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休息という名の予定を入れてみる/#1ヵ月書くチャレンジ Day4

4日目にして息を吸うようにnoteの編集画面を開くようになった。今日のテーマはなんだろうと考えながら一日が始まるようになる。

Day4.今一番変えたいこと

今一番と言われて頭を捻った。
変えたいこと、変えたいこと…色々とありずぎて今日はどこを書こうかものすごく迷ってる。むしろいまフリック入力してる最中もめちゃくちゃ迷ってる。けど、もう決めた。このままうんうん考えても時間が経つだけだ。

今一番変えたいこと、それは、
余白の時間を作ってぼんやり休むこと

これに尽きるし、「やるぞ!」と都度都度思ってたけどあっという間に余白のよの字も残らないほどに真っ黒に塗りつぶされてしまう。だから、きちんと隙間のないほどに時間に追われることからの卒業をそろそろしたいなと思ってる。つまり、ゆとりもった詰め込みすぎないスケジュールにすること。むしろ余白の一日であれば、クーラーガンガンに聞いた部屋でタオルケットくるまってベッドで朝から晩まで過ごしたっていい。いわゆる限界休日と言われてもいい。とにかく敢えて休む意識付けをすることだ。

⚫自分で自分の首を締めていた


社会人1,2年目の頃は「誘われたら全部行く! 」をモットーにして仕事もしつつもどんどん外に出ていった。けれどもそれは次第に「しなければ」の義務感で余白を作らまいとという思考に変わっていって、自分で自分の首を無意識に締め付けていた。気付かぬふりをしていたのかもしれない。けれどもそんな生活は突然やってきたコロナ禍で一変する。外出自粛でイベントも友人との飲み会もご飯も全部白紙になった。最初は言われもない焦燥感に駆られたけれど、ステイホームが浸透し始めた世の中で「それでいいんだ」と飲み込めた時から、窓の縁に座椅子を持ってきて私はベランダに足を放り投げてぼんやりと空を見上げていた。

↓その様子が分かるのはこちら

月日が経つごとに「しなければ」の思考から解放されていた。自分で自分を労ることの大切さ、これから先もこの余白を忘れないようにしようと思っていた。2020年のことだった。

⚫限界を知った、春


それから2年経った2022年。なかなかに波乱の年だった。 例年通りの繁忙期である3,4月は特にしんどさのピークだった。激務激務激務の連続、20時に家に帰れたら早いほう。息付く間もなく朝を迎えてまた出社する。一通り仕事のことは覚えて、自分の仕事を持っていた5年目だった私は諸々の事情で1.5人分の仕事をプラスで持たなくては行けない環境になって毎日が分刻み、けれども間違いのないように進める必要があった。緊張の連続、休日出勤して仕事の遅れを取り戻す、今思えばなかなかなストレスフルな環境に置かれていたんだなと身震いするほどだ。そんな一日一日すり減っていく神経。ちょうど4月の終わりが近づいてゴールデンウィーク直前には、メンタルが限界だったのか部屋を暗くして布団に入ると気がつけば涙が出てきていた。あと2日、あと1日頑張ればゴールデンウィークだと言い聞かせて持ちこたえていた。

そんな激務の経験が強烈だったのか、気がついたら畳の上で大の字になって実家の天井を見ていた。ゴールデンウィークに実家にどう帰ったか思い出せない。とにかく本当の意味での休息が必要だったんだと思う。土日休みがあっても気が休まらなかった。だから実家で過ごす休みは、ご飯食べて、縁側で陽を浴びながらTwitterして、畳の上で昼寝をして、ご飯を食べてと緩やかに生活習慣を戻していく時間にあてていた。3,4日そんなスローライフを送って段々と気持ちの切り替え、普段の生活が戻ってきた。

自分であるのに自分じゃない恐怖感。
毎日いっぱいいっぱいで、趣味なんてできる余裕がどこにも無い。生活の質も下がるし、仕事のパフォーマンスももっと落ちていたと思う。本末転倒だ。もうそんな経験はしたくない。

だから、自分の健康ベースを中心において敢えて休息という名の予定を作る。予定詰め詰めに見せて実は、休息の余白を入れていく。その中で気ままにしたいことをすればいい。文章を書いたっていいし、ベッドで惰眠を貪ってもいい。自炊したっていいし、面倒なら外で買ってきてもいい。とにかく余白の時間では、その時にしたいことをする。

「これをしなきゃ」という意識を持たない時間を定期的に作り出すこと。これが、変えたい、変えていきたいことになる。
自分で自分の首を絞めずに心穏やかに日々の生活を送ってく意識作り。まずいぞと思ったらすぐさま行動を移してゆるゆると過ごしていきたい。

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