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[小説]そうだ、カラオケに行こう!(短編)

 今週は最悪だった。
 一週間を振り返ると、おかしい人間に絡まれることが多かった。
 インターフォンが鳴って玄関のドアを開けると、リフォーム業者が長々と営業を掛けてきたり、散歩をしていると目の前に車が停車して「○○の住所の家知らない?」とおばさんに話しかけられたり、自分の日常が土足で踏み荒らされる感覚に陥る出来事が何度も起こった。
 そして、これは仕方のないことなのだけれど、仕事で不快な人間が数多く来店してきた。当たり前のようにタメ口の年長者たち。接客中にも関わらず、横入りしてきて話し掛けてくる馬鹿な客。終いには、昨日は閉店時間ちょうどにやって来た客が、購入する商品の会計を別々にしてだの、ラッピングしてだの、細かい注文を付けてきたため、残業になり、帰りのバスに乗れず、結局、家に着いたのはいつもよりも一時間も遅くなってしまった。
 大学を卒業して販売の仕事に就職してはみたが、中々前途は多難だ。何しろ自分の将来像が全く見えない。
 ただ一つ、接客業に就いてみて、自分についての理解が深まったことがある。どうやら私は人間が嫌いだ。とりわけ馬鹿な人間が、特に。
 『共感能力がない』
 『無礼なことを親近感の表れだと自己擁護する』
 『他人の人生に土足で踏み込む権利があると勘違いしている』
 接客業をしていると、どういう人生の時間の使い方をしてきたらこんな人間が出来上がるんだろう?と訝しがってしまうような残念な人間に大量に遭遇する。
 社内の人に面倒くさい客のことについて愚痴ったら、「こちらの都合はお客さんには関係ない」とピシャリと、あたかも私の認識が間違っているかのように言われてしまった。敵は外側だけじゃない。社内にも面倒な奴がいる。
 つまり何が言いたいかというと、私のストレスの主成分は『人間』により構成されている、ということだ。そして、とりわけ今週はキツい人間ばかりだった、ということだ。
 ベッドから起き上がって、洗面所で口をゆすいだ後、コップに水を注いで一杯水を飲んだ。ぼんやりした意識が覚醒に向けて起動しはじめる。時計を見ると時刻は11:00を過ぎていた。くそっ、もう一日の半分が終わってしまった。機嫌が少し悪くなる。
 昨夜のテレビ番組の録画を流しながら朝ごはん兼お昼を食べる。家でご飯を食べているときだけは安心する。ようやく今日が休日であることに実感を持てた。
 「この後どうしようかなー」
 意識せずとも声が出ていた。どうせ誰も聞いてやしない、とスルーする。食事を終えて、食器の片付けや掃除を済ませていく。
 「せっかくだから無駄に一日を過ごしたくないんだよなー。なんかこの一週間のストレスを発散できる何かがあれば‥」
 時計を見ると時刻は15:30。時間的にできることはあと一つか二つ、といったところか。近所に買い物、本屋、映画鑑賞‥頭の中で選択肢に思考を巡らせる。どれも日常的にやっていることと似たり寄ったりな気がしてピンと来ない。もっと、こう非日常感があって、二時間程度で出来ること‥‥。
 脳が自分の短い歴史を一瞬で遡った。瞬間、パッと閃く。
 カラオケだ!
 そうだ、久しぶりにカラオケにでも行ってみるか。
 私は歯を磨いた後、いつものジーンズとスウェットに簡単に着替えて外に出た。

