこと』
この三つが留意されたものだと思います。
そういう思いが今回の作品になりました。
 
 

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