 店内に入ると受付に店員さんがいなかった。営業してるよな?と学生時代以来のカラオケ店に心配になった。カウンターに近付くと『御用の方はベルを押してください』と書いてあったので、それっぽい機械のスイッチを押した。
 忙しいのか人手不足なのか、しばらく店員さんは出てこなかった。しかし、私は普段見慣れない空間と流れている最新のヒットナンバーが物珍しく感じて、待たされているかんじがしなかった。
 2分程ぼんやりしていると、カウンターの中の扉から店員さんが出てきた。
 「いらっしゃいませー」
 「あっ、すみません、はじめて利用するんですけど‥」
 私の言葉に店員さんははじめて利用する人のために何度もしてきたであろうお店のシステムや料金の説明してくれた。こういうことって学生時代の時、誰かが代表してやってくれてたっけなー、と大学時代の同級生が受付でお会計する後ろ姿を思い出した。みんなとはもう大学を卒業して以来会っていないなあー、と店員さんの話を聞きながらぼんやり思った。
 そして、私はとりあえず、一番料金が安い2時間のワンドリンクコースを選んで、店員さんに案内された部屋番号に向かった。
 部屋に入って荷物をソファーに置くと、まずメニューを取り出してドリンクを選ぶことにした。お茶やジュースにコーヒー系のドリンクなど様々な種類があって決めあぐねてしまう。時計を見るといつの間にか入室して五分が経っていたため、「時間がもったいない!」と思って、急いで室内に取り付けてある受話器を取って、ジンジャエールを注文した。
 あらためて部屋の中を見渡すと、異空区間が演出された室内の雰囲気に、私は不安と好奇心が入り混じった不思議な心持ちになった。来てしまった‥、といつもの自分とは違う大胆で行動的な自分にどこか誇らしい気持ちになる。カラオケに来たくらいで何を昂ぶってるんだ?と馬鹿馬鹿しくなるけど、悪くない。
 そんな調子で次にタブレット端末の電子リモコンに興味を持った。部屋の片隅の充電器にセットされている。私の学生時代にこんなものがあっただろうか?私は精密機械だから壊さないように恐る恐る持ち上げてテーブルに置く。機能を確認してみると、この端末一つで歌手や曲の検索もできて、さらに採点モードや音程も変えられるらしい。そして、”りれき”をタップすると、この部屋を利用した人たちがどんな曲を歌ったのかが確認できて、履歴を見ていると、歌われてきた曲から年代やどういった関係性かなどが想像できて面白しかった。
 コンコン!
 「あっ、はい!」
 履歴を遡るのに夢中になっていたところに、店員さんが注文したドリンクを運んできてくれた。再び時計を確認するともう二十分が経っていた。「歌わなきゃ!」ともったいない気持ちがわいて曲の検索をはじめる。みんなが知ってる有名な曲や学生時代に聞いていた曲‥と頭に浮かべてみるが、どういうわけか令和の時代にそぐわない気がしてどの曲も選ぶのを渋ってしまう。折角普段来ない場所に来たんだから変わったことがしたい、という欲求がむくむくとわき起こった。

 あっ!あの曲はどうだ!?

 私は仕事中に店内でよく流れていて、話題になっている女性アイドルグループのデビュー曲を選んだ。何となくサビは頭に残っているから歌えるだろう。しかし、Aメロが流れた瞬間に、私はフリーズしてしまった。
 えっ、歌えない?あれ?リズムどうなってんのこれ?
 私の不適当な音程の棒読みの声が室内に流れる。戸惑っていると、サビが始まってようやく歌えるようになった。あっイケる!と私は一応カタチになった歌に手応えを覚える。そうしたらもっと欲が出てきた。
 この曲もっと上手く歌いたい!
 私はタブレットを操作して『演奏中止』を選ぶ。部屋の中が静かになって隣の部屋の男性が歌うバラードが聞こえてきた。私はタブレットを操作して採点機能を起動させた。テレビ番組などでよく見る音程の横棒を表示させる。これに従って歌えばうまくいくはずだ。
 よし、次こそは!
 再び流行りのアイドルソングを再スタートさせた。
 目の前の大きな画面に歌詞と音程バーが表示される。私は色が変わっていく表示を追って歌いだした。
 しかし、全然歌えなかった。音が合わない。リズムが取れない。サビになった時に何とかカタチになる。そんなかんじで一曲が終わった。
 私が呆然としていると、目の前の画面に採点結果が表示される。点数は83点だった。
 「いやそんなに点数高いわけないだろ!私、歌めっちゃ下手だったじゃん!」
 室内に一人なのをいいことに自分で自分に声を出してツッコミを入れる。笑いが止まらない。何これ?めっちゃおもしろい!
 もう一回、もう一回‥。
 私は夢中になって次々に選曲して歌ってを繰り返した。

 「ありがとうございましたー」
 店員さんに見送られて外に出ると辺りはもう暗くなりはじめていた。文字通り時間が経つのを忘れるくらい夢中になって私はずっと歌っていた。
 楽しかった!カラオケ!
 私の頭の中は興奮冷めやらぬ状態で、ずっと大きな声で歌っているとアドレナリンが出るのか脳がぼーとするかんじがする。でも、悪い気がしなかった。
 こんなに充実した気持ちになったのはいつぶりだろうか?
 日常はいつも驚くほど変化しないもので、それどころか重苦しい何かが心や身体に溜まっていくようで、いつまでこんな鬱屈とした日々が続くのだろう、と心が擦り切れていた。
 けど、意外と簡単にループを抜け出せるのだ。テーマパークに足を運ぶとかブランド物を買うとか、お酒を浴びるように飲むとか、みんながやっていたりするような方法じゃなくても、重苦しい日常から解放される手段はある。
 そうだ!また気持ちが鬱屈してモヤモヤした時は、カラオケに行こう!
 駅までの畦道を歩いていると、どこからともなく鈴虫が鳴く音が聞こえる。私の明日へと向かう足取りは、随分と軽くなっていた。


終わり。
 
 

 
 
 
 


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